至福の日曜日、及び、モヒートの作り方

至福の日曜日

今日は週末のルーティーンに通りに過ごしている。

朝、ワイシャツにアイロンをかけ、靴を磨く。

午前中は近くの雑司が谷体育館のスイミングプールに行く。最近のメニューはこんな感じ。

  • 水中ウォーキング:100m
  • ビート板キック:200m
  • フリー(ゆっくり):500m
  • フリー(ピラミッドスイム):50m→100m→200m→100m→50m
  • 水中ウォーキング:100m

今日は同じレーンに速いスピードで泳いでいる人がいて、刺激されていつもより追い込んでしまった。

池袋西武まで歩いて、ドンクでハードトースト、船橋屋でくず餅を買う。

昼ごはんをどこで食べようかとうろうろしていたら、いつもは混んでいるA Pizzaのカウンター席が空いていて、ピザにありつくことができた。

tabelog.com

家に着き、セミの鳴き声を聴きながらお昼寝。

目が覚めて、麦茶を飲みながらくず餅を食べた。

モヒートの作り方

しばらく前、トム・コリンズを作る話を書いたけれど、今はレパートリーが広がって、ジン・アンド・トニックとモヒートも作るようになった。

yagian.hatenablog.com

このブログを書き終わったらモヒートを作って、いただくつもり。

モヒートの作り方はこの動画を参考にしている(動画のレシピはわかりやすい、いい時代になった)。

www.youtube.com

材料
  • ホワイトラム 4オンス:バカルティのホワイトラムを使った
  • ライム 1/2個
  • ペパーミント 7枚:ミントであれば、スペアミントでもOK
  • クラブソーダ 100ml
  • シロップ 大さじ 1杯:甘みがしっかりある方が好み
  • 氷 グラス1杯分:近所のセブン・イレブンで購入。
作り方
  1. ライムの端を切り落とし、さらに1/2に切る、その半分のライムを1/4に切り分ける
  2. ミントの葉を7枚ほどちぎる
  3. ライムとミントをグラスに入れて、延し棒でしっかり潰す
  4. 氷を入れ、ホワイトラム4オンス(メジャーカップの大きい方で2杯)を計ってグラスに入れる
  5. シロップを大さじ1杯グラスに入れる
  6. よくかき混ぜる(モヒートはそこにたまりやすいので)
  7. クラブソーダをグラスいっぱいになるまで注ぐ(ゆっくりと)
  8. 炭酸が飛ばないように軽くかき混ぜる
  9. いただきます!(至福)

鎌倉三十三観音霊場巡礼結願

鎌倉三十三観音巡礼結願

ここ数年、鎌倉に通って三十三観音を巡っていた。先週の土曜日、三十三か所目の参拝を済ませ、ようやく結願することができた。

巡礼というと四国八十八箇所が有名だと思う。それに比べるとずいぶんこじんまりしているけれど、鎌倉市内にある観音様がいらっしゃる三十三のお寺が「鎌倉三十三観音霊場」(鎌倉三十三観音霊場 - Wikipedia)として選ばれていて、第一番杉本寺に始まり、第三十三番円覚寺仏日庵まで参拝すると結願となる。それぞれのお寺で参拝すると、御朱印を頂くことができる。

下の右が第二十八番建長寺、左が第三十番明月院の御朱印である。お参りをした後、社務所で御朱印帳に観音様のお名前、お寺の名前、参拝日を書き、捺印して頂く。毎日たくさんの御朱印を書かれているからだろう、さらさらときれいな字で書いて頂ける。

三十三観音の御朱印をすべて広げてみるとなかなか壮観である。

結願までの道のり

鎌倉三十三観音はすべて鎌倉市内にあって徒歩で回ることもできる。自動車か自転車を使えば2日ぐらいで回ることができるだろう。徒歩でも4日で回り切ることもできる。四季に分けてそれぞれの季節の鎌倉を体感しながら巡礼するのがおすすめである。

私は自宅から鎌倉まで電車で1時間半ほどかかる。鎌倉にお昼前につくような時間に出発し、早めの昼ごはんを食べた後、午後、4か所か5か所ぐらいお寺を巡る。日が暮れた後、軽くお酒を飲みながら夕食を食べ、帰宅するというパターンでお参りをしていた。

朱印帳を開いてみると、発願の第一番杉本寺の御朱印の日付は平成22年1月10日、最後の御朱印は第十五番来迎寺が平成28年7月16日だから6年半かかっている。

巡礼を始めた時期は、まだまだ体調が優れず、休み休み半日も歩くとすっかりと疲れてしまい、鎌倉で夕食を食べる余裕もなく、帰りの電車のなかでぐったりと眠りながら帰ってきた。途中、さらに体調を崩して鎌倉行きを中断していた時期もある。後半になると体調も回復して、半日歩き回ってもあまり疲れることもなく、夜のお酒と食事を楽しみにしながら歩けるようになった。

すっかり三十三か所のお参りを済ませたつもりで、第三十三番建長寺仏日庵で結願の印を押してもらったのだけれども、あとで御朱印帳を見返してみると御朱印が32しかないことに気がついた。来迎寺という名前のお寺が2か所あり、第十五番の方の来迎寺にお参りしていなかった。そして、後日、来迎寺を訪れ、なんとか三十三か所のすべてに参拝することができた。

鎌倉のお寺の個性

三十三観音霊場のお参りをする前も、幼少の頃から折りに触れ鎌倉に遊びに行く機会はあった。円覚寺建長寺長谷寺、大仏などはお参りしたことがあったけれど、それ以外のお寺ははじめてだった。

さまざまな個性を持ったお寺があり、鎌倉の歴史の深さを感じることができた。円覚寺建長寺は立派な門があり、禅宗の厳しい雰囲気が感じられる。一方、長谷寺は大衆的なお寺で、賑やかで優しい雰囲気だ。

山際にあるお寺と海岸に近い開けた土地にあるお寺でも雰囲気が違う。北鎌倉には禅宗にお寺が集まっているが、山の方が静かで修行に向いているのかもしれない。下の写真は建長寺のなかにある龍峰院という塔頭で、まるで京都のお寺のようだ。

第一番杉本寺は山寺の雰囲気があって、お寺まで登る石段が苔に覆われていて美しい。その近くにある報国寺には美しい竹林があり、そのなかの茶室でお抹茶を頂くことができる。夏でも涼しく、疲れた足を休めることができる。

海側のお寺では、材木座の光明寺が印象に残っている。海水浴場のごく近くあり、立派な山門がある。開けた土地にあって、山の中の狭い谷にあるお寺と違い開放感がある。極楽寺のそばにある成就院では、海を背景にしてあじさいを見ることができる。鎌倉大仏がある高徳院霊場に入っている。

 鎌倉の移り変わり

六年もかけて鎌倉を巡った怪我の功名で、鎌倉の移り変わりも感じることができた。

観光地として、鎌倉の観光客は年を追って増えているように思う。外国人観光客も増え、休日には江ノ電に乗るのが難しいぐらい盛況になっている。三十三観音霊場巡礼をする人も増え、御朱印帳を持っている人が目につくようになった。

小町通りもいつも人で溢れていて、いかにも観光地といった風情のお店も多くなった。しかし、路地を入ったところには、古民家を改装して鎌倉野菜を使った料理を提供するお店が点在している。夜、そんなお店でお酒を飲みながら、その日お参りをしたお寺の話をするのが楽しい。

三十三観音霊場になっているお寺は、鎌倉のなかでもあまり観光客が足を伸ばさないような場所にも点在している。そういうところは、静かで上品な住宅街が広がっている。巡礼というきっかけがなければ足を伸ばすこともなっただろうと思う。

観光地としての鎌倉、住宅地としての鎌倉、山の鎌倉、海の鎌倉と、鎌倉のさまざまな側面、魅力を見ることができた。今回、三十三観音霊場巡礼は結願し、鎌倉に行く機会は減るだろうけれど、これからも鎌倉を歩いてみたいと思う。

また、御朱印帳を持って別の霊場巡礼にも挑戦してみようと思っている。

夏の夕暮れの至福:トム・コリンズを飲む

季節とお酒

たまに「お酒は何が好きか」聞かれることがあるけれど、いつもなんと答えてよいか迷ってしまう。結局「季節、気候、場所、料理次第かなぁ」と曖昧に答えてしまうことが多い。

寒い季節には身体を温めてくれるお酒がいいけれど、暑くなってくるとすっきりとしたお酒が飲みたくなる。今はどんなお酒がおいしいかなぁ、とあれこれ想像を巡らすのがとても楽しい。

もちろん、ビールがおいしい。炭酸の刺激と苦味が爽やかだ。

最近、Facebookで、夏のカクテルの作り方を紹介するショート・ビデオが送られてくる。それがいちいちおいしそうで、酒欲をおもいきり刺激される。特に、ジン、レモン、ソーダで作るトム・コリンズがさっぱりとしておいしそうだった。

cooking.nytimes.com

夏の夕暮れの至福、トム・コリンズを飲む

さっそくトム・コリンズの材料一式を揃えた。

タンカレーのジンを買って、冷凍庫に放り込んでおく。カナダドライのクラブソーダは冷蔵庫に常備。シロップはアイスコーヒー用のものを転用。あとは、レモンと氷があれば準備OK。

金曜日の夕方、会社の机の上を片付けて退社するときには、もう、家に帰って飲む一口目のトム・コリンズのことで頭がいっぱいになっている。

家に着き、着替え終わったら、取るものとりあえずトム・コリンズの材料一式をカウンターに並べる。レモンを絞ると、さわやかな香りがキッチンに広がる。ソーダを注ぎ、軽く混ぜる。もう待ちきれず、立ったまま一口すする。

レモンの酸味、ソーダの刺激、ジンの苦味、シロップの甘味、氷の冷たさが口の中に広がる。

至福。

酒飲みの言い草だけど、レモンでビタミンを摂取できるし、ジンは蒸留酒だし、一杯のトム・コリンズはむしろ身体にいいに違いない。

トム・コリンズのレシピ

 ニューヨーク・タイムズのレシピはシェイクしているけれど、シェイカーは持っていないので簡略に作っている。レモンサワーをジンで作るようなものですな(あ、逆か、レモンサワーがトム・コリンズの焼酎版か)。

材料 
  • ジン 2オンス:タンカレーのジンを使った(お好みのジンで)。
  • レモン 1/2個
  • クラブソーダ 100ml:カナダドライクラブソーダを使った(甘みのない炭酸水であればなんで)。
  • シロップ ティースプーン 1杯:キーコーヒーのアイスコーヒー用のシロップを使った(甘みのみのシロップならなんでも)。
  • 氷 グラス1杯分:近所のセブン・イレブンで購入。
作り方
  1. 背の高いグラス(あらかじめ冷凍庫に入れて冷やしておく)に氷を入れて、軽くかき混ぜて氷をなじませる。
  2. ジンを2オンス(メジャーカップの大きい方)計ってグラスに入れる。
  3. レモンを半分に切り、絞る。それをグラスに入れる。
  4. シロップをティスプーン1杯計ってグラスに入れる。
  5. よくかき混ぜる。
  6. クラブソーダをグラスいっぱいになるまで注ぐ(ゆっくりと)。
  7. 炭酸が飛ばないように軽くかき混ぜる。
  8. いただきます!

 

キリン タンカレー ロンドン ドライジン 47.3度 750ml
 

 

 

ナガオ 18-8ステンレス メジャーカップ 45&30cc 燕市製

ナガオ 18-8ステンレス メジャーカップ 45&30cc 燕市製

 

  

「找自己」(「自分を取り戻して」)陶喆(David Tao)

第二外国語としての中国語

大学の第二外国語で中国を選択していた。

学生時代(1980年代後半)、上海と杭州を旅行した。神戸から鑑真号というフェリーに乗って上海に着いた。そのころの中国は、改革開放時代に入っていたけれど、まだまだ文革の香りがして、外国語はほとんど通じなかったから、第二外国語の中国語が役に立った。

会社に入ってすぐ(1990年代前半)、雲南省を旅行した。昆明から大理、麗江までバスに揺られた。麗江の旧市街地はまさにシャングリラだったけれど、旅行している外国人は中国語が堪能なドイツ人バックパッカーか香港の若者ぐらいで、やはり第二外国語の中国語が役に立った。

今では、上海は現代の大都市になり、麗江世界遺産の人気の観光地になっている(隔世の感)。

中国語のブラッシュアップ

当時はサバイバルできる程度の中国語はできていた(らしい)。それ以来、中国語は放置していて、すっかり忘れてしまった。

去年の夏、香港に旅行するときに、広東語の入門書を一冊ななめ読みをした。覚えたフレーズを話したら一応通じたけれど、相手の返事がさっぱりわからなかった。ちょっと悔しくなって、中国語(普通語)と広東語をブラッシュアップすることにした。

初級から中級に入るためには、ボキャブラリーを増やす必要がある。覚悟を決めて毎日少しずつ単語を覚えるようにしている。

中国語圏のポップカルチャー

勉強をしているだけでは楽しくないので、中国語圏のポップカルチャーでお気に入りを作りたいと思っている。しかし、韓流に比べると、中国語圏のポップカルチャーは日本での情報量が少ない。スカパーでCCTVを見ているけれど、わりと「お硬い」番組が多くて、現代の中国語圏のポップカルチャーにいまひとつ触れることができない。

そう思いながらCCTVを見ていたら、陶喆(David Tao)の「找自己」とうい曲のPVが流れてきた。曲も歌詞も気に入ったので、Wikipediaで調べてみたら、香港生まれで台湾で活躍している歌手だった。一青窈も推している人だという。

David Tao - Wikipedia, the free encyclopedia

「找自己」(「自分を取り戻して」)陶喆(David Tao)

ちょっと怪しいけれど、「找自己」の歌詞を翻訳して紹介しようと思う。


陶吉吉 找自己KTV

baike.baidu.com

「自分を取り戻す」陶喆

昨夜、こんな夢を見た

サハラ砂漠に行って

太陽の下にひとりきりでいる

摂氏66.6度

目があっという間に焼き付く

突然、大雨が降ってくる

雨が汗を流してくれる

40日間の苦しみが終わり

砂漠のオアシスに変わる

虹の下の大樹に

リンゴがひとつなっている

一口かじったとたんすべてがわかる

この美しい世界で自分を取り戻す

 

ララ ララララ 雨が降っている

ララ ララララ 雲が泣いている

ララ ララララ 雨粒が心にしみる

想像しているだけなんだ

ただ妄想しているだけなんだ

ララ ララララ 雨でずぶぬれにさせてくれ

もう一度、もう一度だけ

この美しい瞬間に自分を取り戻したい

 

バスの中にすし詰めになって

毎日規則正しく出勤してる

こんなに多くの人はどこに行くのか

みんな救いようがない顔をしている

パパとママにはもう愛情はない

これが本当の人生なの?

もう一度、もう一度だけ

この美しい世界に逃げ込みたい

軒先で雨宿りして

シーツにくるまって寝る

雨音を聴きながら

 

ララ ララララ 雨が降っている

ララ ララララ 雲が泣いている

ララ ララララ 雨粒が心にしみる

想像しているだけなんだ

ただ妄想しているだけなんだ

ララ ララララ 雨でずぶぬれにさせてくれ

もう一度、もう一度だけ

この美しい瞬間に自分を取り戻したい

離脱派は愚かだったのか

離脱派へのネガティブ・キャンペーンと実態

EU離脱に関する国民投票の結果、イギリスはEUから離脱することになった。その直後、残留派から離脱派に対するネガティブ・キャンペーンがいっせいに始まった。

彼らの主張を読むと、離脱派の人々は「イングランド(とウェールズ)の地方部に住み、高齢で低学歴、低所得の労働者階級であり、移民へ人種差別をしており、政治的意図があるポピュリストの政治家の扇動に騙され、EU離脱による影響を理解せず離脱に投票したものの、投票後冷静に考えてみるとEU離脱が合理的でないことに気がつき、今は後悔している」そうだ。

本当か?

EU離脱はイギリスの国論を二分する問題であり、残留、離脱のそれぞれにそれ相応の根拠があると思うのだが、残留派の離脱派に対する差別的な視線は非常に感じが悪い。更に悪いことに、残留派は離脱派が人種差別的だと非難しつつ、自分自身が差別的だということに気がついていないように見える。

さすがに離脱派に対するネガティブ・キャンペーンが目に余ることもあり、離脱派の実態を紹介する記事も目につくようになり、私自身はちょっと安心した。

www.newsweekjapan.jp

bylines.news.yahoo.co.jp

Brexitは不可避か

Brexitについてさまざまな評論、論考があるけれど、私がいちばん納得できたものは、これである。

www.rieti.go.jp

この論考は国民投票直前に書かれたものだが、そのなかで「6月23日の国民投票でイギリスのEU離脱の有無は取り敢えず決着する。しかし、EU残留となっても、将来的にイギリスがEUを離脱する可能性は消滅しない。それどころか、むしろ強まっていくと予想される。」と述べている。私も国民投票前まったく同じことを考えていた。

冷静に比較してみると、離脱派残留派もEUに対する態度には大差はないことがわかる。

残留派は主としてEU共同市場から離脱することの経済的なデメリットを強調していた。彼らもこれからEU統合が進むことについて肯定的な主張をしていた訳ではない。キャメロン首相は、イギリスが特別扱いされるようにEUと交渉した成果を強調していた。

 離脱派もEU共同市場に参加していることのメリット、そこから離脱することのデメリット、リスクについて一定の理解はあったのだと思う。しかし、EUに加盟していることのデメリットの方が大きいと考えている。

結局、離脱派残留派もEU共同市場は経済的なメリットは大きいと考えているが、EUそのものについてはいい印象を持っていない。国民投票は、EU共同市場にとどまるために、気に入らないEUにがまんするか、がまんしないか、という選択だったのだと思う。

もし、今回は残留派が勝利していたとしても、EU統合がさらに進めば、EUから離脱すべきと考えるイギリス国民は増えただろう。

EUは改革できるか

イギリスに限らず、EUはあまり人気がないようだ。

イギリスの離脱に続き離脱の連鎖を防ぐために、イギリスとの離脱交渉においてEU側は厳しい姿勢で臨むのではないかという観測がある。合理的に考えれば、EUにとってもイギリスとの経済的な障壁は低いほうがメリットがあるはずだ。しかし、そのような「甘い」合意をしてしまうと、離脱の連鎖を促進するから、「厳しい」態度で臨むという予測である。

しかし、離脱したメンバーに嫌がらせをして、他のメンバーが離脱を思いどまるように強いる組織は、まともなよい組織と言えるのだろうか。そんな組織から離脱したいと考えるのは当然ではないか。EU自体もイギリスの残留派と同じく非常に感じが悪い。

むしろ、イギリスが離脱し、その他の国の国民からも人気が下がっている現状を直視して、EUの改革の契機とすることこそが必要なことではないだろうか。

最高のNBAシーズン:レブロン時代の頂点

しばらく寝かせてからブログに書く

ここのところ、毎週日曜日にブログを書くようにしている。

ウィーク・デイにブログのネタを思いつくと、はてなブログにタイトルと概要を書いてをドラフトとして保存するようにしている(そうしないとすぐ忘れてしまう)。週末、ドラフトのなかから実際にブログとして仕上げるタイトルを選んでいる。週一回の更新だと、実際にブログにするタイトルより、ドラフトとして保存するタイトルの方がずっと多くて、現在15本のドラフトがたまっている。

どんどん新しい事件が起き、新しいタイトルを思いつくから、保存しているドラフトの鮮度はあっという間に失われていく。しかし、このブログはしばらく時間が経ってから「記録」として(主に自分自身が)読み返すことを想定しているから、鮮度はあまり重要ではないと考えている。むしろ、しばらく寝かせて、鮮度が失われてもなおかつ書く意味があると思えるタイトルを書こうと思っている。

鮮度という意味では、Brexitについて書くべきなのだろうけれど、まだ生々しすぎる。今日は先週決着がついたNBAファイナルについて書こうと思う。

最高のNBAシーズン

1990年代から断続的にNBAを見ているが、自分にとって今年はそのなかでも最高のシーズンだった。

1990年代以降のNBAの歴史を大雑把に分類すると、1990年代はマイケル・ジョーダン時代、2000年代はコービー・ブライアント時代、そして、2010年代はレブロン・ジェームス時代となる。そして、今シーズンはコービーの引退ツアーに始まり、カリーとウォリアーズが新しいスタイルのバスケットを見せてくれて、ファイナルのウォリアーズとキャブスの試合は中身が濃く、特に第7戦ははげしかった。贅沢なシーズンだった。

ジョーダン時代に比べると日本でのNBAの人気は下がっているように思うけれど、最近のNBAは、プレーの質に関してはずっと充実しているので、見逃すのはもったいないと思う。

レブロン時代からカリー時代へ?

ウォリアーズは、昨シーズンファイナルでレブロンのキャブスに勝って優勝し、そのままの勢いで今シーズンはレギュラー・シーズン最多勝記録を更新、カリーが満票でMVPを獲得した。

カリーのハイライトビデオのリンクを貼ってみた。彼は、とにかくドリブルでディフェンスを外すのがうまく、遠くからのシュートが驚くほどよく入る。ハイライトに取り上げられているプレーの中では地味かもしれないけれど、12位(4:18〜)のプレーは、ディフェンスの外し方とシュートのうまさがよく表現されたカリーらしいプレーで好きだ。

レブロンは、地元のキャブスに戻ってファイナルで優勝することを残りの選手人生の目標に掲げていたが、昨シーズンのファイナルでは、刀折れ矢尽きる形でウォリアーズに敗れた。

レブロンがこれから大きく成長することは難しいけれど、カリーとウォリアーズは伸びしろがあるから、彼の目標は達成するのが難しくなっり、このまま、レブロン時代が終わり、カリー時代になってしまうのか、と思っていた。


Stephen Curry's Top 30 Plays of the 2015-2016 Regular Season!

レブロンのハードワーク

しかし、キャブスが1勝3敗になってからのレブロンはすばらしかった。特に、彼のハードワークぶりが強く印象に残った。

両チームを通じてレブロンのプレイタイムがいちばん長い。オフェンスではドリブルをしてボールを運び、アシストのパスを出し、ここぞというところでは一対一の勝負を仕掛ける。アウトサイドからのシュートもあり、インサイドに切り込むこともある。

特に、カリーと一対一になったときには、どんどん身体をぶつけていき、体格に劣るカリーはかなり苦しそうだった。第6戦ではカリーはレブロンとの一対一でファウル・トラブルに追い込まれていた。ディフェンスでもリバウンドを競り、ブロックショットを決めた。カリーに対してもファイナルで6回ブロックをしている。この二人でのマッチアップでは完全にレブロンが上回っていた。


LeBron James - All 6 Blocks On Stephen Curry (2016 NBA Finals) ᴴᴰ

ファイナルを通じていちばん印象に残ったレブロンのプレーは、第7戦の終盤にイグダラのレイアップを防いだブロックショットだった。ファイナルの試合は日本時間だと午前中なので、会社から帰ってきた後に録画したものを見ていた。結果はわかって見ているのだけれども、第7戦はドキドキしたし、このプレーが出た瞬間は息を飲んだ。


LeBron's Clutch Block on Iguodala | Cavaliers vs Warriors - Game 7 | June 19, 2016 | 2016 NBA Finals

記憶に残るシーズン

何年かに一回、記憶に残るシーズンがある。

例えば、2009年、松井秀喜ワールドシリーズMVPを獲得し、最後にヤンキースがワールドチャンピオンになったシーズン。2013年、田中将大が無敗で楽天を日本一に導いたシーズン。

今年のNBAは記憶に残るシーズンになった。

テレビ報道の公平性

BBCの「EU離脱」に関する報道

NHK-BSやスカパーでBBCのニュースをよく見ている。最近は、当然ながら「EU離脱」に関する報道が多く、なかなか興味深い。

BBCとしては「EU離脱」に対して中立的な立場を保っている。残留派、残留派の双方の政治家に対するインタビューも多い(なかなか厳しい質問をする)し、それではなく、市井の人々の意見も丹念に取材している。例えば、ある日のニュースでは、農家の「EU離脱」に関して異なる立場の農家を取材していた。

イギリスのなかでもかなりの大規模の農家で、東欧からの農業労働者を雇用している。実際にジャガイモを選別するラインで働いている農業労働者の様子も取材しており、彼らに対してインタビューもしていた。この農家は、自ら東欧の農業労働者を雇用するだけではなく、他の農家へ農業労働者を斡旋するビジネスもしている。この農家(農家というよりは農業経営者といった方がよさそうだが)は、当然、ヨーロッパのなかで自由に人間が移動できるEU残留に賛成している。

次に紹介された農家は、EU共通農業政策に不満を述べていた。EUは手厚い農業保護政策で知られているが、環境保護政策にも熱心で、補助金の見返りに作付る農作物や農法にさまざまな制約がある。この農家はその規制に反対しており、EUから離脱してイギリスとしての望ましい農業政策を実施すべきだと主張していた。

手厚い共通農業政策の継続を望む農家が多いのだろうかと漠然と考えていたけれど、別の観点からの賛否があることがわかり興味深かった。

日本のテレビ報道だったらどうなるだろうか

いま紹介した二つの農家の報道のように、連日、さまざまな観点でEU離脱に関する情報が提供されている。私は投票する訳ではないけれど、イギリスのさまざまな側面についての理解が深まった。

日本のテレビで、このように広く、深い報道ができるだろうか。正直に言って、大いに疑問がある。

例えば、安全保障法制が審議されていたとき、日本の安全保障について理解を深める絶好のチャンスだったけれど、BBCのように「広くて深い」報道ができただろうか。例えば、賛否双方の立場からの主張をじっくりと(きびしい質問も含め)聴くインタビューができていただろうか。また、安全保障法制は諸外国と深い関わりがあるけれど、米国、中国、台湾、韓国(北朝鮮は難しいだろうけれど)、ASEAN諸国の政治家、有識者の意見などは紹介されていただろうか。まったく不十分だったと思う。

テレビ報道の公平性の確保

政府や自民党がテレビ報道の偏向を問題視し、報道内容に介入していると言われている。実際にどこまで介入されているのかわからないけれど、客観的に見て民放のテレビ報道は偏向していると思う。少なくとも、BBCのように報道の公平性を担保しようとする配慮に欠けていることは明らかだろう。

BBCのキャスターは基本的になにかの問題に対する見解や是非は述べない。また、日本の民放の報道番組のような「コメンテーター」は登場しない。事実を伝え、また、専門家や政治家などに対するインタビューを放映する。場合によってさまざまな立場の論者を集めた討論を報道することもある。

放送時間は有限だからすべての出来事を報道することはできない。どのニュースを取り上げるか、その選択する時点で恣意性は排除できない。だから、BBCも完全な報道の公平性を確保することは不可能だ。また、インタビューも編集をしているから、そこに意図が入り込む可能性がある。しかし、仮に「偏向している」という指摘があった場合、それに対して「このように公平性を確保している」と説明はできるようにしている。

日本の民放の報道番組は、BBCに比べると素朴すぎるように思う。ある一定の政治的立場の「コメンテーター」のコメントを中心に放映すれば、「偏向している」という批判を招くし、それに対して正面切って反論するのは難しいだろう。

政府や自民党の介入に対する反対はあっても、自らの報道番組が変更していないという反論は目にしない。

テレビ報道の偏向の原因は何か

それでは、なぜ、日本の民放のテレビ報道は偏向するのだろうか。私はテレビ報道制作の内側についてはまったく知らないから、これから書くことはあくまでも推測である。

日本の民放テレビ局は、新聞社の系列となっている。新聞社は放送局と違い法律で報道の公平性を求められることはない。実際に、それぞれの新聞社で一定の政治的な立場がある。テレビ局の報道については、それぞれの系列の新聞社の影響を強く受けているように見える。例えば、系列の新聞社のOBが「コメンテーター」になることが多く、出身の新聞社の傾向に沿ったコメントをすることが多い。

そして、やはり、BBCに比べると、日本の民放の報道の現場は、予算、人材、時間が圧倒的に限られているのだと思う。最初に紹介したBBCの農家に関する報道は、かなり手間をかけて丁寧に作られていた。現状の日本の民放ではそこまでの取材をするのは厳しいのだろうと思う。できて街頭インタビューや世論調査の紹介ぐらいで、多様な人々の意見とその背景をしっかりと報道することはできない。そして、「コメンテーター」のコメントに頼るのは、結局のところ、それが安上がりだからなのではないか。

そう考えると、民放のテレビ報道が、政府や自民党に対して「偏向していない」と正面切って反論できる日は来そうにもない。

一視聴者として

私個人、一視聴者としては、テレビの報道が偏向していることはあまり気にならない。新聞社も含め、基本的にはすべてのジャーナリズムは多かれ少なかれ偏向しているものだと考えている。その前提に立って、さまざまな立場の報道を比較して自分なりの理解を得ることがリテラシーだと思う。

日本の民放の報道はそれぞれの立場から偏向しているけれど、大きく見れば日本の報道全体が一定の方向に偏っている。また、もちろん、BBCも含め諸外国の報道は、それぞれの方向に偏っている。

世界のニュースを解説を付けずに最低限の編集をしただけで放送しているNHK BS「ワールドニュース」はそれぞれの国の報道の違いがよくわかって興味深いし、リテラシーを養うために非常によい番組だと思う。放送される国の数も徐々に増えており、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、スペイン、中国、韓国、カタール、インド、ブラジル、オーストラリア、シンガポール、香港、インドネシア(見落としている国もあるかもしれない)のニュースが放送されている。

東アジア、東南アジア関係のニュースは、シンガポールの放送局はバランスの取れた見方をしていると思う(日本、中国、韓国、香港の報道は多かれ少なかれ党派的な色合いが強い)。また、ブルームバーグは、すべてのニュースを経済への影響という観点からのみ語り、また、さまざまなデータのチャートの紹介が充実していて、他のニュースで見ることができない個性がある。インドのニュースを見ると、その他の国の放送局ではまったく紹介されないニュースが報道されていて、世界は広いとしみじみ思う。