ホッブス「リヴァイアサン」:主権国家の成立について

主権国家論」

今年は、民主主義について考えるために、政治哲学に関する古典的な本を系統的に読んでいこうと思っている。その第一弾として、ホッブスリヴァイアサン」を読んだ。

書店の書棚に、岩波文庫版の「リヴァイアサン」の一巻、二巻がならんでいたので、ああ、二巻本なんだ、と思い購入した。解説を読むと、実は四巻本だということが分かった。しかし、現代の民主主義に結びつく論考は、第一部「人間について」(第一巻)と第二部「コモンウェルスについて」(第二巻)を読めば良さそうなので、この二巻を読むことにした。

表題のリヴァイアサンとはコモンウェルスを指している。コモンウェルスとは、ホッブスの用法では、ざっくり主権国家を意味しているので、「国家論」「主権国家論」と訳した方がわかりやすかろう。

リヴァイアサン」に関する教科書的知識としては、「万人に対する闘争」と「社会契約論」ということになるのだろう。実際に読んでみて、それは誤りではないけれど、そこに至るまで人間の認識、思考とはなにかという哲学的な問いかけや、社会契約によって形成されるコモンウェルスの特徴について詳しく記述されている。原書にあたることによって、ホッブスがなにゆえ「社会契約論」に至ったのかその背景や、彼の考える望ましい国家像が理解できる。そして、ホッブス主権国家像と現代で考えられている一般的な民主主義国家像との共通点と相違点を比較することで、現代の民主主義国家像が相対化され、考えを深めることができる。

リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

 

 

リヴァイアサン〈2〉 (岩波文庫)

リヴァイアサン〈2〉 (岩波文庫)

 

デカルトホッブス主知主義と経験主義

しばらく前、デカルト方法序説」を読んだ。デカルトホッブスは同時代人で、お互い面識があったらしい。しかし、仲はよくなかったという。たしかに「方法序説」と「リヴァイアサン」を比較すると、なるほど、基本的な哲学がずいぶん違っていると思う。

デカルトは「我思うがゆえに我あり」ということを、すべての哲学的思考の確実な基礎となる出発点だと考えている。一方、ホッブスは、思考は過去の感覚の記憶の集合体である経験に基づき、感覚は外部の運動の感覚機関への圧迫によって生じると考えており、「思考」がそれほど確実な基礎とは考えていない。

近代思想のごく初期から、大陸の主知主義とイギリスの経験主義の伝統の対立がある、ということがよくわかる。これから政治思想を読み進めていくけれど、主知主義と経験主義の対立がひとつの理解の軸になっていくのだろうと思う。今、私個人としては、イギリスの経験主義に共感しているけれど、古典を読むことによって、その考えが変わらないのか、変わっていくのか、ちょっとわくわくしている。

ホッブスは、絶対善などはなく、自然状態では人々は自己の生存のためには何をしてもよいという自然権を持つと考えている。自然状態では「万人が万人に対する戦争状態」になってしまう。その状態から出発して、個人があくまでも自己の生存を追求することによって、主権国家や平和や道徳ができあがるプロセスを描いている。

これは、個人が自己の利益を追求することで、「神の見えざる手」により一種の秩序、均衡状態に至るというアダム・スミスの発想によく似ていると思う。というか、アダム・スミスホッブスの発想にヒントを得て「神の見えざる手」というアイデアを得たのだろう。 

yagian.hatenablog.com

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

 自然状態の実験場としてのファーストコンタクト

 ホッブスに対して、実際には未開人の社会でも「万人の万人に対する戦争状態」になっていないではないか、そのような自然状態は実在しないのではないか、という批判がある。

この自然状態は一種の思考実験だから、自然状態が実在しなくても、ホッブスの議論が意味がなくなる、というものでもないと思う(それをいうなら、「無知のヴェール」も思考実験である)。しかし、大航海時代の航海記を読んでいると、「未開人」と西洋人がはじめて接触する場合、きわめて自然状態に近い状況が生じているように見える。

西洋人の船がやってきた時、「未開人」側の反応としては、威嚇する、歓待する、接触を避ける、という三つの典型的なパターンがあるように見える。

例えば、ニュージーランドマオリ族はきわめて好戦的なことで知られ威嚇をする、戦闘に発展し、西洋人の船の乗組員が殺される場合もあった。これは、ほぼ戦争状態にあるといえるだろう。

また、タヒチやハワイのように歓待する、というケースもある。マオリ族は自らの安全を守るために威嚇しているのだが、歓待するということも、方法は異なるが自らの安全を守るという目的では共通している。ハワイでは歓待されていたキャプテン・クックが最終的にはトラブルによって殺害されてしまう。いかに歓待されていても一皮むけば戦争状態になりかねない微妙なバランスでなりたっている。遊牧民に外来者を歓待する文化があることが多いが、これも似たようなメカニズムなのだと思う。

オーストラリアのアボリジニは、徹底して西洋人との接触を避けていた。知らない人たちとの接触を避けるのも、これは自然状態で自分の安全を守るためのひとつの方法なのだろう。

民主制の前提条件

ホッブスは、民主制であれ、貴族制であれ、君主制であれ、主権国家では、主権者に権力が集中していることが国家が安定して継続するための第一要件であり、主権国家が国民(臣民)の安全を保証するためには、臣民も主権者に対して従順でなければならない、ということを強調している。

たしかに、独裁制から民主制に移行することに失敗している国を見ていると、投票で代表者を選出すれば民主制が成立しているわけではないということを痛感する。投票で代表者を選出する以前に、その民主制に対する従順、服従という意識が共有されなければ、安定した民主国家にならない。例えば、政敵が当選した場合、民主制以外の方法、例えば、軍事的なクーデターによって政権を転覆しようとは考えない、とか、また、政権を握った側も政敵を超法規的に迫害をしない、とか、選挙のルールは守るべきだという意識が共有されているとか、国民に民主制や法の支配を尊重すべきという共通意識がなければ安定した民主制は成立しない。

次は時代をさかのぼって、マキャベリ君主論」を読んでみようと思う。

リヴァイアサン第一部、第二部」要約

序説
  • 国家(コモンウェルスリヴァイアサン)が、どのようにして作られるか、主権者の権利、権力、権威とは何か、何がそれらを維持し、解体するのか、について考察する。
第一部人間について
  • 人間の思考の根源は感覚である。感覚とは、外部の物体の運動による感覚機関への圧迫によって喚起される。
  • 感覚は距離や時間の経過とともに薄らぐ。この薄らぐ感覚をイマジネーションと呼ぶ。過去に関するイマジネーションが記憶であり、記憶の集合が経験である。
  • 人は全部あるいは一部を感覚したことがあるものごとしか思考できない。人の思考は、ひとつの思考から次の思考、さらにその次の思考は、一定の系列をなす。未来や過去に関する思考の系列を推測と呼ぶ。
  • 人は、ことばによって思考を記録し、想起し、公表することができる。人が話を聞きいた時、その語と語の結合が表現する思考を自らも持った場合、理解したという。
  • 行為はつねに先行する思考に依存している。行為の結果に向けられた思考が欲求、意欲であり、あるものから離れることを目的とした思考が嫌悪である。当人にとっては、欲求、意欲の対象が善であり、憎悪の対象が悪である。善悪は対象自体の本性から引き出されるものではなく、対象を使用する人格に関わるものである。
  • 推理とは、名辞と名辞を結合し、その総計を概念することである(例えば、二つの名辞を結合し断定をつくり、二つの断定を結合し三段論法をつくるように)。推理の誤りは、出発点の名辞の定義が誤っていたり、適切な語を用いず比喩などの修辞を用いることなどによって生じる。
  • 推理が語の定義からはじまり、語の結合による断定、断定の結合による三段論法に進むプロセスを科学と呼ぶ。推理が語の定義から始まらないときは、その終末は信仰と呼ばれる。
  • 知力には経験によって獲得されるものと、方法、訓練、指導によって獲得されるものがある。後者は、推理である。前者は、ものの類似性を見出す想像力と、ものごとの間を区別、識別、判断する判断力に分類できる。すぐれた知力においては、判断力が不可欠である。高い知力には知識への意欲が必要だが、過剰な意欲、情念は狂乱をもたらす。
  • 知識には事実についての知識と、ひとつの断定から他の断定への帰結についての知識がある。前者は感覚と記憶そのものであり、この種の知識の記録は、自然を対象とした自然史、コモンウェルスのなかの人びとの行為を対象とした社会史に分類できる。後者は科学である。
  • 力とは、善(自らの利益)を獲得するための道具であり、身体的な能力、容姿、財産、評判、友人などが含まれる。人間の力で最大のものは、コモンウェルスの力のように多数の人びとの同意による力の合成である。人の価値は、その人の力の使用に対する他者の評価であり、状況によってその価値は変化する。他者の価値の評価を表明することを名誉(もしくは不名誉)を与えることと呼ぶ。
  • 道徳哲学者が主張していた究極目的、至高善といったものは存在せず、人はそれに向かって生きているのではなく、死ぬまで休むことのない力への意欲によって行為し続ける。
  • 人は原因を追い求めるが、究極の原因に到達することができず、永続的な恐怖に苛まされる。そして、究極の原因を神と考えるようになり、宗教が発生する。コモンウェルスの統治者たちは、戒律が彼ら自身の案出ではなく、神による命令だという信仰を民衆に刻みつける。また、民衆自身が不幸になったときは、統治者の誤りではなく、民衆自身の儀式における怠慢、法に対する不従順に帰すように促す。
  • 人びとは肉的的にも精神的にはおおむね平等である(精神の平等性を否定する人は自分の能力にうぬぼれている)。このため、各人が目的達成を目指す過程で競争、不信が生じる。その結果、共通の権力がなければ、各人の各人に対する戦争状態となる。共通の権力のないところには法はなく、法がなければ不正の観念はない。このような戦争状態においては、なにごとも不正ではない。
  • 自然権とは、人は生命を維持するために自らの力をどのようにでも使用できる自由である。人は他者の身体を含め、あらゆるものに対して権利を持っている。しかし、この権利を保持する限り各人の各人に対する戦争状態が継続する。このため、理性によって導き出される自然法として「人は平和と自己防衛のために必要と思い、他の人が同じように思う限り、この権利を進んで放棄し、他の人が許すであろう自由を持つことに満足すべき」である。しかし、他の人が同様に権利を放棄しようととしないならば、自らの権利を放棄する理由はない。
  • 相互に権利を放棄することを保証するために、「人びとは結ばれた信約を履行すべき」という自然法が導出される。この自然法のなかに、正義の起源があり、信約を履行することが正義であり、信約の不履行が不正義である。しかし、信約はいずれの側に不履行の恐れがあれば無効であるため、信約の履行を強制するコモンウェルスの設立が前提となる。
  • 人格とは、行為を代表するものである。自らの行為を代表する場合は自然的人格、他人の行為を代表する場合は仮想、または、人為的な人格である。代表者の信約は、彼が代表する他人も含めて拘束する。
第二部コモンウェルスについて
  • 外国人の侵入や相互の侵害から防衛し、安全を保証するための共通の権力を樹立するには、ひとりの人間まはた合議体に、自分たちの人格をになわせ、その意志、判断に従う必要がある。こうして一人格に統一された群衆は、コモン-ウェルスと呼ばれる。この人格を担うものは主権者と呼ばれ、他のすべてのものは臣民である。
  • 内乱にともなう悲惨さ、災厄をさけるためには、主権者には人びとの手が強奪と復讐に向かわないように束縛する強制権力が必要である。そのため、主権者権力は剥奪されえず、臣民によって処罰されず、立法、司法、軍事に関する権利を持ち、それらの権利は分離されえない。
  • コモンウェルスの形態は、一人の人が主権者になる君主政治か、一部の人による合議体が主権者となる貴族政治か、すべての人による合議体が主権者となる民主政治のいずれかである。人は自らの私的利益を求めるため、コモンウェルスの共通利益と私的利益が最も一致する形態が望ましい。君主政治では、君主の私的利害はコモンウェルスの繁栄であり、貴族政治、民主政治より望ましい。君主政治が特定の寵愛者の利益を優先することがあるが、同様のことは民主政治でも起こりうる。また、合議体は多数派の利益に影響され、少数派の利益が保護されにくい。
  • コモンウェルスには、参加者自らが信約によってコモンウェルスを「設立」するケースと、戦争での敗北者の勝者にまたは子の親に対する信約によって「獲得」されるケースのふたつがある。「獲得」の場合でも、敗北者、子は自らの生命の安全を得るための信約によってコモンウェルスへの参加するのであり、主権者の権利は「設立」のケースと変わりない。
  • 自由とは、自らの能力・意志でなしうることを妨げられないことである。コモンウェルスの臣民は、市民法の範囲内で自由である。また、主権者が自分たちに危害を加えようとするときは、服従しない自由を持つ。
  • 人びとの集団・組織のうち、絶対的に独立しているのはコモンウェルスだけで、それ以外は主権者権力に従属しており、コモンウェルスの法、証書などに基づいている。組織・集団は、代表者をもつ正規のものと、代表者を持たない非正規のもの、属州などの政治的なものと家族などの私的なものがある。コモンウェルスに反対する組織、諸分派などは、主権者が人びとを保護することを妨げるため不正、違法である。
  • 主権者によって、ある業務において、コモンウェルスの人格を代表する公共的代行者が置かれることがある。例えば、属州の総督、税の徴収、司法権を与えられた裁判官などである。
  • 自然状態では、人びとはあらゆるものに対する権利を持っている。コモンウェルスの成立によって、臣民は他の臣民の権利を排除した所有権が確立する。主権者は、土地や貿易の割り当てを恣意的に分配することができる。
  • 命令は命令者自身の利益に向けれられたもので、忠告は忠告の相手の利益に向けられたものである。よい忠告を得るためには、忠告者と忠告の相手の利害が相反しないことが好ましい。また、忠告のためには経験が必要であり、精通しかつ省察してきた領域においてのみよい忠告ができる。合議の場で忠告を受けることは好ましくなく、望ましい決定を得るためには、個別に忠告を受けひとりで決定を下すことが望ましい。
  • 民法とは、コモンウェルスの主権者の臣民に対する命令であり、主権者が立法者である。法の本質は文字ではなく意図にあるため、法の運用には解釈を要する。法の解釈は主権者が任命する人(裁判官など)にのみ行うことができる。法には、理性に基づく普遍的な自然法と主権者の意志によって法にされた実定法がある。
  • 罪とは、法が禁止した行為の遂行、発言だけでなく、法を侵犯する意図、決意も含まれる。犯罪は、法が禁止した行為の遂行、発言であり、裁判官の論証の対象となる。主権者権力がなくなり、市民法がなくなると、犯罪もなくなる。
  • 処罰とは、法の侵犯に対し、人々の意志が従順へ向かうことを目的として、公共的権威によって課される害である。コモンウェルスが敵に対して戦争をすることは、自然法に基づき合法であり、臣民でない人に対する害は処罰ではない。
  • コモンウェルスは不完全な設立によって解体がもたらされる。例えば、絶対的権力の欠如や権力の分割はコモンウェルスの弱体化、解体の原因となる。
  • 主権者の職務は人民の安全の達成である。この安全とは、生命の単なる維持ではなく、合法的な勤労によって自己のものとして獲得する満足も含む。その目的の達成のためには、主権者はその権利を手放してはならず、人民を主権者に従順であるよう指導しなければならない。また、平等な租税、公正な裁判、人民の安全という善にかない意図がわかりやすい法の立法、自己の労働で自己を維持できない人に対する公共的慈恵などがある。

Peter Stark "Astoria”:北米太平洋岸のグローバリゼーションの歴史

北米太平洋岸のグローバリゼーションの歴史 

夏休みに旅行したポートランドで買ったPeter Stark "Astoria"という本を読み終わった。この本は、19世紀前半、ジョン・ジェイコブ・アスターという事業家が、オレゴン州ワシントン州の州境を流れるコロンビア川の河口にアストリアという植民地を作ろうとし、最終的に失敗に終わるエピソードについて書かれたものである。 

なぜそんな本を読もうとしたのか。説明しょうとすると少々長い話になる。

このブログで何回か書いたけれど、いま、グローバリゼーションの歴史について追いかけている。

15世紀後半に端を発する大航海時代よりヨーロッパの船が探検を進め、世界の各地域がヨーロッパを中心とする交易のネットワークに組み込まれていく。ざっくりいえば、そのプロセスがグローバリゼーションの歴史ということになる。

カリブ海イスパニョーラ島、中米のアステカ帝国、南米のインカ帝国は、グローバリゼーションの歴史のごく初期に交易のネットワークに組み込まれた。日本は、ポルトガル人の種子島への漂着が16世紀中頃、鉄砲の流入キリスト教の布教が戦国時代の様相を大きく変えた。

そして、この北米太平洋岸は、いちばん遅くまでグローバリゼーションから取り残された地域だった。最終的には、19世紀中頃にゴールドラッシュが起きて劇的な形でグローバリゼーションに巻き込まれる。この本では、ゴールドラッシュ以前の時代において、西洋人が北米太平洋岸に進出しようとしたごくささやかな試みを扱っている。しかし、ささやかな試みではあるけれど、その背後には世界全体を対象とした、まさにグローバルな構想があり、グローバル化を考える上で絶好の材料を提供していると思う。

毛皮を求めたアメリカの西進

19世紀初頭以前、北米太平洋岸に近づいていた西洋の勢力は、スペインとロシアだった。

スペインは中南米を植民地としていたが、太平洋岸は現在のカリフォルニアまで進出していた。この当時、すでにスペインは植民地を拡大する力を失っていたし、北米太平洋岸には事業が成立するような資源があるとは考えていなかった。皮肉なことに、彼らは北カリフォルニアの金鉱にはまったく気がついていなかった。ロシアは、先住民との毛皮交易を進めながら、カムチャッカ半島アリューシャン列島を経て、現在のアラスカまで進出していた。しかし、その事業も大きな収益を上げるまでには至っていなかった。

1770年代後半、ジェームズ・クックの第三回航海が行われ、現在のアメリカからカナダの太平洋岸が探検測量される。ジェームズ・クック本人は、航海の途中、ハワイで先住民とのトラブルで殺されてしまうが、北米太平洋岸での交易で得たラッコの毛皮が中国で非常な高値で売れることを発見する。そして、航海記録の発刊とともに、その事実が広く知られることとなる。

これとほぼ同時期にアメリカ合衆国が独立する。当初のアメリカ合衆国は大西洋岸の地域に限定されており、シエラネバダ山脈を挟んだミシシッピ川流域はフランス、現在のカナダ東部の地域はイギリスの植民地だった。そして、北米太平洋岸には、スペイン以外の恒久的な植民地はなく、帰属も定まっていない状態だった。

ジョン・ジェイコブ・アスターのグローバルな三角貿易とアストリア

ジェファーソン大統領時代、ナポレオン・ボナパルトのフランスは、シエラネバダ山脈以西、ミズーリ川沿岸の地域の植民地を維持することが難しいと考え、1803年にアメリカ合衆国に売却した。ルイジアナ買収と呼ばれている。これ以降、ジェファーソン大統領は、アメリカの西への拡張、探検を積極的に進め、ルイス&クラークの探検隊がアメリカ人ではじめて陸路を通って太平洋岸まで到達する。

ドイツから移民し、ニューヨークで貿易と不動産業で成功していたジョン・ジェイコブ・アスターは、ジェファーソン大統領に共感し、北米太平洋岸のラッコの毛皮に目をつけグローバルな事業を構想する。ニューヨーク、ロンドンで工業製品を仕入れる。南米南端のホーン岬を超え、太平洋に到達し、北米太平洋岸でネイティブ・アメリカンと工業製品(鉄製品、毛織物、ビーズなど)と交換で毛皮を手に入れる。この交易を大規模に行うために、コロンビア川河口部に根拠地を作る。太平洋を横断して中国で毛皮を売り、茶、陶器、絹製品を仕入れ、ニューヨーク、ロンドンで売却する。

この事業を実現するために、コロンビア川河口の根拠地建設のために、アスターはパシフィック・ファー・カンパニーを設立し、陸路と海路それぞれの遠征隊を派遣する。

アストリア根拠地建設の困難と失敗

このコロンビア川河口の根拠地はアスターの名を取ってアストリアと呼ばれていた。アスターは周到な事業家で困難は予測し、対応していた。しかし、予測を超える困難な条件があった。

ルイジアナ買収から年月が経ていないことからわかるように、アメリカ合衆国と中西部の関わりはまだ薄かった。中西部でネイティブ・アメリカンとビーバーの毛皮の取引が行われていたが、それは現在のカナダに移住したフレンチ・カナディアンとスコットランド人が担っており、その多くがモントリオールに本社を置くノース・ウェスト・カンパニーに関わっていた。アスターが遠征隊を編成するとき、彼らの多くを雇わざるを得なかったが、ライバル会社のOBで、米英関係が緊張するとともに、彼らの忠誠心を十分信頼できなくなる。

陸路の遠征隊は、パシフィック・ファー・カンパニーの株主でもあるウィルソン・ハントが隊長を務めた。彼は管理者としては有能で、アスターへの忠誠心は確かだったけれど、探検、遠征の経験がなく、最善の決断を下すことができなかった。セントルイスを出発した遠征隊は、ルイス&クラークの探検隊のルート通りにミシシッピ川をカヌーで遡上した。しかし、その途中を勢力圏とするブラックフット族が白人に対して敵意を持ち、きわめて戦闘的なため、ミシシッピ川から騎馬と徒歩でロッキー山脈を越えるルートを選択した。道案内人を得ることができないまま未知のルートを進み、ロッキー山脈の山中で冬を迎えることになる。生き延びるために遠征隊は分裂する。

海路の遠征隊は、ジョナサン・ソーンが指揮するトンキン号で南米ケープホーンを周回し、ハワイで補給をした後、コロンビア川河口に向かう。ソーンは米国海軍の元軍人で、きわめて厳格、頑固であり、乗船していた毛皮商人、事務員たちとのおりあいが悪かった。海の難所であるコロンビア川河口の砂州で乗員を失ったが、なんとか目的地に到着し、仮の砦を作ることができた。

陸路の遠征隊の消息はわからないまま、トンキン号はバンクーバー島ネイティブ・アメリカンと毛皮の取引に行く。ソーンはネイティブ・アメリカンとの接触の経験がなく、乗船していた毛皮商人の警告を無視した結果、取引をしていた部族から奇襲攻撃を受け、ほぼ全員が殺戮されてしまう。アストリアの砦にいた遠征隊の留守部隊は、トンキン号が帰ってこないことを不審に思っており、ネイティブ・アメリカンたちからの噂としてトンキン号遭難を知る。

その後、ハントの遠征隊はアストリアに到着することができた。しかし、ナポレオン戦争の影響で、1812年にイギリスとアメリカの間で戦争が始まる。パシフィック・ファー・カンパニーのライバルのノース・ウェスト・カンパニーは、イギリス本国にアストリアへ軍艦を差し向けるように働きかけ成功する。一方、アスターもアメリカ政府に軍艦を派遣することを要請するが、当時の米国海軍はきわめて脆弱でその余裕がない。そこで、アスター自身が自費で武装船を派遣する。しかし、熟練した海員が不足していたこともあり、その船はハワイで難破してしまう。

結局、イギリスの軍艦に対して対抗する手段がなくなったアストリアの砦は、パシフィック・カンパニーからノース・ウェスト・カンパニーに売却されることになった。遠征隊のなかの一部の人たちはそのままノース・ウェスト・カンパニーに移籍し、その他の人たちは陸路もしくは海路を通ってアメリカの東海岸に戻っていった。 

現在のアストリア

 去年の夏のポートランド旅行のとき、レンタカーを借りてアストリアと太平洋岸まで日帰りのドライブをした。

アストリアの町のすぐ裏が小高い丘になっていて、コロンビア川の河口から海までを一望できる。最近、帆船時代に栄え、開かれた港町をめぐっているけれど、どこでもかならずすぐ裏手にこのような丘がある。オレゴン州の太平洋岸は自然に恵まれたリゾート地になっていて、アストリアはその入口になっている。

ポートランド周辺は晴れていたけれど、アストリアまでくるとどんよりとした雲が垂れ込めていた。丘から見た風景は、まるで墨絵のような景色になり、夏でも肌寒かった。この気候の土地で越冬するのは辛いだろうと思う。

また、アストリアにはコロンビア川海事博物館があり、展示が非常に充実している。アスター以降のアストリアをめぐる歴史がよく理解できる。

Columbia River Maritime Museum | Astoria, Oregon

「リッチな一族はそれぞれの仕方でリッチである」:Kevin Kwan "Crazy Rich Asian"

グローバリゼーションと華人華僑

このブログのなかでも、ここ数年、グローバリゼーションの歴史について追いかけている、ということ書いたことがある。

グローバリゼーションというと範囲が広すぎるので、暫定的に追いかけているテーマを絞り込んでいる。いまは、18世紀末から19世紀前半にかけて太平洋岸の北アメリカがグローバリゼーションに組み込まれていく歴史と、16世紀以降大航海時代にヨーロッパ人の到来によって東南アジアの華人華僑のネットワークが成立する歴史を追いかけている。

今日のこのエントリーでは、後者の華人華僑のテーマについて書こうと思う。

Kevin Kwan "Crazy Rich Asian"

去年の夏休み、アメリカオレゴン州ポートランドに旅行した(この旅行の目的のひとつは、上に書いた北アメリカ太平洋岸のグローバリゼーションの歴史の現場を訪問することだった)。ポートランドには、Powell's Booksという有名な書店があり、そこに平積みされていたKevin Kwain"Crazy Rich Asian"という本にピンときて衝動買いをした。なかなか読み進められなかったけれど、この正月休みに集中して、一気に読み終えた。

Powell’s Books | The World’s Largest Independent Bookstore

Crazy Rich Asians

Crazy Rich Asians

 

この本は、題名の通り、「クレイジー」なほどリッチな、華人華僑たちのコミュニティを物語である。

主人公は、ニューヨークの大学に勤める経済学の教授レイチェル・チューと、同じ大学の歴史学の教授ニック・ヤングのカップルである。レイチェルは貧しい中国人移民二世、ニックは(レイチェルに素性を隠していたけれど)シンガポールの「クレイジー・リッチ」な資産家の相続人である。

ふたりともニューヨークでは洗練されたインテリ同士のカップルとして付き合っている。シンガポールでニックの(これもまた「クレイジー・リッチ」な)親友の結婚式があり、それを機会にして、ニックはレイチェルをシンガポールに招待する。

ニックは、「クレイジー・リッチ」な資産家の相続人であり、彼の妻の座を狙う人には事欠かないし、また、彼の家族も将来の妻の候補の素性について彼らなりの価値観であげつらい、二人はさまざまな騒動に巻き込まれる。

この小説の筋立ては軽いメロドラマだが、そこで描写される「クレイジー・リッチ」な華人華僑たちの生活、考え方がじつに興味深い。

リッチな一族はそれぞれの仕方でリッチである

 トルストイアンナ・カレーニナ」の冒頭に「すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。 」とある。この"Crazy Rich Asian"に出てくる「クレイジー・リッチ」な華人華僑たちは、リッチのあり方が多様で、「それぞれの仕方でリッチ」である。

アンナ・カレーニナ〈上〉 (岩波文庫)

アンナ・カレーニナ〈上〉 (岩波文庫)

 

 彼らのリッチさの仕方は、主として、その一族がいつの時代にリッチになったかによって決まる。

主人公のニック・ヤングは、三世代前にはすでに「クレイジー・リッチ」になっており、一族は(集合住宅が主体で大きな邸宅を構えることが困難な)シンガポールに壮麗な邸宅を構えている。一族は純然たる資産家で自ら事業をすることはないし、自ら資産運用も行っていない。そのままで十分「クレイジー・リッチ」なため、資産を見せびらかすようなことはせず、ひと目につかないように洗練された生活を送っている。

19世紀に苦力として東南アジアに移民し、その後シンガポールで建設業として成功した一族は、いまだに勤勉であることに価値を見出し、一族で建設会社を経営している。儲かるチャンスは抜け目なく狙い、ブランド品には目がなく、金持ちであることは見せびらかしている。しかし、地に足がついた現実性もある。

外科医として成功し、セレブリティの一員となっているけれど、もともとの質素な家、生活ぶりを守っている。その息子は、父親が「貧乏くさい」生活をしていること、また、質素を旨とする考え方が気に入らず、より派手な生活をしたいと考えている一族もある。

シンガポールの資産家一族は、大陸出身のここ10年ぐらいで成り上がった一族を軽蔑している。一方、大陸出身の新しい「クレイジー・リッチ」な一族は、キッチュな、奇想天外な贅沢さを見せびらかす。

また、シンガポールでIT企業を起業し、香港、中国本土を忙しく行き来しながら、将来「クレイジー・リッチ」となることを目指している人もいる。

華人華僑の国際性

華人華僑たちのコミュニティは国境を超えて広がっている。

この小説の主人公はそれぞれ中国本土とシンガポールにルーツがあり、現在はニューヨークに住んでいる。彼らのコミュニティは、ロンドン、パリ、そして、シドニーやヴァンクーバーにも 広がっている。もちろん、クアラルンプール、香港、台湾、上海、深センにもつながりがある。

それぞれの都市をプライベートジェットで移動し、投資をし、事業を拡大し、買い物をし、リゾートを楽しむ。

ただ、"Crazy Rich Asian"には東京と北京は登場しない。「クレイジー・リッチ」な華人華僑にとって、東京や北京はあまり居心地のよいところではないのかもしれない。

「クレイジー・リッチ」ゆえの不幸

 この小説は「通俗的」なメロドラマではある。

しかし、「クレイジー・リッチ」な男性と、彼との結婚を夢見る女性の物語ではない。「クレイジー・リッチ」な資産家でありながら、地に足が付いた(down to earth)な女性を求める男性(ないし女性)と、自立した知的な女性(ないし男性)の物語である。

この二人の間の障害になるのは、主として男性(ないし女性)の「クレイジー・リッチ」さと、それに付随する「クレイジー」な人間関係にある。

ニックとレイチェルがニューヨークで大学の教員同士だったときには関係がうまく行っていたが、彼が「クレイジー・リッチ」であることが明らかになり、そのコミュニティの人たちが登場するにつれて、レイチェルは彼に付随する「クレイジー・リッチ」性がうとましくなってくる。そして、レイチェルから別れ話を切り出すことになる。

リッチな一族はそれぞれの仕方でリッチであり、時として、そのリッチさが不幸の源となることもある。

前近代と近代の狭間:谷崎潤一郎「細雪」雪子と妙子

日本近代文学の成立と文明開化の成果

以前も何回か書いたことがあるけれど、三十代に入ってから約十年かけて、日本近代文学をその成立(二葉亭四迷)から第三の新人小島信夫庄野潤三)まで順を追って読み進めたことがある。

個々の小説の質についてはさまざまだけれど、系統的に読み進んでいておもしろかったのは、大正の終わり、昭和の初め頃までだった。西洋から輸入された「文学」「小説」という概念と格闘して、日本語による近代文学やそれを書くための言葉が成立するまでの試行錯誤のプロセスが興味深く、いったんそれが成立した後は、おもしろい作品もあるけれどジャンルとしての「日本近代文学」にあまり興味が持てなくなった。やや惰性で第三の新人まで読み進めたけれど、これ以降は系統的に読む必要はなく、興味がある作家の作品を拾い読みすれば良いと思っている。

「日本近代文学」を作り上げた人たちは当然ながら外国語が堪能で、特にごく初期の作家たちは高学歴である。坪内逍遥は小説も書いているが学者といった方が正確だと思うし、二葉亭四迷はロシア語が堪能だった。森鴎外は言うまでもなく、夏目漱石はもともと英文学者である。あまり外国語と縁のないように見える尾崎紅葉帝国大学に在学したことがあり、ヨーロッパの小説をよく読み、アイデアを得ていたという。

 詳しくは以下のエントリーに譲るが、「言文一致体」は、話し言葉と書き言葉を一致させるためではなく、西洋の言語を日本語に翻訳できる文体として成立したものだと考えている。その証拠に「二葉亭四迷の初期の小説(例えば「浮雲」と「あひびき」の翻訳を読み比べると、現代の目から見ると「あひびき」の翻訳の方がはるかに自然に感じられる。」

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日本近代文学の成立をたどることで、明治以降の日本が近代化(当時の言葉で言えば「文明開化」)にいかに苦闘していたか、そのプロセスはまさにワン・アンド・オンリーのもので、プラス面もマイナス面も含め、独特の成果を産んだことがわかる。

日本近代文学の頂点としての谷崎潤一郎細雪

日本近代文学を「文明開化」のプロセスとして捉えた時、谷崎潤一郎細雪」が日本文学の頂点だと(勝手に)考えている(もちろん、異論も多いだろうけれど)。

前述のように、明治以降日本語で書かれた小説のなかには、「細雪」以外にもすぐれた小説は多いだろうけれど、大正、昭和初期以降は、もはや「文明開化」の苦闘というものは感じられないし、現代ではむしろ「日本近代文学」を超えて「世界文学」へ参加することの方が課題となっているだろう。

細雪」は日本近代文学の成立のプロセスの終点に位置し、西洋の近代文学を基礎とし、西洋の言語の翻訳を通じて成立した近代日本語を用い、しかし、それだけではない日本の物語文学の影響もあり、日本の前近代と近代がひとつの家庭、社会に混じり合っていた最後の時代を詳細に描写していて興味が尽きない。

 

細雪 (上) (新潮文庫)

細雪 (上) (新潮文庫)

 

 

細雪 (中) (新潮文庫)

細雪 (中) (新潮文庫)

 

 

細雪 (下) (新潮文庫)

細雪 (下) (新潮文庫)

 

 前近代を代表する雪子

細雪」は阪神間に暮らす蒔岡家の四姉妹、特に三女の雪子の縁談と跳ね返りの四女の妙子を中心としている。雪子は近代的な要素が薄い前近代の日本を代表しており、それと対照的な妙子は近代化を代表している。「細雪」がすばらしいのは、雪子を古き良き日本女性として、また、妙子を近代的な女性として賛美しているわけでもなく、両者を客観的に描写していることだ。

私から見ると、妙子は理解しやすいけれど、雪子の行動、言動は、私の理解を超えているところがあり、謎めいて見える。それゆえ、好奇心がそそられる。私自身、自分が特に近代化されているという自覚はあまりないけれど、雪子を見ていると、それでもずいぶん近代的な意識を持っていると思わされる。

近代の学校教育では、軍隊や工場労働者としての「近代的」な生活態度、勤労観といったものが叩き込まれる。私は自分のことを勤勉と考えたことはないけれど、仕事や生活を計画的に進め、必要な成果を必要な〆切に間に合わせることが望ましいことだという観念はある(それがいつも実現する訳ではないが)。また、自分の意見は明示的に示したほうがよく、できうる限り自立した生活を営みたいと考えている。

しかし、雪子には、そのような価値観がまったくない。縁談が持ち込まれ、お見合いをする。相手が気に入ったかどうか、なかなか態度に示さない。お見合いの日程を決めるにも、お断りするかどうかも、すぐに返事することはなく、仲人に急かされると反感を感じる。もちろん、自分が自立した生活を営むということは想像の外で、まったくの受け身の生活をしている。

子供の面倒を見ることが得意な雪子

雪子は徹頭徹尾受け身の存在だけれども、まったくの無能力者ということではない。特に、子供の面倒を見ることが得意である。

子供の面倒を見ることが大変になるのは、大人の側になにかしなければならない予定や計画があるけれど、子供は予定や計画通りに動けない、動かない、ということにあるのだと思う。ある決まった時間までに決まった場所に行かなければならない「大人の事情」があるけれど、子供はぐずってその通りに動かない。「大人の事情」と「子供の気持ち」がすれ違って、お互いほとほと疲弊してしまう。

予定や計画や自分の意志がない雪子にとって「大人の事情」は存在しない。だから、子供の面倒を見るときは、ひたすら子供の気持ちに委ねる。だから、子供はぐずることなく、雪子になつく。

近代化されていない雪子は、学校によって一定の規律を叩き込まれた大人と違う、近代社会から見ると子供的存在といえる。だから、子供との折り合いがよいとも言える。もちろん、恵まれた家庭に生まれた雪子だからこそ、近代化しなくても近代社会から守られて生きることができる。しかし、そのような境遇になければ、近代社会で生きるためにはいやおうなしに近代性を受け入れ、近代社会の大人にならなければならない。

近代を相対化する日本近代文学と「細雪」、そして植民地文学

日本の近代化のプロセスの一環としての日本近代文学の成立の最後にあらわれる「細雪」に、その時代でもすでに珍しくなりつつあった前近代的な女性としての雪子と、同じ時代に近代的な女性として生きた妙子が対比して示されることで、日本の近代化がもたらしたもの、失ったものがよく見えてくる。

日本は政治的には植民地になっていなかったけれど、西洋を起源とした日本近代文学は、文化的には「植民地文学」といえるだろう。そして、その「植民地性」によって、近代を相対化する視線をもたらしている。

 外来のものとして近代を受け入れた国、地域は多い。日本近代文学はそういった国、地域のひとびとから共感得ることはできるのではないかと夢想することがある。私も世界の「植民地文学」を読んでいきたいと思っている。

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ドナルド・トランプとアンドリュー・ジャクソン:反エリートの民主政治、矛盾に満ちた発言

ドナルド・トランプの同時代性とアメリカ性

ホワイトハウスの引き渡しのとき、トランプ夫妻とオバマ夫妻が並んでいる写真を見て、この二つのカップルは実に対照的だけれども、それぞれきわめてアメリカ的でもあると思った。

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ドナルド・トランプの当選については、イギリスのEU離脱やヨーロッパでの右翼政党の勢力拡大、フィリピンのドゥテルテ大統領の就任など、同時代的な共通性が指摘されることが多い。もちろん、そういう要素はあるし、ひとつの時代の転換点の象徴だと思う。

その一方で、トランプ大統領はきわめてアメリカ的で、過去の大統領とも共通点がある。レーガン大統領との比較されることもあるが、第7代アンドリュー・ジャクソン大統領と共通性が高いと思う。彼もアメリカの政治のひとつの大きな転換点を象徴する大統領だった。

アンドリュー・ジャクソン大統領とジャクソニアン・デモクラシー

アンドリュー・ジャクソン1829年に大統領に就任した。彼以前の六人の大統領はエリートでインテリだったが、彼は貧しいスコットランド移民の息子で、十分な教育を受けていなかった。彼は軍人としてキャリアをつみ、1812年に始まった米英戦争の英雄として有名になることで、政治家としての足がかりを得る。また、ネイティブ・アメリカン(当時の呼び方に習えばインディアン)との戦いで、大量虐殺を行っていることでも知られている。

アンドリュー・ジャクソンが大統領に選出された背景として、選挙権の資産の制限がなくなり普通選挙が広がっていたことがある(女性、黒人には選挙権はなかったが)。アンドリュー・ジャクソンは粗野で難しい言葉で語らないと考えられていたが、「高尚な」エリート、インテリの政治家に比べ新たに選挙権を得た選挙民からの人気が高かった。

彼の大統領在職時代に、大統領の権限の強化が進み、スポイルズ・システムが導入された。

アメリカ合衆国憲法は厳格な三権分立制で、議会の権限が強く大統領の権限は制限されていた。現在でも、議院内閣制の国に比べれば大統領の権限は制限されているといえるだろう。アンドリュー・ジャクソンは、第二国立銀行の問題に関して、これまで大統領が拒否権を発動するのは、明らかに憲法に反する時に限られるという慣例を覆し、大統領の権限拡大を進めた。第二国立銀行の廃止などの彼の経済政策は、結果としては恐慌をもたらしたと評価されている。

スポイルズ・システムとは、大統領が多くの公職者を直接任命する制度である。現代のアメリカでも大統領の交代に伴ない、多くの公職者が交代する。これは、公職を長年勤めることによる腐敗を防ぐという名目があった。もちろん、選挙において自らの支持者を報いるという効果もある。また、大前提として、公職は(大統領も含め)専門家ではない一般市民が勤めうるというアメリカに根付いた観念が基礎となっている。

また、軍人時代にネイティブ・アメリカンと戦っていた経験があり、インディアンの強制移住を進めた。当然ながら、現代の目から見ればきわめて差別的な政策である。

このような選挙権の拡大に基礎をおいた反エリートの民主政治はジャクソニアン・デモクラシーと呼ばれている。

ドナルド・トランプと反ワシントン、反エリート

 アンドリュー・ジャクソンは毀誉褒貶あるけれど、エリートによる民主政治から、普通選挙に基づくあたらしい民主政治を切り開いたことについては一定の評価を得ている(と思う)。彼以降、「ログ・キャビンに生まれ育った」ことを売りにする政治家が続き、その最大の存在がエイブラハム・リンカーンである。

反エリート感情と公職は一般市民が勤めうる、むしろ専門家より一般市民が勤めたほうが望ましいという観念は、行政が複雑化した現在でもアメリカに根付いているように見える。例えば、裁判において専門家として裁判官よりも一般市民による陪審に判決が委ねられているのもその一例だろう。また、大統領に当選するには、ワシントンでの政治のキャリアがマイナスに働くことが多い。権威に結びついたインテリゲンチャへの批判、嫌悪である「反知性主義」もこの観念と強く結びついている。

ビル・クリントンバラク・オバマもワシントンの政治への挑戦者として大統領に当選した。ドナルド・トランプは、ジョージ・W・ブッシュバラク・オバマの二人の政治対してアンチなのだが「アンチ」として登場してきたという意味では、ビル・クリントンバラク・オバマと共通している。そして、冒頭の写真の話に戻るが、バラク・オバマドナルド・トランプはきわめて対照的でありながら、ふたりともアメリカ的である原因のひとつはここにあるのだろうと思う。

バラク・オバマは明らかにインテリゲンチャである。しかし、彼の出自によって、存在自体がアメリカの権力の中枢にあるWASPへの批判になりうる。だから、あえて粗野な振る舞いをする必要もない。また、粗野であることで政敵から批判を招くことを避けるという意味もある。これは、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアが気高いこと共通していると思う。

一方、ドナルド・トランプはニューヨーク出身の成功した不動産業の父を持っている。その彼が反エリートという立ち位置であるためには、あえて粗野な振る舞いをする必要があるということもあるのだろう。アンドリュー・ジャクソンの粗野さは生まれ育ったものだけれども、ドナルド・トランプの粗野さは一種つくられた演技という印象がある。また、逆に、彼はいくら粗野な態度であっても、白人ということにはゆるぎがない。

矛盾していることを気にしないドナルド・トランプ

私は、「近代人」として、首尾一貫していたい、という欲求がある。過去の行動や発言と、明らかに矛盾する行動、発言をすることには抵抗感がある。

しかし、ドナルド・トランプは、そのような抵抗感はないように見える。その時その時で、都合のよい行動、発言をする。おそらく、彼のいう"deal(取引)"をうまくするためには、一貫性があると相手に予測されてしまうため、矛盾している方が積極的に好ましいという判断があるのだと思う。もちろん、首尾一貫していなければ、信頼されない、という副作用があるけれど、ドナルド・トランプにとっては"deal"において有利ということのほうが重要なのだろうと思う。

 今回、大統領就任式で集まった人の数が、オバマ・大統領の一回目の就任式より多いと主張している。これは明らかに事実と矛盾する。事実と矛盾するけれど、あらゆる機会を捉えて自分のとって不利な情報に反論することの方が、将来のマスメディアとの関係のためには好ましいと考えているのだろう。おそらく、過去のドナルド・トランプが関係してきた事業に関する発表において、そのような事実と矛盾する発言をし続けてきたに違いない。

だから、彼を見るときには、事実や過去の行動、発言との矛盾を避けようとする、という仮定を置いてはいけない、ということなのだろう。彼にとって一貫しているのは"deal"に勝とうとすることだけで、それ以外はすべて手段だと考えているに違いない。

好もうと好まざると、少なくとも4年間はそのような米国大統領と付き合っていく必要がある。

名著のエッセンスを3分で理解できる(かも?):読書ノートの棚卸し

読書メーターとGoodReads

あれこれ本を読み散らかしているけれど、読みっぱなしだとあっという間に内容を忘れてしまう。 どんな形でもよいけれど、その本の内容を自分なりに咀嚼してアウトプットすることが重要なんだと思う。

とはいえ、すべての本についてしっかりとしたアウトプットを作るのも難儀なので、読書メーターに記録して、かんたんな感想を書いている。

bookmeter.com

読書メーターは洋書が扱いにくいので、GoodReadsも使っている。GoodReadsは推薦図書が大人っぽくて気に入っている(あまり読めないけれど)。

www.goodreads.com

アウトプットすることが重要なので、別に公開する必要はない。けれど、インターネット上の読書記録の仕組みを使えば、あとあと検索することも楽だし、もしかしたら誰かが読書する本を選ぶ時に参考になるかもしれない。それに、虚栄心も満たされるということもある。

読書ノートを取りながら読む

ふつうの本は読書メーターの感想欄ぐらいでよいのだけれども、手応えのある本をきちんと読むには、もう少ししっかりとした読書ノートを取りながら読まないと、理解できなくなる。

今年は古典を読もうと思っているので、読書ノートを書く機会も増えるだろうと思う。さっそく、第一弾としてデカルト方法序説」の読書ノートを公開した。

このエントリーの下の方に「要旨」を箇条書きで書いている。読みながら一章(「方法序説」では「一部」という呼び方をしている)ごとに要旨をまとめている。そして、読み終わった後、要旨を読み直しながら全体の感想を書いている。

何かをきちんと理解しようと思えば、自分で原著、原資料にあたるのが、結局は近道だけど、要旨のところを眺めてもらえば、名著のエッセンスを3分で理解することができる(かも?)。少なくとも、この本を自分で読んでみようか、その判断材料ぐらいにはなると思う。

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レヴィ=ストロースミシェル・フーコー

 私の大学時代には「ニューアカ」というものが流行っており、フランス現代思想の本が売れたりしていた。しかも、大学の専攻が文化人類学だったから、レヴィ=ストロースは必読だった。

レヴィ=ストロースミシェル・フーコーは、なにか心に引っかかるところがあったけれど、当然ながらあまり理解できなかった。特に、レヴィ=ストロースでは、彼の理論の中核にある「構造」の概念がぼんやりとしたままだった。

 社会人になってずいぶん経ってから、レヴィ=ストロース「野生の思考」を読み返してみた。彼の「構造」の概念を理解するには、参考書を読むよりも、「野生の思考」をじっくり読むのがいちばん近道のように思った。自分が理解したことを「レヴィ=ストロースの「構造」とは何か」にまとめた。自画自賛だけど、けっこうわかりやすく書けているんじゃないだろうか。

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ミシェル・フーコーはとにかく難解で、読み通すには忍耐が必要だ。「言葉と物」と「監獄の誕生」を読んだ時は、一章ごとに要旨をTwitterで書いていった。途中で挫折するとかっこわるいから、それを頼りに読み進めた。

要旨と言っても、よく理解できない部分が大半だから、なんとか理解できたところをひろって辻褄があうように並べただけである。それでも、薄らぼんやりと彼が言いたいことの(ごく)一部が伝わってくるような気がする。

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明晰な丸山真男

ミシェル・フーコーは、語っている内容も難易度が高いのだろうけれど、語り口も難しい。しかし、丸山真男は難易度が高い内容を、じつに明晰に書いてあり、読んでいて爽快な気持ちになる。特に、「日本政治思想史研究」は好きな本だ。 

 日本の近代化、民主化の歴史をたどるときには、賛成するにせよ、反対するにせよ、ひとつの基準として彼の本を読まないわけにはいかない。

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アメリカのリベラリズム

今年は近代化、民主化に関する思想を、デカルト、ルソー、カントにさかのぼって読んでみようと思っている。

その大きな動機のひとつとして、以前、アメリカのリベラリズムをめぐる議論、ジョン・ロールズマイケル・サンデルの本を読んだことがある。結局、彼らの議論は西洋哲学の歴史のなかに位置づけられることができるので、彼らに先行する思想を読んでいなければ、十分に理解できないことがよくわかった。

その時はさかのぼる読書まで手が回らなかったけれど、ここで基礎を固めて、再度ジョン・ロールズ「正義論」に挑んでみようと思っている。

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グローバリゼーションの歴史 

ここ数年、大航海時代にはじまる「近代世界システム」の拡大の歴史について、本も読み、旅行で現地を訪問している。

グローバリゼーションを考える上で、イマニュエル・ウォーラーステイン「近代世界システム」の第一巻から第四巻までは必読だけれども、第一巻を読んだところで、これは世界史の基礎を固めないと、読み進んでも理解できないと思い、一時停止している。今年から来年にかけて、ウォーラーステインに再挑戦してみようと思う。

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デカルト「方法序説」を読む

デカルト方法序説」を読む

読書メーターで去年読んだ本を振り返ってみたら、時事的な読書が多かったことに気がついた。目先の興味関心に流されると、どうしてもそうなってしまう。今年は意識的に古典的な、寿命が長い本を精読しようと思う。

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今年の読書の一本の柱として、西洋の政治哲学の基本図書を順番に読んでみようと思っている。デカルト、カントからはじまり、ロールズまでたどり着くことが目標(たどり着けるかな?)。まずは、西洋近代哲学の出発点、デカルト方法序説」からスタートしてみた。

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

デカルトって頭がいい

方法序説」を読んだ最初の感想は、上から目線でおこがましいけれど、「デカルトって頭がいい」というものだった。

特に根拠はなかったけれど、西洋近代の哲学、思想は、プロテスタントに由来していると思っていた(デカルトからは「ドクサ」だって叱られそうだけど)。しかし、デカルトカトリック教徒で、スコラ哲学に基づく教育を受けていた。

そのような教育を受けていたにもかかわらず、独力でそこから抜け出す思想を作り上げたということに驚く。そして、煩瑣で複雑なスコラ哲学から、彼自身の思想はじつにシンプルだ。「方法序説」は短いし、デカルトの明晰な頭脳できれいに整理されているから、思いのほか理解しやすい。

このブログの末尾に「方法序説」の要約を付けているので、興味があればそれを読んでみて欲しい。

方法序説」と革命と社会主義

方法序説」では、西洋近代の哲学、思想、自然科学のきわめて根底にある方法論、考え方がシンプルに示されている。これを基準にして考えると、ああ、これはデカルト的な方法だな、これは非デカルト的なところが画期的なのか、といったことが理解できる。

例えば「革命」という考え方。これはきわめてデカルト的だ。デカルトは理性はすべての人に等しく与えられており、慣習によらず自らの理性を求めて真理を追求すべしと言っている。この方法を社会にあてはめれば「革命」になる。

「神々の見えざる手」によって調整される「市場」を重視する考え方は、非デカルト的だろう。デカルトが経済学を構想すれば、需要と供給とそれに対応する価格は原理的には計算しうるし、「市場」に委ねるよりは計算した方がよいと考えただろう。すなわち、社会主義デカルト的だ。

一方、伝統や市場といった集合知の働きを重視するアダム・スミスエドマンド・バークフリードリヒ・ハイエクといった人たちは非デカルト的である。

方法序説」とロジカル・シンキング

第二部に書かれている、真理を求めるための四つの教則は、コンサルティング業界のひとつの教科書になっているバーバラ・ミントのロジカル・シンキング、MECE(mutually exclusive and collectively exhaustive:ダブりなくモレなく)そのものである。おそらく、バーバラ・ミントがロジカル・シンキングを考えるときに、デカルトを基礎に置いていたのだろう。

方法序説」に示された原則はシンプルで根底的だ。それゆえ、射程が長く、応用範囲がきわめて広い。

方法序説」と機械学習

方法序説」を踏まえて考えると、機械学習がなぜ画期的なのかがよくわかる。

 これまでの科学技術は、ロジカル・シンキングも含め、主としてデカルト的な方法に基づいている。だから、科学技術で難問とされている問題は、デカルト的な方法が万能ではないことを示しているし、非デカルト的な方法を開発することができればそのような難問を解決できるかもしれない。

機械学習は、きわめて非デカルト的な方法である。例えば、顔の画像認識をデカルト的な方法でアプローチするならば、顔をそれぞれのパーツに分割し、それぞれのパーツの特徴を表現できる変数を設定し、それらを合成して顔の特徴を示すモデルを導き出すというロジカルな順序で研究を進めるはずだ(おそらく、そのような方法で顔の画像認識をしようと試みた研究は多数あるだろう)。

しかし、機械学習では、膨大な顔の画像を学習させ、いわば膨大な試行錯誤をして、結果的に顔を判別できるモデルを導き出す。なぜそのモデルが顔をうまく判別できるのかは、ロジカルな説明はできない。あくまでも結果的に判別できる可能性が高いモデルが得られた、ということだ。

また、機械が「知能」を持っているか判定する基準のひとつに、人間らしい応答ができるかどうかを調べる「チューリング・テスト」というものがある。これも、デカルトの考える知性の基準(第五部参照)に基づいていることに気がついた。

チューリング・テスト - Wikipedia

それにしても、西洋近代哲学の出発点であり、解析幾何学の開祖であるデカルトは、自らの思想の基礎に数学を置くと宣言している。日本の大学では、「哲学科」は文系の文学部に置かれていることが多いが、文系と理系の分類が意味がないことは歴然としている。

デカルト方法序説」要旨

第一部

  • 真実と虚偽を見わけて正しく判断する力、良識、理性は、すべての人に生まれながら平等に与えられている。
  • これまでの哲学(スコラ哲学)は議論が尽きることなく、その堅実性に乏しい哲学の原理を基礎としてその他の学問を築くことはできない。
  • それゆえ、学校を卒業した以後、書物による学問を放棄し、世間という大きな書物のうちに見いだされる学問を求め、真偽を識別することを学ぼうとした。
  • しかし、さまざまな実例や慣習も多様なものであり、硬く信じすぎてはならないと悟った。
  • そして、理性をくもらせる迷妄から少しずつ抜け出し、自分自身で本気で考えようと思うに至った。

第二部

  • 多様なな人たちによって組み立てらた学問に比べ、良識ある一個人が理性に基いて進める単純な推論の方が真理に近づける。
  • わたしたちを説得するものは、確実な認識より、多数の声に基づく慣習と実例である。しかし、それらは真理に対する証明にはなっていない。そこで、私は、やむをえず自分自身が考えた基礎の上に、自分の思想を構築することにした。
  • しかし、特に、自分を実際よりも有能であると信じ急いで判断をくださずにいられない人、すぐれた意見を自ら探求するよりは有能な人の意見に従うことに満足すべき人には、この道は勧められない。
  • 幾何学者が証明をするときのように、必要な順序を守り演繹をすることで、最後まで到達できないものはない。確実に直証的な根拠を見出したのは数学者だけであり、これを基礎にすべきである。
  • 真理を求めるために守るべき教則は以下の四つである。(1)速断と偏見を避け、明証的に真であると認められるまでは判断に取り入れない。(2)研究しようとする問題をできうる限り細かな多くの部分に分割する。(3)思索を単純なものから複雑なものへ一定の順序に基づき進める。(4)完全な枚挙ができ見落としがなかったか常に再検査する。

第三部

  • 真理に至るまでの間、暫定的に以下の三つの行動準則に従って生活する。
  • (1)自らの行動を、最も聡明と思われる人たちの行動と一致させる。極端な意見は避け、最も穏健な意見を選ぶ。極端な意見は悪いことが普通であり、穏健な意見がおそらくは最良のものであろう。
  • (2)可能な限り志を固くして迷わぬこと。ひとたびみずから決定した意見に対しては、どこまでも忠実に従うこと。その意見に決着させた理性は、善いもの、真なるもの、確実なものであるから。
  • (3)運命より自分に打ち勝つこと、また、世界の秩序よりは自分の欲望を変えるよう努めること。自分が権力を持っているものは自らの思想のみであり、その他のものについては最善を尽くしても成功するとは限らないから。

第四部

  • 真理の探求において、いささでも疑わしいところがあるものはすべて絶対的に虚偽のもとして退けた結果、疑うべからざるもののみが確信に残る。
  • 感覚は人間を欺くことが多く、夢に見る幻影を等しく一切を虚偽であると考えた。しかし、そのように考える「私」は必然的に何者かでなければならない。そして「私は考える、それゆえに私はある」という真理がきわめて堅固、確実であると判断した。
  • 私が疑いを持つのは、私自身が不完全であるからである。私自身が不完全であるということを知っているのは、完全なものがあって、それから知ったからだ。それゆえ、完全なもの、すなわち神は存在する。

第五部

  • 第一真理(「私は考える、それゆえに私はある」)から、光、太陽・恒星、遊星・彗星、地球、動物、人間に関する真理を演繹した。
  • 神は、世界を混沌の形に創造し、自然界の法則を設け、その法則に従って世界が現在の姿になったと考えたほうが、世界について理解しやすい。
  • 人間の身体は、ひとつの機械として見ることができ、動物の身体と共通している。理性のある精神は、機械としての身体とは独立しており、人間に特有のものである。理性の精神の有無は、言語を用いて語られる意味に対して応答することができるか、によって判別できる。これは、機械にはできない。

第6部

  • 三年前に、これらのすべてを内容とする論文を書きおわり、出版しようと考えていたが、ある人(ガリレオ・ガリレイ)が公表した自然学上の新説が禁圧されたと聞き、論文を公表する決意を翻した。
  • さらに真理を明らかにするためには多くの実験が必要だが、論文を公表することによる反論などに対応することに時間を割くよりは、自ら実験を進める方がよい。
  • 一部の試論について公表したのは、自分の行動について罪悪でもあるかのように隠蔽していると誤解を解くためである。