どん底のスタート、しかし、これからは上がるだけだ:ニューヨーク・ヤンキース2017シーズン開幕

どん底のスタート

ブログは1週間に1回のペースで更新しているが、今回、ニューヨーク・ヤンキースのシーズン開幕直後の状態があまりにも悪いので急遽更新することにした。

タンパベイ・レイズとの開幕シリーズは1勝2敗、ボルティモア・オリオールズとのシリーズは2連敗している。単に負け越しているというだけではなく、その内容がきわめて悪い。開幕前に期待されていた部分の調子が悪く、弱点と思われていた部分はそのまま弱点のままである。

スプリング・トレーニングの時点でのヤンキースの戦力予測

スプリング・トレーニングの時点では、今年のヤンキースの戦力は次のように予測されていた。

  • スターター:田中将大は信頼できるが、その他のスターターは安定感に欠ける。特にローテーションの四人目以降には若手の台頭が必要。
  • ブルペン:クローザーもセットアッパーも盤石。ヤンキースの戦力のなかでもっとも信頼できる
  • バッティング:若手有望株が揃っていて、ベイビー・ボンバーズと呼ばれている。信頼性は未知数だが、勢いに乗れば大いに期待できる。

開幕後のヤンキースの状況

さて、開幕後の状況はどうだろうか。

  • スターター:田中将大が大きな誤算。開幕戦ではこれまで数年間で見たことないほど短いイニングでノックアウト。サバシアは0点に抑えたが、5回までで交代した。サバシア以外のスターターは田中将大の二回目の登板も含めて試合を作れず、ブルペンに負担をかけている。
  • ブルペン:信頼されているセットアッパーのクリッパード、ベタンセスが、オリオールズに打たれて二試合連続の逆転負け。これは想定外の事態だ。
  • バッティング:最も期待されていて、スプリング・トレーニングで絶好調だったゲイリー・サンチェス、グレッグ・バードが不調である。しかし、このようなことがありうることは想定できた。WBCで負傷したディディ・グレゴリウスの代わりに出場しているロナルド・トレイエスが活躍している。これからも意外な若手が登場して活躍するだろう。もっとも想定外だったのは、ゲイリー・サンチェスの負傷。DLに入ってしまった。

しかし、これからは上がるだけだ

今年のヤンキースは、若くて未知数のチームだ。伸びしろも大きいが、それが裏目に出る可能性もある。今は、単に若さが裏目に出ただけではなく、信頼できるはずの田中将大ブルペンも結果を出せずにいる。

しかし、これ以上最悪の事態はありえないだろう。新しいプロスペクトが登場することもあるだおう。

これからは上がるだけだ。

ニューヨーク・ヤンキースと私:期待と不安に満ちたシーズン開幕

ニューヨーク・ヤンキースとの出会い

私とニューヨーク・ヤンキースの出会いは1998/8/9である。

夏休みにニューヨーク旅行をして、今は解体されてしまった昔のヤンキー・スタジアムで真夏のデイゲームを観戦した。もともと気になっていたチームだったけれど、実際の試合を見てすっかりファンになってしまった。

この当時はまだ「ブログ」というシステムがなく、「ブログ」のようなものをウェブ(当時の呼び方だと「ホームページ」の方がしっくりくる)に掲載していた。ヤンキースとの出会いの日にちを特定できるのは、「ブログ」を続けていたからだ。たまには「ブログ」も役に立つこともある。

http://yagian.html.xdomain.jp/diary/9808.htm#19980809

「ニュー・ダイナスティ」時代のヤンキース

この1990年代後半のヤンキースは実にすばらしいチームだった。

1995年に、マリアーノ・リベラ、アンディ・ペティート、デレク・ジーターというその後十数年にわたってヤンキースを支える生え抜きの中心選手たちがデビューする。そして、1996年に18年ぶりにワールド・シリーズで優勝する。その後、1998年から2000年にかけてワールド・シリーズで三連覇する。

いまから振り返ってみると、1998/8/9のヤンキースはすばらしいメンバーだった。先発ピッチャーがペティート、クローザーとしてリベラがでてきた。中堅選手としてバーニー・ウィリアムスがおり、3年目のジーターはすでにスターになっていた。生きのいい若手、中堅を、ポール・オニールティノ・マルティネスチャック・ノブロックジョー・ジラルディといったベテランが支え、絶妙なバランスだった。

その時期のヤンキースの魅力について、英語のブログに書いたことがある。その部分を和訳してみようと思う。

yagian.blogspot.jp

1990年代のニューヨーク・ヤンキースを愛していた。彼らは、スマートでクールな野球をやっていた。マッチョなパワー・ヒッターいなかったが、選手はみなチームの勝利に献身していた。身勝手なプレイをする選手はいなかった。

大きなリードで勝つことは少なく、試合の終盤に逆転してわずかなリードで勝つことが多かった。彼らのゲームは緊張にみちあふれ、じつに楽しかった。

ある晴れた日に、ヤンキー・スタジアムのシートに座っていた。そのゲームではアンディ・ペティートが先発した。最初はロイヤルズがヤンキースをリードしていたけれど、デレク・ジーターポール・オニールバーニー・ウィリアムスがロイヤルズのピッチャーを打ち崩し、試合を逆転した。最後はマリアーノ・リベラが締めくくった。ヤンキース・ファンにとって最高に完璧な試合だった。

アンディ、デレク、マリアーノは若く、輝いていた。バーニーは黄金期だった。

 

ヤンキースのこの時代は「ニュー・ダイナスティ(新ヤンキース王朝)」と呼ばれている。

アメリカ同時多発テロ事件ヤンキースの最後の輝き

2001年にアメリカ同時多発テロ事件が起きる。それと軌を一にしてヤンキース苦闘の時代が始まる。

2001年に松井秀喜ヤンキースに入団する。この年、アリゾナダイヤモンドバックスとのワールド・シリーズは第7戦までもつれるが、結局敗退してしまう。この後、ポスト・シーズンの試合には進めるが、ワールド・シリーズに勝つことができない時代が続く。

1990年代後半には当たり前のようにワールド・シリーズを勝っていたから、当然、この時期もそのことを期待される。毎年のようにベテランのフリーエージェントを補強することを繰り返すうちに、徐々にチームが擦り切れていく。

2009年に久しぶりにワールド・シリーズに勝つ。松井秀喜ヤンキースでの最後のシーズンであり、ワールド・シリーズMVPになった年である。これがヤンキースの最後の輝きだった。

そしてヤンキース転落の時代

その後、ヤンキースの成績は下降線をたどる。

コア・フォーと呼ばれた「ニュー・ダイナスティ」を支えた生え抜きの選手たち、ジーター、リベラ、ペティート、ポサダがチームを離れ、引退していく。その年の最大の話題が彼らの引退に占められてしまう。チームの高齢化は進むばかりで、将来の希望が見えない時期が続く。

この時期のヤンキースを悪い意味で代表するのが、アレックス・ロドリゲスである。彼は、ファンのフラストレーションを一身に受けていたようなところがある。しかし、彼は、「ニュー・ダイナスティ」時代のヤンキースの美点、献身、緊張、逆転、若さといった要素からことごとく遠かった。また、彼の長期契約と高額のサラリーがチーム再建の障害になっていたのも事実である。

ベイビー・ボンバーズと期待と不安

しかし、アレックス・ロドリゲスの引退とともにすべての歯車は逆転をし始める。

昨シーズンの後半、アレックス・ロドリゲスの引退が決まると同時に、ベテランを大胆に放出し、プロスペクト(有望新人)を貪欲に獲得するようになった。スターティング・ラインナップは一新される。そのなかで、ベイビー・ボンバーズと呼ばれる若手選手たち、特に、ゲイリー・サンチェスがシーズン後半だけで20本のホームランを打って、一気にスターとなる。ベテランのマット・ホリデーを獲得し、彼は「ニュー・ダイナスティ」時代のチームの精神的支柱だったポール・オニールに重ね合わさる。

これまでの淀んだ雰囲気が一掃され、今年のスプリング・トレーニングは期待に満ちたもので、しかも各選手の仕上りは順調すぎるほど順調だった。特に印象的だったのは、ポッドキャストで聞いたファンとブライアン・キャッシュマンGMとのやり取りだった。スプリング・トレーニング中のファンに対するイベントで、キャッシュマンへの質問コーナーのことだった。ファンと言っても、選手や監督ではなく、GMに質問したいと思うぐらいだから相当濃い人たちばかりである。その彼らが一様に2016年後半以降のキャッシュマンの仕事に全面的に感謝しているのである。その気持は痛いほどよくわかる。2009年以降、希望というものがまるで見えない時期が続いていたが、それが一気に払拭されたのだから。

しかし、スプリング・トレーニングが順調すぎると、期待とともに不安も湧いてくる。案の定、開幕3試合が経過して、ヤンキースの弱点が露呈する結果になっている。

まず、先発投手の不安。最も信頼できるはずの田中将大が短いイニングでノックアウトされる。サバシアはまずまずのピッチングだったが5回で交替し、今後長いイニングが投げられるか不安を残した。そして、第3戦でピネダもノックアウト。四番手以降の先発は固定できない状態だ。田中の復調と若手の台頭が必須である。

ベイビー・ボンバーズの若さゆえの脆さも露呈している。スプリング・トレーニングで好調だったゲイリー・サンチェスとグレッグ・バードが不振に陥っている。打てないことはしかたないとしても、淡白な打撃が気になる。まだ、ポスト・シーズンのような緊張感があるところで真価は問われていないから、どこまで勝負強さがあるかが未知数である。

とはいえ、いままでは「伸びしろ」がまったく見えなかったメンバーだったけれど、今は「伸びしろ」ばかりの選手が集まっている。あとこれから5年ぐらいは彼らの成長を見ることで十分楽しめるはずだ。

土曜日の夜のDJショー

土曜日の夜のDJショー

特に用事がない土曜日の夜は、五時頃から飲み始める。ビールを飲むときもあるし、最近はモヒートを作ることが多い。先週の土曜日はジン・トニックを作った。

チーズをつまみに飲みながら、Apple TVを使って音楽をかける。テレビで画像が見えるからYouTubeの動画をかけることが多いけれど、いい動画がないときはGoogle Play Musicの音楽をかけることもある。

静かな音楽から始まり、食事を食べ、お酒が進んでくると、盛り上がってくる。最後は、つれあいと二人で、交互にお気に入りの音楽をかける。最初はその日の雰囲気を考えた選曲をするけれど、最後には自分の好きな曲を勝手にかけるようになる。

自分の選曲を振り返って、ああ、自分はこの人たちの音楽がほんとうに好きなんだなと気がつく。

ウェンブリー・スタジアムの大合唱

ウェンブリー・スタジアムのライブでのオアシス「Don't Look Back in Anger」。"And so Sally can wait"から始まるサビのところ、ノエル・ギャラガーはあえて歌わず、スタジアムの大観衆の大合唱になる。

観客も盛り上がるだろうし、これだけの大観衆が自分の曲を合唱するのを聴いているノエル・ギャラガーはさぞかし感慨深いだろう、ミュージシャン冥利に尽きるだろうと思い、この動画を見るたびになぜか自分まで胸が熱くなってしまう。


Oasis - Don't Look Back in Anger - Live at Wembley Stadium 2000 - Familiar To Millions

夢の”Car Pool Karaoke

ジェームス・コーデンというコメディアンがホストをする番組で、有名な歌手をゲストにして、自動車のなかで歌いまくる「カープール・カラオケ」というコーナーがある。スティービー・ワンダーが出演した回があり、そこで「Superstition」や「Sir Duke」をいっしょに思い切り歌う。夢のようなシチュエーションだ。うらやましい。


Stevie Wonder Carpool Karaoke

スティービー・ワンダーは、過小評価されている訳ではないけれど、過小評価されているような気がする。なんと表現すればよいかよくわからないけれど、この感じ、伝わるだろうか。

1970年代のスティービー・ワンダーの楽曲は、ほんとうにすばらしいと思う。さまざまなジャンルの音楽に挑戦し、新しさもあるけれど、けっして自己満足にならずにポップでもある。そして、どのような音楽をやってもスティービー・ワンダーのすばらしい歌声で、彼自身の音楽になる。この時期は、アルバムのどの曲を聴いても名曲で、奇跡的である。ポップ・ミュージックの歴史のなかで、1960年代のビートルズに比肩する達成ではないだろうか。

ポール・マッカトニーにも共通するけれど、スティービー・ワンダーは伝説になる要素が乏しく、結果的に過小評価されてしまっているように思う。この「カー・プール・カラオケ」でも、「あ、運転免許持ってなかった」というギャグを喜々として演じていて、もう、いい人という印象である。

1970年代のスティービー・ワンダーの映像を見ると、もうちょっと痩せていて、キレキレな雰囲気を漂わし、ファッションも決まっていて、かっこいい。下の動画はセサミストリートに出演して「Superstition」を歌っているもの。これを見れば彼への印象も多少はかわるだろうか。


Stevie Wonder - Superstition live on Sesame Street

伝説の中華街ライブ

細野晴臣YMO以前、「トロピカル・ダンディー」から「泰安洋行」の時期の音楽が、特に気持ちよすぎる。気分がくさくさして逃避したい時には、よくこの二枚のアルバムを聴いている。

その時代に細野さんが横浜中華街の同發でやった伝説のライブの動画がYouTubeにあがっている。ほんとうにいい時代になったものだ。

似非オリエンタル、似非トロピカルの雰囲気をテーマとしたこの時期の細野さんが、中国ではない横浜中華街で「北京ダック」という曲を演奏する。細野さんの風貌は、ちょっとどこの人かわからないような怪しげな眼鏡と髭。


TIN PAN ALLEY Peking Duck

最高のエンターテイメント

ジェイムス・ブラウンはさまざまな映像が残されているけれど、パリでの公演がいちばんかっこいいと思う。

ジャズ・ミュージシャンがパリに行くと、差別されていたアメリカに比べて非常にリスペクトされていて居心地がよかったという。ジェイムス・ブラウンも似たようなことがあるのではないだろうか。ドレス・アップしていて、よそ行き感はあるけれど、とにかくかっこいい。


James Brown - Sunny ( Live in Paris )

これは、ソウル・トレインでのジェイム・ブラウン。パリ公演に比べるとよりリラックスしている感じがするし、当時のファッションも取り入れている。でも、緊張したパリ公演の方が好きかな。


JAMES BROWN Soul Train 1974 Cold Sweat, Payback, Damn Right I Am Somebody

 

 

マキアヴェッリ「君主論」

マキアヴェッリの近代性

いま、原著で政治思想史をたどろうとしている。あまりに手を広げすぎても読み切れないから、いちおう西洋近代の政治思想史に限定している。まずは近代の政治思想史の起点としてホッブスリヴァイアサン」から読み始めた。

リヴァイアサン」を読み、この本のなかでルソーにおいて民主政の基礎に位置づけられる「社会契約」という概念が打ち出されているが、ホッブス自身は主権国家という存在(=リヴァイアサン)を重視しているが、君主政か民主政かにはあまり興味を持っていない。どちらかと言えば政体が安定する、という観点から君主政の方がよいと語っており、意外だった。

西洋近代の政治思想史は、基本的には民主政を中心に展開する。そこで、ちょっと回り道をして、ホッブスから少々時代をさかのぼり、マキアヴェッリ君主論」で君主政に関する議論を読んでおこうと思った。

君主論」というと、なにやら権謀術数について語った本というステレオタイプがあったけれど、実際に読んでみると、岩波文庫で本文は198ページで、簡潔かつロジカルで、思いのほか読みやすい本である。倫理と事実を峻別すべきと主張しているところがあり、近代性を感じた。

いかに人がいま生きているのかと、いかに人が生きるべきなのかのあいだには、非常な隔たりがあるので、なすべきことを重んずるあまりに、いまなされていることを軽んずる者は、みずからの存続よりも、むしろ破滅を学んでいるのだから。(pp115-116)

この本の解説を読んではじめて知ったが、マキアヴェッリには「ローマ史論」と呼ばれる共和政を論じた本があるという。彼自身、著作家になる前は、共和政のフィレンツェで書記官を務めており(フィレンツェの共和政が崩壊するとともに失脚する)、別に君主政を礼賛していた訳ではなかったという。

 マキアヴェッリの思想の全体を理解するためには、「君主論」を読むだけでは不十分のようだ。しかし、「ローマ史論」は大部なため(それゆえ「君主論」の方が主著とされているのだろう)、この西洋近代政治思想史の旅がひととおり終わったところで、また立ち返って読んでみようと思う。 

君主論 (岩波文庫)

君主論 (岩波文庫)

 

 

ディスコルシ ローマ史論 (ちくま学芸文庫)

ディスコルシ ローマ史論 (ちくま学芸文庫)

 

 君主政か民主政か

今回、西洋近代の政治思想史を読んでみようと思い立った理由のひとつに、独裁者による秩序と民主主義による混沌のいずれが望ましいのか、という難問の存在がある。

イラクやシリアでは、残虐な独裁者によっていちおうの秩序が維持されていた。そして、外国の勢力の介入などもあり、それが崩壊し、大きな悲劇をもたらす混沌状態となる。安定した民主政が成立してその混沌状態が克服されればよいが、現実的にはその見通しは暗い。そのとき、独裁者による秩序は認めうるのだろうか。

ホッブスに尋ねたとしたら、その答えは簡単だろう、独裁者の秩序の方が好ましいと。彼は、自然状態にあると人間は「万人に対する万人の闘争」状態になってしまうため、自らの安全を確保するためには、社会契約によって自然権の一部を主権国家に委ね、その主権国家が安全を保証する、という形で国家の起源を想定している。主権国家は、安全を保証するためのいわば「必要悪」なのであり、逆に言えば安全を保証できるかがその存在意義である。だから、君主政や民主政の比較は、どちらのほうがより安全を保証できるのか、という実利的な観点からなされることになる。

民主政、君主政の双方について論じているマキアヴェッリについて、彼は民主政を支持していたのか、君主政を支持していたのか、という議論があるようだ。私から見ると、彼もホッブスと同様に、外敵からの侵略や内部からの反乱によって秩序が崩壊することが最大の害悪であり、安定した秩序を提供できる限りにおいては君主政も民主政も選択肢になりうると考えていたのではないかと想像している。

君主論」のなかで次のように述べられている。

君主たる者は、おのれの臣民の結束と忠誠心を保たせるためならば、冷酷という悪評など意に介してはならない。なぜならば、殺戮と略奪の温床となる無秩序を、過度の慈悲ゆえに、むざむざと放置する者たちよりも、一握りの見せしめの処罰を下すだけで、彼のほうがはるかに慈悲深い存在になるのだから。なぜならば、無秩序は往々にして住民全体を損なうが、君主によって実施される処断は一部の個人を害するのが常であるから。(pp125-126)

この当時のイタリアは、共和国や諸侯、教皇などが群雄割拠し、フランスやスペインの軍隊の侵入を受けていた。イタリア内の諸勢力の主な軍隊は傭兵に依存しており、これが弱点のひとつのなっていた。「君主論」のなかで、マキアヴェッリは君主は自らの軍を持つべきだと主張している。マキアヴェッリ自身は明言していないが、この方向で考えを進めれば、国民軍や国民国家へと議論はつながっていくのではないかと思う。

君主論 (岩波文庫)

君主論 (岩波文庫)

 

 「君主論」要約

第1章 君主政体にはどれほどの種類があるか、またどのようにして獲得されるか
  • 政体の形態には共和政と君主制がある。君主制には世襲と新興のものがあり、新興のものには全面的に新しい場合と部分的に他の政体に付加される場合がある。
  • 支配権の獲得方法には、他者の軍備によるものと自己の軍備によるものがあり、運命によるものと力量によるものがある。
第2章 世襲の君主政体について
  •  世襲の政体は新興より保持しやすい。伝来の統治形態をなおざりにせず、予測できない変事に対しては時間を稼げばよい。
  • 世襲の君主は新しく君主になった者に比べ人を害する必要も理由がないため人から愛される。
第3章 複合の君主政体について
  • 政変に際して、人民は事態がよくなると期待し武器を取るが、実際には新しく君主になった者の軍事力などにより必然的に住民に被害を与える。このため、新しい君主は住民を敵に回し、彼を支持した支援勢力も満足させられない。
  • 古い政体に新しい政体が付加される場合、両者が同じ地域、言語に属し、住民が共和政に慣れていない場合は、それまで支配してきた君主の血筋を抹消するだけで保持できるため、比較的容易である。
  • 両者の地域、言語が異なる場合、支配地を獲得した人物がみずからそこに赴いて支配するか、植民兵を送り込むことが必要である。また、在地の弱小勢力を手なづけながらも彼らの権力を増大させず、強大な勢力を弱体化させるべきである。
  • 戦争を避けるために混乱を放置してはならない。なぜならばそれは避けられないばかりか、避けようとすればあなたのふりを引き伸ばすだけであるから。
第4章 アレクサンドロスに征服されたダレイオス王国で、アレクサンドロスの死後にも、その後継者たちに対して反乱が起きなかったのは、なぜか
  •  君主政には「君主と他はすべて下僕である者たちによって治められる方法」(トルコ型)と「君主と封建諸侯たちによって治められる方法」(フランス型)がある。
  • トルコ型は内紛が起こりにくく、征服することが難しいが、君主を倒すことができれば征服後の統治は容易である。
  • フランス型は、封建諸侯の裏切りを利用することで征服することは比較的容易であるが、封建諸侯を統治することが難しい。
第5章 征服される以前に、固有の法によって暮らしていた都市や君主政体を、どのようにして統治すべきか
  •  征服した国を支配する方法は、(1)彼らの固有の法、政体を破壊する、(2)支配者が自ら移り住む、(3)固有の法を認めながら支配者と密接な関係を保つ寡頭政権を擁立し税を取り立てる、の三つの方法がある。
  • かつて君主政体だった場合には、住民は服従に馴らされてきたため、君主の血筋を絶やすことで比較的容易に支配を確実にすることができる。
  • かつて共和政体だった場合には、彼らの憎悪の念、復讐心、古くから続く自由の記憶はがなくならないため、もっとも安全な方法は、彼らの固有の法、政体を破壊することである。
第6章 自己の軍備と力量で獲得した新しい君主政体について
  • 私人から君主に成り上がるときには、力量か運命を前提とするが、運命に依存しなかった者の方がより長く政権を維持できる。自己の力量によって君主になった者たちについていえば、運命から好機のみを授けられている。
  • 君主となり新しい制度を導入するとき、新制度の導入者は旧制度の恩恵に浴していたすべての人びとを敵に回し、新制度によって恩恵に浴するはずのすべての人びとは生ぬるい味方に過ぎない。このため、新制度の導入に実力を行使できることが必要である(「軍備のある預言者はみな勝利したが、軍備なき預言者は滅びてきた」)。
第7章 他者の軍備と運命で獲得した新しい君主政体について
  • 運命のおかげで私人から君主になった者たち、金銭の力や他者の好意によって政体を譲られた者たちは、ほとんど労せず君主の座に就いたものの、これを保持するには多大の苦労が伴う。
  • このような者たちは自分に支配権を譲ってくれた人物の意志と運命にまったく依存しているが、それらは二つとも移り気で不安定なものであるから、彼らは手に入れた地位を保つすべを知らないし、保てる力もない。
  • それまで常に私人の身として暮らしてきた以上、命令を下すすべを知らず、また、自分の味方になり得る忠実な武力を持っていないためである。
第8章 極悪非道によって君主の座に達した者たちについて
  • 私人から君主になるには、その他に極悪非道なみちを通って君主の座にのぼった者の場合と、自分の同朋である市民の好意によって祖国の君主になった者の場合がある。
  • ある政体を奪い取るにあたって、必要な攻撃、加害行為のすべてを一挙に実行に移して、その後は繰り返さないことによって人びとを安心させ、かつ恩恵を施しつつ彼らを手懐けるようでなければならない。
  • これと逆の行動を取るものは、いつでも手に剣を握っていなければならないし、絶え間のない迫害のために、臣民の側は決して彼に気を許さないので、彼の方も臣民の上に安心して立っていることができない。
 第9章 市民による君主政体について
  • 私人が、民衆ないし有力者の好意によって君主の座にのぼった場合、いずれにせよ民衆を味方につけておくことが必要である。さもなければ、動乱の時にあって手当が施せない。
  • このような君主が自ら命令を下す制度から、執政官を介して統治するようになると、執政官は市民に左右され、場合によっては君主に反逆することもあり、より危険をはらんでしまう。
  • 市民が君主とその政権を必要とするための方法を考えれば、市民は忠実であり続けるだろう。
 第10章 どのようにしてあらゆる君主政体の戦力を推し量るべきか
  • 侵略する相手に独力で対抗できる君主でなければ、城壁に囲まれた都市の防衛を強化し、物資を備蓄すべきである。
  • 臣民に対する措置を講じてけば、侵略されることは少ない。堅固な守りの都市を擁し、民衆から憎まれていない人物を攻略することは、容易ではないと見えるから。
第11章 聖職者による君主政体について
  • 聖職者による君主政体は、宗教に根ざした古くからの制度によって支えられているため、保持するには力量も運命も不要である。こういった君主のみが、政権を持ちながら防衛せず、臣民を持ちながら統治しない。
第12章  軍隊にはどれほどの種類があるか、また傭兵隊について
  • 君主にとって必要なものは良き土台であり、良き土台とは良き法律と良き軍備である。
  • 君主がおのれの政体を防衛するときの軍備は、自己の兵か、傭兵軍か、援軍か、混成軍である。
  • 傭兵軍は軍備は不統一であり、規律がなく、忠誠心を欠くため、そのその上に築かれた政体は堅固でも安全でもない。
第13章 援軍、混成軍、および自軍について
  • 援軍は、それ自体としては役に立ちすぐれたものであるが、呼び入れた者には常に害をもたらす。彼らが敗北すれば自分も滅亡し、勝利すれば彼らの虜になってしまう。
  • 臣民、市民、手勢からなる自己の軍備を持たなければ、いかなる君主政体も安泰ではない。逆境に自信をもってこれを防衛する力量を持たない以上、すべては運命に委ねることになる。
第14章 軍隊のために君主は何をなすべきか
  • 君主は戦争、軍制、軍事訓練の他にいかなることを自分の業務としてはならない。そのことが自らの座を保持させる。逆に軍備より甘美な生活を重んじた時に政体を失う。
  • 武装した者は非武装の者への侮りがあり、非武装の者は武装した者への疑いがあるため、武装した者と非武装の者とで軍事行動をうまく進めることはできない。
第15章 人間、とりわけ君主が、褒められたり貶されたりすることについて
  • いかに人間が生きているかと、いかに人間がいきるべきかとの間にには隔たりがあり、なすべきことを重んずるあまりに、なされていることを軽んずるものは破滅する。
  • 君主がみずからの地位を保持したければ、善からぬ者にもなり得る業を身につけ、必要に応じて使ったり使わなかったりする必要がある。
  • 君主は思慮ぶかく振る舞い、政権を奪い取る恐れのある悪徳にまつわる悪評から可能な限り身を守るすべを知らねばならないが、悪徳なくして政権を救うことが困難な場合には、悪評のなかへ入り込むことを恐れてはならない。
第16章 気前の良さと吝嗇について
  • 君主が気前が良いという評判を求めると、全財産を使い果たし、民衆に重税を課し、金銭を得るためにあらゆる手段を講じるようになる。臣民は彼を憎むようになるか、貧しくなったため侮るようになるだろう。
  • 一方、倹約することで、歳入だけで防衛ができ、臣民に重税を課す必要がなくなり、奪い取らないことで多くの人に気前の良さを示し、与えないことで少数の人びとに吝嗇を行使することになる。
  • 君主になる段階では気前の良さは必要だが、君主になってからは吝嗇の悪評を得る方がよい。
第17章 冷酷と慈悲について。また恐れられるより慕われる方がよいか、それとも逆か
  • 君主は慈悲深く冷酷ではないという評判を取りたいと願うべきであるが、臣民の結束と忠誠心を保たせるためならば冷酷という悪評を意に介してはならない。特に、軍隊を率いているときには冷酷でなければ軍隊の統一を保ち軍事行動を起こすことはできない。
  • 人びとが慕うのは自分たちの意に叶うかぎりであり、恐れるのは君主の意に叶う限りであるから、君主は自己に属するものに拠って立ち、他者に属するものに拠って立ってはならない。憎まれないことと恐れられないことは両立するので、憎しみだけは逃れるように努めなければならない。
第18章 どのようにして君主は信義を守るべきか
  • 君主たるものに必要なのは、徳を身につけてつねに実践するのは有害だが、身に着けているかのように見せかけることは有益である。徳に反することが必要になったときには、逆になる方法を心得ていて、なおかつそれが実行できるような心構えをあらかじめ整えておかねばならない。
  • 大衆はいつでも外見と結果のみに心を奪われるから、ひたすら勝って政権を保持するのがよい。手段はみなつねに栄誉のものとして正当化され、誰にでも称賛されるだろう。
第19章 どのようにして軽蔑と憎悪を逃れるべきか
  • 君主は憎悪と軽蔑を招くことは避けなければならない。憎悪を招くのは臣民の財産や腐女子を奪う行為で、これは慎まなければならない。大多数の人びとから名誉や財産を奪い取らない限り人びとは満足して生活する。ただ少数の者たちの野望とだけ闘いさえすればよい。
  • 民衆が自分に好意を抱いているときには陰謀をあまり気にしなくてよい。だが、自分に敵意を抱いたり自分を憎悪しているときには、あらゆる事態やあらゆる人を恐れねばならない。
第20章 城砦その他、君主が日々、政体の維持のために、行っていることは、役に立つのか否か
  • 君主は新たに屈従させた都市の武装解除をすることがあるが、かつての敵で今は自分の政体に依存しなければならないものは、自分の忠誠を証明するためにより忠実であるため、彼らの武装を解除しないほうがよい。
  • 外敵より民衆を恐れる君主は城砦を築くべきだが、民衆より外敵を恐れる君主はこれなしで済ませるべきだ。
第21章 尊敬され名声を得るために君主はなにをなすべきか
  • 君主は中立を取らず、敢然と幟旗を鮮明にすべきである。もし同盟者が勝った場合は相手はあなたに恩義を感じる。一方、同盟者が敗れた場合は必ずや彼に受け入れられ、運命が甦ったときはそれを分かち合う仲になる。中立を保った場合には、必ず勝った方の餌食となり、負けたほうは溜飲を下げるだろう。
  • 自分より強い有力者を同盟者に選ぶと、たとえ勝ってもその有力者の虜になる。君主は可能なかぎり隷従する状態は逃れなければならない。
第22章 君主が身近に置く秘書官について
  • 君主のことよりも自分のことを考えている側近は断じて信頼してはならない。また、君主も彼を忠実に保たせるためには、側近のことをも思いやり、名誉を称え、富ませることで自分への恩義を深めさせ、君主がいなければ自分が存在しえないと考えるよう配慮しなければならない。
第23章 どのようにして追従者を逃れるべきか
  • 誰もが君主に真実を言えるときには、君主を尊敬するものはいなくなる。そこで、政体のなかから賢者たちを選び出し、彼らのみだけに、しかも、君主から尋ねられた時だけに、真実を告げる自由を与えるとよい。
第24章 イタリアの君主たちが政体を失ったのは、なぜか
  • イタリアで政体を失った支配者のことを考えると、まず軍備にまつわる共通の欠陥がある。それは、彼らが平穏な時代にあって変転することを考えなかった怠惰に原因がある。
第25章 運命は人事においてどれほどの力をもつのか、またどのようにしてこれに逆らうべきか
  • 運命がその威力を発揮するのは、人間の力量がそれに逆らってあらかじめ策を講じておかなかった箇所である。
  • 運命は時代を変転させるが、人間は自分の態度を変えることができないから、合致している間は幸運に恵まれるが、合致しなくなると不運になる。
 第26章 イタリアを防衛し蛮族から解放せよとの勧告
  • イタリアから外国の軍を排除するには、まずは君主が固有の軍備を軍備を整える必要がある。
  • 君主によって統率され、全体が一体となれば有能な存在となり、イタリア人古来の力量を発揮して外敵から身を守ることができるだろう。

 

 

 

「騎士団長殺し」の既視感

1Q84」の挑戦

騎士団長殺し」の前作の「1Q84」は失敗作かもしれないが、村上春樹の世界を広げるターニングポイントとなる作品だと思っている。

アンダーグラウンド」「約束された場所で」で、オウム事件の被害者、オウム真理教信者へのインタビューを重ね、10年以上の時間をかけて村上春樹としてオウム事件の回答として「1Q84」が書かれたのだと思う。率直に言って、村上春樹の回答についてまだよく理解できず、腑に落ちていないところもあるけれど、難問に対して格闘しているということはよくわかる。

1Q84」のbook1とbook2では、青豆と天吾という二人の主人公の視点から書かれた章が交互に並んでいる。book3では、これまでの村上春樹の小説ではあまり重きをもって取り上げられてこなかった牛河という人物の視点からの章が加えられている。

1Q84」の次回作としての「騎士団長殺し」には、次のような期待をしていた。

カタルーニャ国際賞の受賞スピーチで取り上げられた東日本大震災福島第一原子力発電所事故に関する村上春樹としての回答となる長編小説が書かれるのではないか(ただし、まだ時間が足りないから次々回作かもしれない)、村上春樹が年齢を重ねるとともに牛河のような新しい人物像、特に、老人の内面が書かれるようになるのではないか。

1Q84 BOOK1-3 文庫 全6巻 完結セット (新潮文庫)

1Q84 BOOK1-3 文庫 全6巻 完結セット (新潮文庫)

 

 

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 

 

約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

 

 「騎士団長殺し」の既視感

もちろんそのような期待は、私の勝手なものだから、村上春樹自身にはまったく関係はない。「騎士団長殺し」は「1Q84」の延長線上にはなく、より昔の村上春樹作品に回帰したようなだ。

一人称で、謎めいた依頼人がやってくるハードボイルド小説の構成を使っている点は「ねじまき鳥」のようだ。登場人物も「1Q84」の牛河や「海辺のカフカ」のナカタさんや星野くんのような意外性はなく、これまでの小説から似たようなキャラクターが探し出せる。井戸や壁抜けというモチーフも、悪い言い方をすれば手垢がついている。村上春樹の古いファンには安心できるかもしれない。

しかも、主人公が振るわざるをえない暴力やくぐり抜ける試練も、「ねじまき鳥クロニクル」に比べると切実感に欠けるような印象もある。「ねじまき鳥クロニクル」でバットを使う場面は読んでいる自分の手にも感触が伝わるような生々しさがあったが、「騎士団長殺し」の殺しの場面はあっさりした印象である。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

ねじまき鳥クロニクル 全3巻 完結セット (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル 全3巻 完結セット (新潮文庫)

 

 「小説を書く」プロセスに関するメタ小説と「白いスバル・フォレスターの男」

それでは「騎士団長殺し」のテーマはなんだろうか。

この小説の主人公は画家で、彼が雨田具彦の絵を見ることをきっかけとして、さまざまなできごとに遭遇しながら何枚かの絵を描く。あるものは完成し、あるものは描きかけのままになる。

この物語は全体として、何かを創作するプロセスを意味していて、村上春樹にとっては小説を書くプロセスのメタファーなのではないだろうか。つまり小説を書くことに関して書かれたメタ小説なのだと思う。

この小説のなかに次のような一節がある。

優れたメタファーはすべてのものごとの中に、隠された可能性の川筋を浮かび上がらせることができます。優れた詩人がひとつの光景の中に、もう一つの別の新たな後継を鮮やかに浮かび上がらせるのと同じように。

 今はまだ完成していない「白いスバル・フォレスターの男」の絵は、東日本大震災に関する、今はまだ書けないけれど、これから書かれるべき村上春樹の小説を表しているのではないだろうか。

参考:「騎士団長殺し」の登場人物と過去の小説との対応(私見ですが) 

私:岡田亨「ねじまき鳥クロニクル

柚:クミコねじまき鳥クロニクル

免色 渉:五反田くん「ダンス・ダンス・ダンス

秋川 まりえ:ユキ「ダンス・ダンス・ダンス

絵画教室の生徒の女:安田恭子「1Q84

イデア(騎士団長):カーネル・サンダース海辺のカフカ

白いスバル・フォレスターの男:ジョニー・ウォーカー海辺のカフカ

3/11の頃

 忘れられるはずがない、忘れてはならない記憶も薄らいでいく

今年も3月11日になった。

忘れられるはずがない、忘れてはならない、と思いながら、やはり時とともに記憶は確実に薄らいでいく。

その当時に書かれたブログのエントリーを読み返して当時の記憶を蘇らせようと思う。

超現実な世界と強迫観念とJ.G.バラード

東日本大震災福島第一原子力発電所事故が発生した時、ちょうどJ.G.バラードの自伝「人生の奇跡」を読んでいた。

テレビでは津波と被災地の惨状と福島第一原子力発電所の映像が延々と流され、最初はこの世のできごととはとても思えず、J.G.バラードの超現実的な世界のように思われた。自分が生きている世界とJ.G.バラードの小説世界がシンクロしたことが、いったいどんな意味があったのかは今でもよくわからない。シンクロすることによって何がしかの癒やしが得られたとも思わないし、なにか現実的に役立つことがあったとも思えない。しかし、超現実的な世界を描いた小説の現実的な力、のようなものを感じたことは確かだ。

J.G.バラードは、第二次大戦下の香港にイギリス人の子供として育ち、過酷な経験をして、そのことか彼に強迫観念を植え付けた。彼自身、そのことによって苦しみもしたが、一方でそれゆえ彼の小説群が書かれることになった。彼が強迫観念に苦しんだことには彼自身にとって価値があった、とまでは第三者の私には言えないけれど、私自身にとっては彼の小説群は大きな価値がある。

東日本大震災福島第一原子力発電所事故がもたらした苦しみは肯定できないけれど、何かを生み出している、そして、生み出していくのだ、と考えたい。

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人生の奇跡 J・G・バラード自伝 (キイ・ライブラリー)

人生の奇跡 J・G・バラード自伝 (キイ・ライブラリー)

 

無力感と怒りと自分なりの社会貢献 

あまりに大きなできごとに、最初は無力感を感じ、そしてその次には怒りがやってきた。今思うと、3/11から1か月ぐらいのあいだはずいぶん情緒不安定だったと思う。

私は、積極的に社会に貢献しようと思って行動することはあまりないが、それでもこのときばかりは何か人に役立つことができないかと考えた。この時期、鉄道の運行状況が不安定で、前日の夕方になるまでどの路線が運行するのかわからなかった。しかも、それぞれの鉄道会社のウェブサイトに運行状況が日本語でアップロードされるだけで、それを英語でまとめて読めるサイトは存在しなかった。3/11のしばらく前に英語で書くブログは始めていたので、毎日交通の情報をまとめて翻訳する、という作業をしていた。

実際にどれだけ役立ったかはよくわからないが、ある程度のアクセス数があったから何がしかの貢献はできたのだろう、と考えることで、自分の無力感や怒りを鎮めていた。

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その次には諦観がやってきた

 交互に無力感と怒りに囚われる時期が過ぎ、その次には諦観がやってきた。

はっぴいえんど「風をあつめて」は、まだ都電が縦横無尽に走っていた時期の東京を描いた歌である。この歌を聴きながら、今ある東京もいずれ失われてしまうのだろう、と淡々と思うようになった。その気持をすなおにブログに書いたら、海外のひとからずいぶんペシミスティックな考え方だと驚かれた。

しかし、あの地震を経験した人たち、そして、東京の空襲、関東大震災、それ以前の数々の大災害や火災を経験した人たちは、どこか似たような諦観を共有しているのではないかと思う。

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この経験を共有するには

東日本大震災福島第一原子力発電所事故に関して書いたエントリーのうち、次の二つは想像以上に多くのページビューがあった。

ひとつは村上春樹のカタルニア国際賞でのスピーチ「非現実的な夢想家として」の英訳と、もうひとつは日本ははたして民主主義国家といえるのか、という疑問について書いたエントリーである。

3/11から数か月が経ち、まだ生々しい記憶はあるが、ある程度できごとを俯瞰できるようになった時期に書いたものである。今読み返しても手を加えようと思うところはない。

この時、この経験を共有しなければ、という気持ちが強くあったし、この文章を読み返すと、今もこの経験をより広く共有することが重要なのだ、と改めて思う。

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“Politically Correctness” and Clint Eastwood’s film “Gran Torino”

トランプ大統領が支持される理由のひとつに「ポリティカル・コレクトネス」を無視した発言がある、と言われている。私自身、トランプ大統領を支持している訳ではないけれど、「ポリティカル・コレクトネス」には疑問を感じているところもある。

クリント・イーストウッドがインタビューのなかで「ポリティカル・コレクトネス」について語っていた。これに触発されて、ちょっと考えてみた。今回のブログは、アメリカ人にも読んでもらいたいので、英語で書いてみた。後半、和訳も掲載した。英語からの翻訳の日本語だから、少々読みづらいかもしれない。

The film “Moonlight” won best picture at the 2017 Oscars. The story of this film is about a black LGBT boy, who grew up in a tough environment. Of course it is of great value to bring attention to such a life in order to eliminate discrimination. Black LGBT people are a quite minority, but at least attention has been paid to them.

Clint Eastwood’s film “Gran Torino” is about Hmong immigrants and an old Polish man living alone in Detroit. Hmong people is an ethnic group from mountain area of Chine, Vietnam, Laos, Myanmar and Thailand, and many of them became refugees because of Vietnam War. I guess they would be most abandoned people in the USA.

Recently it was said that displaced white people supported Donald Trump in the presidential election, and the attention to them is increasing. Clint Eastwood made the film “Gran Torino” in 2008, when the attention to them wasn’t high. Even now the situation of Hmong people isn’t well known at all.

In the interview by Esquire magazine Clint Eastwood said as follows.

When I did Gran Torino, even my associate said, "This is a really good script, but it's politically incorrect." And I said, "Good. Let me read it tonight." The next morning, I came in and I threw it on his desk and I said, "We're starting this immediately." 

www.esquire.com

I wonder why “Gran Torino” is “politically incorrect”. I could understand that “Gran Torino”, whose story was about Hmong people and an old Polish man, would not make a profit, but why is it “politically incorrect?”

In this interview Clint Eastwood also said, “Secretly everybody's getting tired of political correctness.” If “politically correctness” prevents the film about most abandoned people, what is “politically correctness” worth?

I don’t support Donald Trump, but at the same time I feel that “politically correctness” is quite shallow.

「政治的正しさ」とクリント・イーストウッドの映画「グラン・トリノ

「ムーンライト」が2017年のアカデミー賞最優秀映画賞を獲得した。この映画のストーリーは、厳しい環境で成長する黒人のLGBTの少年を扱ったものだ。もちろん、差別を撤廃するためにこのような人生を紹介することは大きな価値がある。黒人でLGBTの人たちは非常に少数派だけれども、少なくとも関心は持たれている。

クリント・イーストウッドの映画「グラン・トリノ」は、モン族の移民とデトロイトで孤独に暮らすポーランド系の老人に関するものである。モン族は、中国、ベトナムラオスミャンマー、タイの山岳地帯に起源を持つ民族で、ベトナム戦争のために多くの人たちが難民となった。おそらく、アメリカでもっとも見放されている人びとだろう。

最近、見放された白人が大統領選挙でドナルド・トランプを支持したと言われており、彼らへの関心が高まっている。クリント・イーストウッドが「グラン・トリノ」を作ったのは2008年で、当時は彼らへの関心は高くなかった。現在でもモン族の状況はほとんど知られていない。

エスクァイア誌のインタビューで、クリント・イーストウッドは次のように語っている。

グラン・トリノを撮ったとき、私の同僚ですら「これはほんとうにいい脚本だけど、「政治的に正しくない」」と言っていた。だから私は「よし、じゃあ読んでみよう」と言ったんだ。翌朝、私は彼の机の上にこの脚本を放り投げて「すぐにこいつに取り掛かろう」と言った。

なぜ、「グラン・トリノ」が「政治的に正しくない」のだろうか?モン族とポーランド系の老人を扱った「グラン・トリノ」が利益を生みそうにない、ということなら理解できるけれど、なぜ、これが「政治的に正しくない」のだろうか?

このインタビューでクリント・イーストウッドは次のようにも語っている。「みんな密かに政治的正しさにうんざりしているんだ。」もし、「政治的な正しさ」がもっとも見放された人たちを扱った映画のじゃまになるのなら、「政治的な正しさ」には何の価値があるのだろう?

私はドナルド・トランプを支持しないけれど、同時に「政治的正しさ」が浅薄に思える。