新年の抱負:健康第一、中高年の成長

平凡ではあるけれど、自分にとっては重い新年の抱負:健康第一

一日早いけれど、新年の抱負について記録に残しておこうと思う。

新年の抱負をひとことでまとめると「健康第一」である。平凡だけど、自分にとっては身銭を切って学んでたどりついた重い抱負だ。

単に健康でありたいと願うだけならば簡単だけれど、一年を通じて健康管理をして、実際に健康を維持することは容易なことではない。

今年の1月に50歳になる。このブログにも何回か書いたけれど、40歳の前半は心身ともにトラブルが連続して、とにかく調子が悪かった。調子が悪いと、何かしたいことがあっても思うようにならないことを痛感した。

10年間の試行錯誤の末、健康管理のルーティーンがなんとか確立できた。そのおかげで、今年は一年間健康で過ごすことができた。まずは、このルーティーンを守り、ブラッシュアップして50歳の一年間を健康で過ごしたい。そして、それを一年ずつ継続して、50歳代を通して健康でいたいと思う。

仕事での挑戦:中高年も成長できることを示すこと

ここ数年の仕事での目標は、体調を回復して一人前の仕事をできるようになること、そして、いちどうつ病になってもしっかり働けるようになることを証明すること、が目標だった。

いちどうつ病で倒れると、完全に復活するすることはなかなか難しいことだから、必ずしも偏見とは言い切れないけれど、なんとなく「こいつは大丈夫なのか?」という周囲の視線を感じてきた。今年一年ふつうに働くことができ、「こいつは大丈夫」ということを一応証明できたと思う(それでもそのような視線は完全に払拭することはできないだろうけれど)。

次のステップとしては、この歳になっても成長できる、ということを証明したいと思っている。これまではマイナスをゼロにすることを目指してきたが、これからはゼロからプラスにしたい。

「生きる」という意味の人生も、職業人生という意味でも折り返し点を過ぎた。けれど、これからの人生も短いようでまだまだ長い。

日本全体が高齢化し、また、私の勤めている会社も高齢化している。高齢化した人がどれだけ働けるのか、新しい環境に適応し成長できるか、ということは、大きく言えば日本経済や福祉制度全体にとって、当然ながら私自身にとっても非常に重要な課題である。

老後の「生きがい探し」という意味ではなく、職業人として戦力を高めるための成長、という観点は、あまり真剣に考えられていないし、検討されていないように思う。もちろん、若い人が成長するということよりは難易度が高いのだろうけれど、いまからでも自分は成長できると思うし、そのことを証明したい、そして、自分と同世代の人たちの成長を助けていきたい。

職業人としての自分の成長を考える上でポイントは次の二つ。

最大限に活用するにせよ、アンラーニングするにせよ、いままでつちかってきた知識、経験とどのようにつきあうのか、が一つ目のポイント。

この歳から成長するには、まったく新しい領域に挑戦するのは得策とは思えない。やはり、知識、経験は活用したい。しかし、知識、経験にこだわるあまりに柔軟性は失いたくない。そのバランスが重要だ。

そして、若い人たちとどのような関係を持つか、持てるのか、が二つ目のポイント。

学習という観点からは、いかに若い人から新鮮な情報、考え方を学べるか、また、若い人に自分の知識、経験を教えることを自分の学びに結び付けられるのか、が重要だと思う。また、これから職業人として続けるためには、若い人からいかに一緒に働きたいと思ってもらえるように成長しなければならない。

ここしばらくは模索を続けることになると思う。

プライベートでの挑戦:語学、スポーツ、グローバリゼーションの世界史

 プライベートでの目標は、ここ数年取り組んできたことを地道に継続してきたいと思う。

語学(英語と中国語)は、話すこと、に重点を置こうと思っている。英語は発音を本格的に矯正したいし、中国語は初級の語彙と文法を学んだのでその応用ができるようになりたい。そして、中国語は中国語検定三級の合格と、中国語圏への旅行で実用的な中国語のコミュニケーションをすることを目標にしたい。

 ここ二年ぐらい、健康管理のための身体づくりという意味で、水泳、筋力トレーニング、たまにジョギングなど、身体は動かしてきた。それなりに体型も変わってきて、筋力も付いてきたように思う。これからは、スポーツを楽しむ比重も高めようと思う。ゴルフは中断していたけれど、ラウンドに出て、100を切ることを目標にしたい(これはあまり自信がないけれど)。春先に目白ロードレースに出る(5km)ので、二年前の記録よりは速いタイムを出したい。

そして、読書も旅行も含め、グローバリゼーションの世界史を追いかけてきた。これは継続していこうと思う。中国語の学習とからめて、グローバリゼーションのなかでの華僑華人の歴史に着目しようと思っている。

今年は時事的な本を主として読んだが、もう少し長い射程を持った古典的な本を中心に読もうと思う。当然、本の内容の難易度は高くなるから、読書メモもきちんと書かなければ。

翻訳の楽しみ(1):パズルとしての和文英訳

なぜ翻訳をするのか

最近は中国語の勉強を優先しているので開店休業状態になっているけれど、英語のブログ"Everyday Life in Uptown Tokyo"を書いている時期があった。

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たいていは英語で自分の言葉を書くようにしていたけれど、日本語を翻訳したり、日本独自の概念を英語で説明したりしたエントリーもある。英文和訳もおもしろいけれど、和文英訳の方がより楽しいような気もする。原文の日本語の意味を、自分の限られた英語表現に置き換えることがパズルのようで、そこが楽しいのかもしれない。

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やや大上段に振りかぶった理由としては、英文和訳に比べて和文英訳が少なく、文化的な側面で日本は大幅な輸入超過であり、そのような環境では少しでも和文英訳することも意味があると感じている。

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村上春樹の翻訳

英語のブロクで書いた記事を読み返してみると、村上春樹の文章を翻訳したものがいちばん多い。

私自身が好んでいることもあるし、海外で英語に翻訳されていない村上春樹情報に飢えている人がいることもある。特に、村上春樹がカタルニア国際賞を受賞したときの、311のことについて触れたスピーチを翻訳したときにはかなり反響があった。広く読まれることは目指したり、期待したりしている訳ではないけれど、読みましたというコメントが付くと単純にうれしい。

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 村上春樹の小説は、英語には確実に翻訳される。日本語で出版されてからしばらく時差があるから、英語で感想を書き、小説の中の一節を英訳することもある。

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あと、小説以外の本で、いつ翻訳されるかわからないもののさわりを英訳して紹介したエントリーもある。「小澤征爾さんと、音楽の話をする」は英訳されたが、「雑文集」は未英訳のようだ。

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歌詞の翻訳

今回、ブログのエントリーのタイトルを眺めていて、意外と日本のポップミュージックの歌詞を英訳していたことに気がついた。

日本のポップミュージックを紹介したいという気持ちがあり、しかし、youtubeのリンクを張るだけでは芸がないので、歌詞の英訳を付けたくなる。もちろん、英語の詩のルールも知らないし、韻を踏めるわけでもないので、英語として歌詞っぽくなっているかわからないけれど、なるべく原曲に乗せて歌えるぐらいの分量に収めるようにしている。

いい歌詞は想像力を広げさせる力があるから、つたない英語であっても、youtubeで音楽を聴きながら英訳詞を読めば、私と同じ景色を想像してくれるんじゃないかと思っている。

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日本文化のキーワードの解説

和文英訳ではないけれど、日本文化のキーワードであまり英語での紹介がなさそうなものを英語で解説したエントリーもある。例えば「ヘタウマ」「和製英語」「断捨離」「空気を読む」「クールビズ」。

インターネット上では、「ヘタウマ」を英語で解説した文章がほとんどないらしく、googleで"hetauma"を検索するとトップにくるし、アクセス数がなかり多いエントリーのひとつでもある。

こんな感じで、日本文化のキーワードを辞書的に紹介するブログを作れば、それなりにアクセスが増えそうな気もするけれど、そこまでの根気はなくて実現できない。

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残りの人生で読める本

来月で50歳になる

人生を10年区切りで考えることに意味があるかどうかよくわからないけれど、今度の誕生日には大きな感慨がある。

40歳になるまでは、夢中で生きていて人生を振り返って考える、などということはしたことがなかったから、20代、30代が終わるということにとりたてて感慨はなかった。

40代になり、さまざまな障害にぶつかり、それなりに挫折も経験した。このまま「夢中で生きる」だけではダメだと悟り、40代後半は自覚的に生活の仕方を変えてきた。新しい生活もようやく形ができてきて、50代になる準備が間に合ったと思う。

50代になると、人生の折り返し点も大きく超えていて、もう残り時間も限られている、ということを強く意識している。だから、ムダな時間は使いたくない。自分の好きなものに囲まれて、シンプルな生活をしたいと思っている。

残りの人生で読める本

例えば、残りの人生で読める本の数を考えてみる。

本格的に本を読めるのは20年ぐらいだろう。年間100冊読むとして、2000冊。もう、あと2000冊しか読めないのである。英語や中国語で読みたい本もあるけれど、日本語で読むより時間がかかるから、実際に読める本の数は少なくなる。

そう考えると、ムダな読書はしたくない、と思う。少なくとも、賞味期限が10年ぐらい、理想的には100年以上ある本を読みたい。賞味期限が1年も持たないようなバズワードがテーマの本を読む余裕はない。「カラマーゾフの兄弟」だって読んでないし、「純粋理性批判」もまだ読んでいない。

本の断捨離、生活の断捨離

毎年、不要な本をブックオフに送り、その売上を寄付するシステムに参加している。そのとき、手元に置いておく本はもう一度読むことがある、という基準で選抜している。

今年は、残りの人生で再読する価値のある本かどうか、真剣に考えて寄付する本を選んでいる。そのうち読もう、と思っていた積読本も多かったけれど、ああ、これは今この人生ではそこまでたどり着かない、と割り切って寄付することにした。例えば、源氏物語は賞味期限が非常に長い本だけれど、残りの人生のなかで熟読玩味する時間は割けないと思った。そうして厳選した本だけが並んでいる本棚を見ていると、なにか清々しく、心が軽くなったような気がする。

本だけではなく、自分の身の回りのものも断捨離している。PCだけが載っているシンプルな机に向かって、50代の自分を想像している。

大きいことはいいこと、ではない:原子力政策と地球温暖化対策に共通する大きすぎるリスク

古典的なソフトウェア開発手法:ウォーターフォール・モデルとその限界

古典的なソフトウェアの開発の進め方に、「ウォーターフォール」モデルというものがある。ウォーターフォールは、文字通り「滝」という意味である。ソフトウェア開発を「要件定義」「概要設計」「詳細設計」「プログラミング」「テスト」といった段階に区分し、滝が流れ落ちるように後戻りしないように進めていく方式である。

ソフトウェアでどのような機能を実現するか「要件定義」の段階でしっかり決めて、その段階のアウトプットに基いて「概要設計」をする。そうすることで、後工程になってから、「あ、そういえば、こういう機能が欲しい」ということになって、開発が混乱することを避けよう、という発想に基づいている。

実際には、あとになって変更したくなることは多いので、別途「変更管理」というプロセスを用意しておいて、どのような変更を認めるのか、意思決定と混乱なく変更を実現する管理を行うことになっている。

考え方としては整理されていて、これをきちんと実行できればちゃんとしたソフトウェアが完成しそうである。しかし、現実にはコストや納期が大幅に超過したり、最悪の場合は開発途中で放棄されていまったりなど、開発が失敗してしまうことも多々ある。また、「あとで変更したい」と思っても変更できず、ユーザーの満足度が低いソフトウェアができあがってしまうこともある。

ソフトウェアを小規模に分割することでリスクを軽減する:アジャイル開発

これに対して「アジャイル」と呼ばれる開発手法が提案され、最近では採用されることが増えている。アジャイルとは「機敏さ」といった意味である。

アジャイル開発で提唱されている要素は多岐にわたるので、網羅的に紹介するのは手に余るが、今日のエントリーに関連する部分のみを紹介すると、ソフトウェアによって実現する機能を細かい単位に分割して、その単位ごとに短期間小チームで実際に動くソフトウェアを作っていく、というやり方である。

ウォーターフォールでは時間軸に沿って作業を分割している。これに対して、アジャイルでは機能ごとにソフトウェアを分割している。ウォーターフォールでは、プロジェクトが完了しないとじっさいに動くソフトウェアはできないけれど、アジャイルでは部分部分で動くソフトウェアができあがっていく。

ウォーターフォールでは、最後にならないとソフトウェア開発の成否はわからないし、方向転換も難しい。だから、上流部分(「要件定義」などの段階)が重要だと強調される。一方、アジャイルは少しずつ作っていくから、途中で「機敏に」方向転換することが容易だし、開発が途中で打ち切られてもそこまでで作ったソフトウェアは少なくとも使い物になる。

大きいプロジェクト開発は、どんな手法を使っても難易度は高いし、失敗の確率は高く、リスクは大きい。ウォーターフォールは、緻密なプロジェクト管理によってそのリスクに対処しようとするけれど、本質的なリスクそのものは小さくなっていない。だから失敗することもあるし、失敗したときの痛手も大きい。

アジャイルのポイントは、プロジェクトを分割して小さくすることで、リスクを小さくしていることだろう。小さなプロジェクトは、どんなプロジェクト管理をしても、どうにかできることが多い。

大きな政策の大きすぎるリスク

 3.11以来、原子力政策のことを折に触れて考えている。結局、ウォーターフォール・モデルで開発が失敗してしまった巨大システムのように、あれほど大きなシステム、政策はその巨大さゆえにリスクが大きすぎると思う。

例えば、日本の原子力政策では、高速増殖炉プルトニウムを利用する核燃料サイクルを目指し、その実現を前提として組み立てられている。しかし、その鍵となる高速増殖炉の開発は遅々として進まず、その実現性に大きな疑問がある。高速増殖炉もんじゅ廃炉の方針は決まったけれど、全体としての核燃料サイクルの方向性は変わっていない。あまりにも巨大なシステムで、制度や利害関係が輻輳しすぎて方向転換ができなくなっている。これはまさに大きすぎる政策の巨大リクスを代表だと思う。

また、同様に、地球温暖化対策に関する政策も、同じように大きな政策の大きなリスクがあるのではないかと感じる。日本の原子力政策は、実現が不確かな高速増殖炉という技術を前提に大きなシステムを作り、隘路にはまっている。地球温暖化対策も、不確かな根拠で、あまりに大規模な政策を実現しようとしている。いったん進み始めると、あとで大きな後悔をしてもどうにも動きが取れないという事態に陥らないだろうか。

ソフトウェア開発のアナロジーでいけば、問題やシステムは細分化して、リスクを小さくしてから対処するのが安全な方法ではないかと思う。

 バークとハイエクによる主知主義批判

 3.11をきっかけにして、エドマンド・バークフリードリヒ・ハイエクといったヨーロッパ大陸系の主知主義に対抗する保守主義について読んでみた。これらに関わるエントリーへのリンクを以下に張った(ので、関心がある方はご一読を)。

 バークやハイエクは、人間の知性に基いてゼロ・ベースで社会を変革しようとする革命、フランス革命ロシア革命、そして、それによって生み出された体制を批判する。

彼らは直接的にはそのような言い方をしていないけれど、「革命」のような大きすぎるプロジェクトにはリスクがありすぎて、コントロールできないのだ、と主張しているように思う。

主知主義者は、理性によって理想的な社会を構想できるし、また、それを実現できるプロジェクトも管理できると考える。しかし、バークやハイエクは、あまりにも傲慢だと批判する。

確かに「革命」はまさに大きすぎるリスクを抱えた大きな政策の典型例だ。同じように、原子力政策を進めた人たちにも、地球温暖化対策を進める人たちにも傲慢な「主知主義」の香りが漂っている。

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在日ファンクはすなおに楽しめる。しかし、なぜかブルーノ・マーズにわだかまってしまうのはなぜだろう。(附論:ブルーノ・マーズとピコ太郎の世界)

在日ファンとチャン・ギハと顔たちのライブに行く

先月、在日ファンクとチャン・ギハと顔たちのライブに行き、楽しい時間を過ごすことができた。

在日ファンクとは、SAKEROCK星野源とバンドを組んでいた浜野謙太(通称:ハマケン)がボーカルのファンク・バンドである。「在日」と名前がついているけれど、「在日韓国人朝鮮人」とは特に関係なく(いや、まったく無関係なのかはしらないけれど)、「日本二在リテふぁんくヲナス」ことを目指しているところから付けられたバンド名という。


爆弾こわいPV/在日ファンク

チャン・ギハと顔たちは、韓国のインディ・ロック・バンド。詳しいことはよくしらないけれど、韓国のインディ・バンドとしては有名なようだ。


1集収録曲(2集活動時の演奏)チャン・ギハと顔たち(장기하와 얼굴들) - 何事もなく暮らす 2【Korean Psychedelic Rock】

在日ファンクとチャン・ギハと顔たちは、どういう経緯か意気投合をして、一緒にソウル、東京、大阪でライブをすることになった。

私はもともと在日ファンクのファンだった。前にも書いたようにチャン・ギハと顔たちはあまりよく知らなかったけれど、彼らが意気投合するのだから、いいバンドだろうと思っていた。在日ファンクはファンク、チャン・ギハと顔たちはロックとジャンルは異なるけれど、かっこいいサウンドにくだらない歌詞という私が大好きな方向性は共有されていて、どちらのライブも存分に楽しめた。

在日ファンクはすなおに楽しめるけれど、ブルーノ・マーズにわだかまるのはなぜだろう

ブルーノ・マーズの新譜"24K Magic"を聴いて、なんというか、微妙な気分になった。今回の新譜は、ブルーノ・マーズが好きなファンクを、彼なりの味付けをして提供するというコンセプトなのだろう。例えばこの"Perm"という曲、ジェイムス・ブラウンのスタイルで作られており、しかし、ジェイムス・ブラウンそのままではなくて、現代でもヒットするように仕立て上げられている。


Bruno Mars : Perm 24K MAGIC - Lyric Video

在日ファンクもジェイムス・ブラウンのモノマネといえばモノマネだけれども、すなおに楽しめる。しかし、なぜかブルーノ・マーズにわだかまってしまうのはなぜだろう。

別にブルーノ・マーズジェイムス・ブラウンをバカにしている訳ではないし、単にパクってメシの種にしようとしている訳でもなく、実際に彼の音楽が好きだということも伝わってくる。そして、非常によくできている。

しかし、この"24K Magic"を聴いていると、聴いたことがあるような音楽、しかし現代的にブラッシュアップされている、次から次へと流れてくるが、さっぱり楽しくならなない。ああ、ロジャーね、それで今度はJBで、お次はマイケルか、としらじらと思ってしまう。

別に音楽にたずさわる人はアーティストたれ、とは思わないけれど、現代で最も予算をかけ自由に仕事ができる立場にあり、しかも才能あふれるブルーノ・マーズが作るものがこれなのかよ、という気持ちになってしまう。たしかによくできている。しかし、単によくできているだけ、とも言える。 

附論:ブルーノ・マーズとピコ太郎の世界

タイトル・チューンの"24K Magic"のPVを見たとき、あっ、これってピコ太郎と世界観が同じじゃん、と思った。


Bruno Mars - 24K Magic [Official Video]

ちなみに、ピコ太郎のPPAPはこんな感じ。


PPAPロングバージョン【ピコ太郎】

もちろん、ブルーノ・マーズはおもいきりお金をかけた上でねらったチープさで、ピコ太郎は実際にチープなねらったチープさだけど、世界観は同じだ。今回、PPAPが流行ったきっかけはジャスティン・ビーバーリツイートしたからだけど、それはただの偶然ではなかったのだと思う。

"The President":トランプ大統領のリアリティ・ショー

メリル・ストリープクリント・イーストウッドを「正す」

大統領選挙をめぐるクリント・イーストウッドメリル・ストリープのやりとりが、今回の両陣営の関係を象徴していたと思う。

クリント・イーストウッドは、エスクァイアのインタビューで次のように答えている。

ESQ: But if the choice is between her and Trump, what do you do?

CE: That's a tough one, isn't it? I'd have to go for Trump … you know, 'cause she's declared that she's gonna follow in Obama's footsteps.

(引用者訳) 

エスクァイア:でも、彼女(ヒラリー・クリントン)とトランプの選択になったら、どうしますか?

クリント・イーストウッド:そいつは、究極の選択だよね。トランプにせざるを得ないだろう、だって、彼女はオバマの足跡をたどるって宣言してるし。

www.esquire.com

www.esquire.com

クリント・イーストウッドは、積極的にトランプを支持する、とまでは言っていないし、かつては共和党大会でスピーチをしたこともあったけれど、今回は登壇していない。あくまでも、どちらを選択するかといわれれば、ドナルド・トランプだと言っているに過ぎない。彼はリバタリアンで、一貫して共和党を支持しているから、ヒラリー・クリントンに投票できないということは十分理解できる。 

クリント・イーストウッドがトランプに投票するらしいという話を聞いたメリル・ストリープは次のようにコメントした。

'I didn't know that. I'll have to speak to him. I'll have to correct that!'

(引用者訳)

「知らなかったわ。彼と話さなきゃ。それは正さないと」

www.dailymail.co.uk

"correct that"をどう訳すか迷うところだが、いずれにせよ、メリル・ストリープには自分が正しく、クリント・イーストウッドが間違っている、という認識があるのだろう。

メリル・ストリープヒラリー・クリントンを強く支持するのはよく理解できる。そして、ドナルド・トランプに投票するという人に対してヒラリー・クリントンに投票するよう説得するのも当然だと思う。しかし、一人の独立した大人であるクリント・イーストウッドの判断に対して、"correct"できると考えるのは少々思い上がっているのではないかと感じる。

ドナルド・トランプに投票した人たちの多くは、おそらく、クリント・イーストウッドと同様に、ドナルド・トランプに問題が多いことは理解しているけれど、ヒラリー・クリントンに投票するという選択肢はないと考えたのだろう。

一方、ヒラリー・クリントンの支持者から見ると、ドナルド・トランプに投票することなど論外で、彼の支持者の気持ち、考え方がまるで理解できない、ということなのだろう。

 わかりやすいヒラリー・クリントン、わかりにくいドナルド・トランプ

ヒラリー・クリントンは本心を語っていないので信頼できない、一方、ドナルド・トランプは自分の考えをあけすけに語っている、という評価がある。

たしかに、選挙期間中、ヒラリー・クリントンは繕っていて本心を語っていなかったと思う。そして、敗北宣言後のスピーチでは、ようやく落胆した気持ちについて素直に語っている。

www.huffingtonpost.jp

しかし、ヒラリー・クリントン自身が本心を語っていなくても、彼女の気持ちは見え見えだったように思う。少なくとも私にとっては彼女の気持ちはわかりやすかった。以下のエントリーでは私が想像した彼女の本心について書いてみた。

yagian.hatenablog.com

彼女に比べると、ドナルド・トランプは「繕って」はいないように見えるけれど、その放言のどこまでが本心なのか見極めづらかった。結局、彼はなんのために大統領選挙に立候補し、大統領になったら何をやりたいのかよくわからなかった。

そこで、現段階ではトランプについて書かれた本のなかで、最新かつ詳細、客観的なものと思われるワシントン・ポストの記者による「トランプ」を読んでみた。

以下、この本で印象に残った記述を引用しながら、今後ドナルド・トランプがどのような大統領になるのか考えてみたい。

トランプ

トランプ

 

 ドナルド・トランプとは何者か

 まず、ドナルド・トランプとは何者か端的にまとめるた記述を引用したい。

「トランプ」が意味するのは、野心、富、そして成功を体現することだというメッセージを送りつづけた。トランプの戦略の中には失敗したものもあれば、大金を生み出したものもあったが、すべての中心には、トランプのアイデンティティである「交渉の達人」という入念につくりあげられたイメージがあり、また、成功の原動力となるのは、スタッフや会社ではなく、トランプ自身だという主張があった。(p166) 

ドナルド・トランプは称賛であれ批判であれ、注目されるのはよいことだと考えている。自分のイメージそのままがブランド・イメージになるため、自分そのものがブランドだという信念で生きてきた。(p14)

この記述のなかで、「交渉の達人」と「ブランド・イメージ」という言葉がキーワードだと思う。 

「交渉の達人」としてのドナルド・トランプ

まず、「交渉の達人」の方から考えてみたい。

彼のキャリアは不動産ビジネスから始まっている。新しい商品を作って価値を創造する製造業と違って、彼の不動産ビジネスでは、「安く買って高く売る」ということが中心にある。だから、彼が儲けるためには、安く売る人、高く買う人が必要で、誰かが損をすることになる。だから、ドナルド・トランプの世界は、必然的に

 勝者と敗者しか存在しないトランプのゼロサム的世界(p239)

になる。そして、「ゼロサム的世界」で収益を上げるためには「交渉の達人」であることが必要になる。

ドナルド・トランプがほんとうにすぐれたビジネスマンか、大金持ちなのか、という疑惑があるが、同様にほんとうに「交渉の達人」なのかはわからない。

確かなことは、交渉に勝つためにはどんなことでもすることだ。今回の大統領選挙戦と同様に、嘘もつくし、誇張もする。かんたんに前言を翻す。訴訟に訴え、執念深く交渉をする。楽な交渉相手ではないことは確かだ。

一方、大きな勝利を得るために、時として、リスクを無視した大博打をうち、冷静な損得勘定ができなくなることがある。彼は、複雑な交渉の末に、アトランティック・シティの巨大カジノを手に入れた。このことがビジネスマンとしてのドナルド・トランプを有名にすることに役立った。「戦利品」としてのカジノを豪華に飾り立てることには熱心だったが、カジノの運営にはあまり熱意がなく、また、手に入れる時に大きな負債を背負い、結局は倒産してしまう。

そのようなスタイルゆえに、数回の倒産を経験し、また再起をする、という波が大きいビジネスを繰り広げている。大統領になっても、リスクの大きい大勝負をかけて、大きな成功と大きな失敗を繰り返すかもしれない。

交渉のための「イメージ」づくり

また、彼は「ブランド・イメージ」を重視する。

たとえは悪いが、暴力団を想像するとよいと思う。彼らが交渉で利益を得ることができるのは、いざとなったら暴力を振るうことをためらわない、法に触れることを含めてなんでもする、というイメージがあるからだ。そのイメージを保つために、実際に暴力を振るうこともあるが、毎回暴力を行使するわけではない。重要なのはイメージの方だ。

ドナルド・トランプは、好評も悪評も含め注目されることを目指す。注目されることが好きだ、ということもあるだろうけれど、「交渉の達人」であるためには、悪評も含め交渉に勝つためにはなんでもするというイメージが重要なのだろう。

アトランティック・シティのカジノの倒産の後、雌伏の期間を経て、テレビ番組「アプレンティス」に出演することで復活を遂げる。テレビ関係者によれば、彼がタレントとして才能に恵まれているのは確からしい。

『アプレンティス』によってトランプは、困難な10年間をくぐり抜けてきた自慢屋の大金持ちから、率直さを魅力とする、アメリカの成功神話の伝道者へと変貌を遂げ、視聴率というトロフィーを巡るレースの勝者になったのだ。(p302)

 そして、彼の「ブランド・イメージ」が全米規模に広がるとともに、不動産取引からビジネスの形態が変わっていく。

一銭も出さずに名前だけをライセンスするというやり方をとることで、トランプはたとえ事業が失敗した場合でも、たいていは相当な利益を手に入れることができた。

…自分の名を冠していはいるものの、自らの資金を必要としない事業体を多数つくるのである。

 ブランドこそがトランプの本業だ。(pp311-312)

 「トランプ」の名前が冠してあるビルや開発事業も、必ずしもドナルド・トランプ自身が出資している訳ではない。「トランプ」というブランドをライセンスしている場合が多い。彼の「富豪」というイメージや、マンハッタンの「トランプタワー」の豪華なイメージによって、「トランプ」の名前を冠したビルの不動産価値が上がり、販売が促進される(こともある)。

「アプレンティス」を中心として、トランプ一家が露出し、有名になることで、ブランド・ライセンス・ビジネスの価値を高めることになる。

そういう「悪評」が「交渉の達人」というイメージを高める。

 何のために大統領選挙に出馬したのか

もちろん、素朴に大統領になってみたい、それによって権力欲、虚栄心が満たされるという側面もあるだろう。しかし、最大の理由は、大統領選挙に出馬し、さらには米国大統領になることで「トランプ」というブランドの価値が最大化されることにあるように思える。

ドナルド・トランプのロシアでのビジネス・パートナーは次のように語っている。

エミンが言うには、大統領選出馬はトランプのビジネスにも好材料になるとのことだ。「たとえば大統領になれなくても、自分のブランドを前面に押し出せるおかげで、ブランドの経済価値は三倍に拡大するんじゃないか?」(p314)

 これまで「トランプ」のブランドは、アメリカ国内にとどまっていた。しかし、この選挙戦を通じて、世界的に好評、悪評を含め巨大な注目を集めることで、「トランプ」は世界的なブランドになったことは間違いない。ドナルド・トランプから見れば、このことが最大の成果ではないだろうか。

ドナルド・トランプは、選挙戦を通じてさまざまな放言をしてきた。それらの言葉をどこまで真に受けるべきか、疑心暗鬼になっている人が多いと思う。結局のところ、ドナルド・トランプは、主義、イデオロギーといったものにはあまり関心がないように見える。交渉に勝ち、ブランド・イメージを広めることに関心が集中している。それ以外「このような世界を実現したい」という考えはないように見える。

首席戦略官に任命したスティーブ・バノンは、明らかに人種差別主義者だと思う。ドナルド・トランプは、強い人種差別的な傾向はあるが、スティーブ・バノンのように「主義者」といえるほど人種差別に執着している訳ではない。スティーブ・バノンは「主義者」だから一貫して人種差別的主張をするが、ドナルド・トランプは状況に応じて主張が変わる。

例えば、スティーブ・バノンの「テクノロジー企業の役員にアジアからの移民が多い」という発言に対し、ドナルド・トランプは「ひどい話だ。スティーブ、私たちは慎重に考えなければならない。有能な人はこの国に留まらせておくべきだ」と答えている。これは、この二人の違いを象徴していると思う。

だから、スティーブ・バノンは、遅かれ早かれドナルド・トランプに解任されるだろう。

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ドナルド・トランプがメキシコ移民の排斥を訴えている。このことは、彼が人種差別的な発言、行動をしてはならない、とは思っていないことを示している。しかし、「主義」としてメキシコ移民を排斥しようと考えているとは思えない。アメリカにとってメキシコ移民が有用な状況になったと判断すれば、発言はかんたんに覆るのではないか。

ドナルド・トランプは、アメリカの労働者にとってメキシコからの不法移民がマイナスになっていると考えている。メキシコ大統領との交渉によって、メキシコからの不法移民を減らすことを実現しょうとしている。「メキシコ政府の費用で国境に壁を作らせる」という発言は、その交渉を有利に導くための方策だろう。日本の核武装を容認する発言も、日本の防衛負担を増やす交渉のための方策と考えればいい。

個々の発言を文字通り実現しようとしている訳ではないから、状況に応じて簡単に前言は撤回するだろう。彼の狙いは、自ら各国と交渉することで、アメリカにとって有利な条件を勝ち取ったという成果、ないしは、勝ち取ったというイメージを得ることにある。

ドナルド・トランプは大統領として何をするのか

ドナルド・トランプは、「交渉の達人」というイメージと「トランプ」の「ブランド」価値を高めるように行動するだろう。

いま、大統領のスタッフ候補者は、マンハッタンの「トランプ・タワー」にやってきて、ドナルド・トランプと面接をする。金色のエレベーターの前のロビーにはテレビ・カメラが据え付けられて、誰がやってきたのか撮影している。「アプレンティス」が現実のものとなったような、大統領職はすでに事実上のリアリティ・ショーになっている。実際に大統領に就任した後、"Trump in White House"とか"The President"というタイトルのリアリティ・ショーのテレビ番組が作られてしまうかもしれない。

いずれにせよ、好評、悪評を含め、とにかく世界の注目を集める話題が提供され続けることは間違いない。

そして、国家のトップ同士による大きな取引を実現しようとするだろう。パリ協定やTPPから脱退すると宣言しているが、自分が手がけていない前任者の取引を認めたところで、ドナルド・トランプにとってなんの得にもならないからだ。あくまでも彼自身の手で大きな取引をまとめたという実績、ないしは、イメージがなければならない。

彼は「主義」はない。だから、大きな成果と認められる取引でありさえすればよい。だから、場合によっては、環境や自由貿易分野も交渉の対象になりうるだろう。いま、そういう取引ができる国内の政治基盤が安定している国を考えると、ロシア、中国、日本がターゲットになるのではないか。ヨーロッパは、トップダウンでは交渉が簡単に進む状況にない。

そして、交渉で解決できない領域については、こだわりがないこともあり、その分野の専門家に任せてあまり干渉しないのではないだろうか。

ドナルド・トランプ大統領の後に残されるもの

金ピカの「トランプ」ブランドは、アメリカでは時代遅れになりつつある。世界的なブランドになった「トランプ」は、金ピカのブランドが歓迎される地域、例えば、中国、ロシア、中東などに進出していくだろう。おそらく、中国に各都市にトランプ・タワーがあふれかえることになる。

四年後には、ドナルド・トランプのリアリティショーもいささか辟易されているだろう。そして、あらゆる意味で彼の対極にあり、しかし、個人としての「ブランド・イメージ」を持っているオプラ・ウィンフリー民主党の大統領候補の指名を得て、史上最高の投票率となる大統領選挙となる、と妄想している。

余談:モディ首相のビッグ・ハグに耐えられるか

ドナルド・トランプ潔癖症で握手を嫌うそうだ。たしかに、大統領選挙中も選挙民と握手しているシーンは見たことがない。

インドのモディ首相は、さまざまな指導者とハグをし、全力の握手をする。バラク・オバマとモディ首相のビッグ・ハグは有名だ。

ドナルド・トランプは、モディ首相のビッグ・ハグに耐えられるのだろうか?

www.washingtonpost.com

 

面倒くさい人、バラクに幸多かれ(そして自分も)

ミシェルとバラクと「ドゥ・ザ・ライト・シング

オバマ家にはなぜかずっと関心を持っている。

以前、長女のマリアが反抗期で、公的な行事でもふてくされた態度をとっていたときは、これからどうなるのかずっと気になっていた。その時期には、ミシェルとバラクの仲にも隙間風が吹いていたように見えていた。結局、マリアの大学入学のためにバラクが熱心に動いたこともあり、反抗期を抜けてすっかり落ち着いたようだ。

www.dailymail.co.uk

ミシェルとバラクは私よりちょっと年上だけど、結婚した年が私と同じで、なんとなく同世代感を抱いている。彼らがはじめてのデートで見た映画は、スパイク・リー監督の「ドゥ・ザ・ライト・シング」だという。私はこの映画を恵比寿ガーデンプレイスの映画館で見たことをよく覚えている。この映画ではじめてヒップ・ホップ・カルチャーに本格的に触れ、印象に残っている。自分の同世代の黒人のカップルがはじめてのデートで見る映画にふさわしいなと思う。

以下の記事のなかでミシェルは「彼はインディペンデントの映画を選んで趣味のいいところを見せようとしたんだけど、とってもいい映画だった、すばらしかった」と言っている。バラクの「見栄」がちょっとかわいい。

www.mtv.com

インターネットで検索するとミシェルとバラクの写真はたくさん見つかる。ホワイトハウスに入って以降は、専属カメラマンのピート·ソウザが撮った「すてき」すぎる写真が多い。たしかに「すてき」な写真だけれども、ちょっとかっこよすぎる。私が気に入っているのは、ミシェルとバラクが婚約時代に、バラクのルーツの地であるケニアを訪れたときにとったというこの写真だ。

バラクがこのときから「オバマ・ジーンズ」を履いているのがなかなか笑える。「すてき」すぎる写真と違って、バラクが笑っていないのも印象的だし、対象的にミシェルはかわいらしい。

https://timedotcom.files.wordpress.com/2016/08/barack-obama-michelle-obama-love-story-romance-photos-02.jpg?w=1200&quality=85&h=828

内向的な面倒くさい人

バラク・オバマについて書かれたものを読むと、彼はなかなか打ち解けない人だということがわかる。ジョージ・W・ブッシュは気安い人柄で、誰とでもすぐ打ち解けたようだ。それに比べるとバラクはなかなか「むずかしい人」のようである。小泉純一郎ジョージ・W・ブッシュは、仕事を超えた仲の良さがあったように見える。一方、安倍晋三とバラクは仕事以外の話をしていたようには見えない硬い雰囲気がある。この写真の表情を見ても、気難しさが伝わってくる。

しかし、バラクが心を開く相手がいない訳ではない。オバマ政権の財務長官としてリーマンショックの対応にあたったティモシー・F・ガイトナーは「ガイトナー回顧録」のなかで、バラクと打ち解けることができ、個人的に話し込んだと語っている。

 思うに、バラクはいわゆる「内向的」な人なのだと思う。演説は非常にうまい。しかし、個人的な人間関係づくりは苦手。しかし、限られた人とは打ち解けることができる。「ガイトナー回顧録」を読む限り、ガイトナー自身も内向的な人のように思う。似ているのでウマがあったのかもしれない。

ガイトナー回顧録 ―金融危機の真相

ガイトナー回顧録 ―金融危機の真相

 

 面倒くさい人、バラクに幸多かれ(そして自分も)

私自身、自分が内向的で面倒くさい人という自覚がある。たぶん、私の周囲には、こいつはとっつきづらいなぁ、と思っている人が多いんだと思う。バラクもどうもそう思われているようだ。しかし、ガイトナーのように打ち解けられる人もいるし、そういう人は貴重なだけにいきなり話し込んでしまったりもする。私自身にも似たようなことがある。

 そういう面倒くさい人と付き合っているミシェルは苦労をしたこともあるんだろうなと想像するし、バラクとマリアの関係が難しい時期があったのも当然だとも思う。しかし、そういう時期を乗り越えて、いまのオバマ家は平和な時期を迎えているように見える。

むずかしい人、バラクに幸多かれ(そして自分も)。