暮らすように旅をする、旅をするように暮らす

暮らすように旅をする

若い頃はハードなバックパッカー的旅行をしていたこともあったけれど、最近は「暮らすように旅をする」ようになった。

長距離の移動は東京から目的地の往復だけにして、一回の旅行で宿泊するのは理想的には一か所、多くて二か所にする。朝は早起きをして、ジョギングをしたり、ホテルにプールがあれば泳ぐ。あわてて観光に行かないようにして、朝食はなるべくゆっくり食べる。観光は日帰りで、目的地もなるべく二か所ぐらいにして、できれば三時ぐらいにいったんホテルに戻り、小休止、時間があれば昼寝をする。スーパーで買い物をしたり、その土地で買った洋服を着たり、理髪店で髪を切るのも楽しい。夕方は、もちろんその地元の住民が集まっている飲み屋にでかける。

旅行先も、機会があれば暮らしてみたい、という基準で選ぶようになってきた。

旅するように暮らす

以前、ゴールデンウィークにはちょっとした旅行をすることが多かった。しかし、この時期の東京は、一年のなかでいちばん気候がいい。そうであれば、わざわざ旅行するよりは、東京で過ごしたほうがいいと思った。

今年のゴールデンウィークは、東京の自宅で旅するように暮らしている。 朝、早起きをして身体を動かし、朝食はゆっくり食べる。午前、散歩をしたり、買い物をしたりして、昼食は外食をする。午後、早い時間には帰宅をして、昼寝をして、夕方の早い時間から飲み始める。東京で、旅行のときと同じように過ごす。

昨日は、散歩がてら「都電テーブル」という食堂で昼食を食べた。やさしい味付けの定食がおいしかった。明るい日差しのもとTシャツ姿で歩いていると、まるでハワイの気候のようで気持ちがいい。旅をするように東京の暮らしを満喫している。

リタイア後の生活の先取り

考えてみれば、旅するように暮らす、ということは、リタイア後の生活の先取りをしているように思う。そして、暮らすように旅をする、ということは、いろいろな土地で理想のリタイア後の暮らしのお試しをしているのかもしれない。

旅するように暮らすことができればいいな、と思う。

現代グローバリゼーションの最前線:明和電機とフライングタイガーと汕頭、義烏、深セン

明和電機とフライングタイガー

明和電機が作っている「魚コードUSB」の海賊版が全世界のフライングタイガーで販売され、 それに対して明和電機がさすがな対応をした、という事件があった。さまざまなことが考えさせられる実に興味深いできごとだった。

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明和電機は、「アート」の作品をマスプロダクトの製品として販売している。そのなかの代表作がこの「魚コードUSB」である。この「魚コードUSB」は中国の工場で製造されていて、どのような経緯かはわからないが、フライングタイガーでその金型を使って作られた海賊版の商品が販売されていたという。それに気がついた人が明和電機に伝え、明和電機はその店に行って、そこにある商品を買い占め、自分の「魚コードUSB」のパッケージに入れ替えて、サイン入りで自分のウェブサイトから販売し、すぐに完売したという。

明和電機のマスプロダクト製品は、アートとはなにか、オリジナルとコピーとは何か、ということを問いかけているアートである。同じ金型を使っているという意味ではか物理的にはぎりなく本物に近い商品がフライングタイガーで売られており、それをオリジナルを作って売っていた明和電機が買って、パッケージだけを入れ直して転売する、これはオリジナルなのか、コピーなのだろうか。そして、明和電機の行為そのものはアートそのものだけれども、最終的なブツとしての「魚コードUSB」はアートなのか、ただのパチモノなのだろうか。また、よく知らずにやったとは言え、フライングタイガーも明和電機に絶好の機会を提供したものだなと思う。そして、明和電機の対応はアーティストとしてすばらしいと思う。

汕頭発のおもちゃのグローバリゼーション

「アート」という観点からみてもおもしろい話なのだが、企画、設計、製造、流通、販売という流れがいかにグローバリゼーション化されているか、ということがあらわになったケースとして見ても興味深いと思う。

明和電機のブログに、明和電機と似たアートとマスプロダクトの狭間で活動しているバイバイワールドの髙橋征資さんとの対談が掲載されている。

髙橋氏は「魚コードUSB」のように販売している「パチパチクラッピー」(これ自体、かなりくだらない商品ですばらしいけれど)の類似商品がダイソーで販売される(「パチパチトールくん」という名称、オリジナルに劣らずくだらない)経験について語っている。ちなみに「パチパチトールくん」については、販売される前に連絡があり、ダイソーで販売される前に販売許可を出したので、フライングタイガーのときと違って海賊版として販売されることにはならなかった。

詳しい経緯は、以下にリンクを貼った対談を読んでもらいたい(実に興味深い話なのでぜひとも)が、要約するとこんな経緯のようである。

中国には汕頭というおもちゃの巨大な常設の見本市が集積した都市があり、その周囲には膨大なおもちゃの町工場がある。その見本市には、海賊版、オリジナル版を含め、膨大なおもちゃのサンプルを置いた商社が集まっていて、世界からこの種の安いおもちゃを仕入れようとする人たちが集まり、商談がまとまるとさっそく生産して納品するという段取りになる。そのなかのひとつの商社が、ダイソーに「パチパチトールくん」を売り込み商談がまとまった。ただ、その商社の日本担当の社員が良心的な人で、オリジナル商品があるということを発見して髙橋氏に連絡したという。

驚愕!中国のコピー商品市場 <前編> | 明和電機社長ブログ

驚愕!中国のパチモン市場<中編> | 明和電機社長ブログ

衝撃!中国のパチモン市場<後編> | 明和電機社長ブログ
明和電機の「魚コードUSB」のこのような工場で作られていたのだろう。そして、汕頭では、オリジナルな商品も目指しつつも、大量の海賊版が作られている。フライングタイガーやダイソーといった大規模な小売店のバイヤーが買い付けに来て、オリジナル商品と海賊版がないまぜになって売られていく。これはまさに汕頭発のおもちゃのグローバリゼーションだ。

この汕頭はおもちゃのグローバリゼーションの発信地だが、中国の義烏という都市には、「義烏マーケット」と呼ばれるさらに巨大な日用雑貨の発信地があるという。

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現代の「ものづくり」のメッカ:メイカーと深セン

汕頭、義烏は「安かろう悪かろう」の商品やコピー商品が大量に作られ、売られているようだ。しかし、 日本や韓国の経験を踏まえて考えれば、オリジナルの商品に置き換わっていくだろうし、そのプロセスも急速に進んでいくはずだ。おそらく、現在そのような変化が急速に進んでいるのだろう。

深センでは、電子部品、電子機器において似たような状況にあるという。中国製の電子機器のコピー商品には、外側だけ似せた商品や機能もある程度再現した商品などさまざまのレベルがあるようだ。コピー商品は、オリジナルの研究開発をする時間、費用を節約できるとはいえ、オリジナル商品が発売されてからさほども間もなく販売されるスピードやその安さは驚異的だ。汕頭や義烏が、他の地域に真似できない集積で世界のおもちゃや雑貨生産の中心となっているが、深センも似たような地域になりつつある。

深センでは、最近「創客」(メイカー)と呼ばれる存在が注目を集めているようだ。メイカーとは、ハードウェアのスタートアップのことを指す言葉で、深セン市も振興を進めているようだ。かつての秋葉原大田区の町工場のように、深センの電気街(これも秋葉原ラジオ会館をモデルにしてるという)やコピー商品を作っている小工場からなる「エコシステム」が、メイカーの振興の基礎となっている。

 

www.newsweekjapan.jp

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未来都市深セン 

興味深いのは、深センがたんなる電子機器の「ものづくり」の都市ではないことだ。

急速に人口が膨張し、さまざまな課題を抱え、良くも悪くも「レガシー」がない深センでは、新しいテクノロジーが実験場になっているという。また、深センには、画家、というより、画工が集積して、複製画(や、複製画という名の贋作)が大量に作られている絵画村という地域があるそうだ。

イノベーションは必要を母として生じる。日本は「課題先進国」であるけれど、高齢化によって保守化したためか、課題に対応する新しいイノベーションの受け入れに時間がかかる。深センのようにさまざまな課題を抱え、イノベーションがあっという間に普及する場は、世界の中でもイノベーションのインキュベーションの中心になるだろう。

明和電機は中国の工場に「魚コードUSB」を発注しているが、そのうち(もしかしたらすでに存在するかもしれないが)絵画村に絵を発注する画家も出てくるだろう。そして、同じ画工がその贋作を同時に制作し、絵画の真贋の境界があいまいになる例もでてくるのではないか。

今やシリコンバレーではなく、中国のこのような混沌のなかからイノベーションが生まれる時代になりつつあるのだと思う。

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現代グローバリゼーションの最前線から遠ざかる日本

今や日本はグローバリゼーションの最前線からどんどん遠ざかっている。

高齢化による保守化により、良く言えばレトロで落ち着いた、悪く言えば古びていて活気がない国になっている。デフレと円安で物価が安い。しばらく前、リタイアした後、物価が安い海外で老後を過ごすことが話題になったことがある。考えてみれば、今や日本こそ老後を過ごすことに最適な国になりつつあるように思う。

あと10年もすると、中国のリタイアした富裕層が、日本で老後を過ごすことが流行するかもしれない。 

病床川柳

口蓋扁桃摘出術と病床川柳

 三年前のゴールデン・ウィークに、慢性扁桃炎になっていた扁桃を摘出する手術を受けた。詳細は以下のエントリーにまとめている。手術前はよく熱発していたが、今ではすっかり健康になっている。

yagian.hatenablog.com

手術する以前、やはり扁桃炎で高熱を発して入院したことがあった。入院生活はある意味暇で手持ち無沙汰でもあり、また、その時の気持ちを記録に残しておこうと思い「病床川柳」を書いていた。最近、iPhoneのなかのファイルを整理しているとき、「病床川柳」を書いたファイルを開く機会があった。ふだん、川柳を作っている訳ではないので、まるで自己流のつたないものだけれども、気持ちはよく表現されていると思う。

病院の間引きされたる蛍光灯

これは、入院する時、夜、救急外来の前の廊下のベンチに座っている情景。日中は人が多いけれど、その時間は人気がなく、蛍光灯が間引きされて薄暗かった。熱が出ていて苦しく、早く治療をして欲しいと思いながら順番を待っていた。

点滴の滴る音を幻聴す

入院中の治療の大部分は、抗生物質の点滴だった。点滴液がぽつり、ぽつりと落ちるのを眺めながら、早く終わらないかなと思って待っている時間が長かった。実際には点滴液が落ちる音は聞こえないのだけれども、幻聴するような気分になる。

我もまた 六尺の病床に臥せており

病気で身体が弱ると気も弱くなる。そういうときの心の支えは、正岡子規「病床六尺」だった。彼のように、気持ちを保つことはできないけれど、辛い時は辛いと言っていいんだと思うだけで、ずいぶん気が楽になった。 

病牀六尺 (岩波文庫)

病牀六尺 (岩波文庫)

 

腕に流れる点滴薬涼し

入院中は点滴を注入する針は挿しっぱなしになる。点滴をするとき、その針にチューブを接続する。点滴液が流れ始める時、冷たい液体が身体の中に流れ込んでくるような気がする。点滴液の冷たさで、発熱した身体を冷やすわけではないけれど、少しは涼しくなったような気分がした。

腕に巻く患者番号1993695

入院患者は、リストバンドに書いた患者番号で管理されている。だからといって、非人間的に扱われたわけではないけれど。

食後すぐ横臥し牛になる

扁桃炎で発熱していると、ずっとだるさがあって横になっている。小さい頃、食後すぐに寝ると牛になると言われていたのを思い出して、これではすっかり牛になっているなぁと思っていた。

咳き込みて我も名乗るかホトトギス

咳をすると喉が痛くなって辛い。しかし、咳を止めることができない。最後の方には、喉のどこかが切れて痰に血がまじるようになる。結核だった正岡子規は、血を吐くまで鳴くというホトトギスという意味の「子規」というペンネームを名乗った。これでは、自分もホトトギスのようだと思った。

汗臭きパジャマ脱ぎ捨て風呂に入る

じっとしていて点滴を受けている時間が長い入院生活のなかで、汗を流せる風呂の時間は、待ち遠しかった。

剃り跡の青白き顔を見つめる

朝、洗面所の白い蛍光灯の光の下で鏡に映る自分を見ると、ずいぶんやつれてしまったなぁと思った。

退院の挨拶を聞く次は我か

6人部屋に入っていた。退院のあいさつをして帰っていく人もいる。点滴が効いてきて徐々に熱が下がると、そろそろ退院できるかなと思うようになる。

アームバンドを切り無罪放免

無罪放免、というとお世話になった病院の方々に申し訳ないけれど、退院の瞬間にはやはりこれで解放される、という安堵感はある。

歯車が噛み合ってきた:今週のヤンキース

若手とベテラン、打線とピッチャー、スターターとブルペンの歯車が噛み合ってきた

開幕第一週目は最低のスタートだったけれど、今週のヤンキースはさまざまな歯車が噛み合ってきて5連勝した。

第一週目は、先発ピッチャーが試合を作れずに連敗していたけれど、今週に入って6〜7回まで試合を作れるようになった。7回以降はクリッパード、ベタンセス、チャップマンの強力なブルペンが機能して逃げ切ることができるようになった。

特に、セベリーノ、モントゴメリーといった若手が好投したことが大きい。もっとも、スプリングトレーニングの状況を見ている限り、彼らは好不調の波は大きいだろう。そして、開幕二回の登板の結果が悪かった田中将大が、三回目の登板はまずまずの結果を残してひと安心である。やはり、彼が安定してローテーションの軸にならないと、チームの成績は安定しないだろう。

打線は、必ずしも活発ではないが、ブルペンの力に助けられ、接戦を勝つだけの得点を取ることができている。ガードナー、エルズベリー、ホリデイといったベテランはしぶとく相手ピッチャーにより多くの投球を投げさせている。若手は気持ちよくフルスイングをして、その日に調子が良かったバッターがホームランを打っている。アーロン・ジャッジが三試合連続ホームランを打ったが、まだまだ粗さがあり、もろさもある。この一週間はプロスペクトとベテランがうまく補い合っている。

脆さもあり、期待もある

開幕一週目は若さゆえの脆さが露呈した。二週目は若さとベテランがうまく補い合い、五連勝をした。これからも、調子の変動は大きいと思う。大きく連勝することもあるだろうし、一気に負けが込むこともあるだろう。

プロスペクトたちのなかでDL入りした選手もいるが、今のヤンキースはプロスペクトの層が厚く、代わりになる選手がでてくる。今は、そんなプロスペクトたちがいきいきとプレイをして、成長するところを見ているだけで楽しい。

喫煙に厳しく飲酒に寛容な国

日本は「禁煙ファシズム」の国か

禁煙ファシズム」という言葉がある。

私自身は非喫煙、飲酒者であるけれど、日本は喫煙に厳しく飲酒に寛容な国だという印象はある。だから、喫煙者が「禁煙ファシズム」という言葉で、喫煙への抑圧を表現したい、という気持ちはわからなくもない。

たしかに、自分自身がヘビースモーカーだったり、ヘビースモーカーから恒常的に受動喫煙を受ける環境に生活していれば、タバコの健康への影響は大きいだろう。しかし、ごくまれに同席した人が喫煙者で、その受動喫煙を受けるぐらいであれば、その健康被害については、私自身はあまり気にしない。世の中には健康に害を与えるものは、他にもいくらでもある。

私は喉が弱く、タバコの煙を吸い込むと咳き込んでしまう。また、タバコの香りを嗅ぐことが少ないから、匂いについては気になる。食事をする場でタバコを吸われると、食べ物の香りがわからなくなることもあり、それはかんべんしてほしいなと思う。お酒を飲む場では、こちらも酩酊して嗅覚味覚が半ば麻痺しているから、あまり気にならない(咳き込んではしまうけれど)。

喫煙の害

喫煙の害は、喫煙者自身の健康被害受動喫煙による健康被害、これらの健康被害による社会的負担、火による危険性(火事ややけどなど)、非喫煙者にとっての煙や香りの不快感といったところだろうか。

喫煙者自身の健康被害は、いわば自業自得であって、特に他人が指図することでもないように思う。「愚行権」という言葉があり、自由には自らにとってネガティブな行動を取る権利もある、という考え方を指す。私自身は、この愚行権の考え方に賛同するし、喫煙の権利もこの範疇に入ると思う。

いや、健康被害によって社会的負担が高まるため、本人の問題とは割り切れないという指摘がある。しかし、喫煙による健康被害によって、病気の治療のための負担は増加するが、平均寿命が短くなり高齢者福祉の負担は軽減され、プラスマイナスでは社会保障の負担はむしろ軽くなるという研究もあるようだ。

非喫煙者にとって、受動喫煙による健康被害、煙や香りの不快感の問題は、喫煙できる場所が特定され、分離されれば大きな問題にならないように思う。私自身、おいしそうな飲み屋が喫煙可だと、諦めることがある。これは残念なことではあるが、そのお店の経営方針が私と合わなかったということで、それ以上とやかく言うことではない。

火の危険性については、たしかに問題だと思う。東京消防庁平成27年の出火原因別火事による死亡者数は、タバコは16人(23%)、特に寝タバコのケースが危険だという。

東京消防庁<広報テーマ(2016年10月号)>

飲酒の害

一方、飲酒の害はどのようなものがあるだろうか。飲酒者の健康被害、これには肝臓病などの身体的なものもあり、アルコール依存症による精神的なものもある。また、飲酒にまつわる事故、トラブルも多い。飲酒運転は運転者自身も傷つけるし、他者へ危害を加えるケースも多い。また、酩酊した状態で歩行する際の事故も多く、電車のホームから落ちる事故も発生している。

平成26年では飲酒運転による死亡事故は227件発生している。

平成26年中の交通事故死者数 - 一般財団法人 全日本交通安全協会

また、平成26年での鉄道のホームから転落、またはホーム上で列車と接触して死傷する事故の死者数は35人で、このうち酔客による事故件数は60.9%である。

第1章 鉄道交通事故の動向|平成27年交通安全白書(全文) - 内閣府

飲酒者の健康被害愚行権の範疇とは言える。しかし、アルコール依存症になると自らの意志でアルコールを断つことはきわめて難しく、周囲の家族にもきわめて大きい負担を与えることになる。また、飲酒運転では、被害者にとっても加害者にとっても悲惨である。

喫煙に厳しく飲酒に寛容な国

喫煙の害と飲酒の害を公正に比較したデータを見たことはないが、直感的に言えば、飲酒の害が喫煙の害に比べて無視しうるほど小さいとは思えない。しかし、なぜか、現在の日本では喫煙に対しては厳しさが増しているが、飲酒運転への厳罰化は進んでいるものの飲酒一般への規制が厳しくはなっていない。

しかし、世界的に見て喫煙に厳しく、飲酒に寛容であることが、一般的なわけではない。イスラームのように、飲酒を禁じる宗教は多い。アメリカでかつて禁酒法が施行された背景には、宗教的な飲酒への忌避感が背景にある。現在でも、飲酒を禁じる町(ドライ・タウン)や郡(ドライ・カウンティ)が存在する。また、公共の場での飲酒が禁じられ、戸外でアルコールを飲む時は紙袋に酒瓶を包んで飲む国も多いし、そもそもそのような国では「まともな人」は公共の場で酩酊しないのが当然だと考えられていることもある。

このような国と比較して、日本はなぜか飲酒に寛容である。歩きタバコも困るけれど、公共の場で酩酊する人もかなり迷惑である。仕事を終えて終電で電車に乗るとき、酩酊した人の酒の匂いを嗅がされるのはかなり不快である(人のことは言えないけれど)。

喫煙者や飲酒者の本人への害は愚行権の範疇だが、本人以外に害を与えるのはマナーとして、法的に規制する必要があるだろう。しかし、なぜか、現在の日本では、アンバランスに喫煙に厳しく、飲酒に寛容なように見える。少なくとも、タバコ同様にアルコールのパッケージに健康被害の可能性や飲酒運転への注意を喚起する表示を義務付けてもよいのではないだろうか。

どん底のスタート、しかし、これからは上がるだけだ:ニューヨーク・ヤンキース2017シーズン開幕

どん底のスタート

ブログは1週間に1回のペースで更新しているが、今回、ニューヨーク・ヤンキースのシーズン開幕直後の状態があまりにも悪いので急遽更新することにした。

タンパベイ・レイズとの開幕シリーズは1勝2敗、ボルティモア・オリオールズとのシリーズは2連敗している。単に負け越しているというだけではなく、その内容がきわめて悪い。開幕前に期待されていた部分の調子が悪く、弱点と思われていた部分はそのまま弱点のままである。

スプリング・トレーニングの時点でのヤンキースの戦力予測

スプリング・トレーニングの時点では、今年のヤンキースの戦力は次のように予測されていた。

  • スターター:田中将大は信頼できるが、その他のスターターは安定感に欠ける。特にローテーションの四人目以降には若手の台頭が必要。
  • ブルペン:クローザーもセットアッパーも盤石。ヤンキースの戦力のなかでもっとも信頼できる
  • バッティング:若手有望株が揃っていて、ベイビー・ボンバーズと呼ばれている。信頼性は未知数だが、勢いに乗れば大いに期待できる。

開幕後のヤンキースの状況

さて、開幕後の状況はどうだろうか。

  • スターター:田中将大が大きな誤算。開幕戦ではこれまで数年間で見たことないほど短いイニングでノックアウト。サバシアは0点に抑えたが、5回までで交代した。サバシア以外のスターターは田中将大の二回目の登板も含めて試合を作れず、ブルペンに負担をかけている。
  • ブルペン:信頼されているセットアッパーのクリッパード、ベタンセスが、オリオールズに打たれて二試合連続の逆転負け。これは想定外の事態だ。
  • バッティング:最も期待されていて、スプリング・トレーニングで絶好調だったゲイリー・サンチェス、グレッグ・バードが不調である。しかし、このようなことがありうることは想定できた。WBCで負傷したディディ・グレゴリウスの代わりに出場しているロナルド・トレイエスが活躍している。これからも意外な若手が登場して活躍するだろう。もっとも想定外だったのは、ゲイリー・サンチェスの負傷。DLに入ってしまった。

しかし、これからは上がるだけだ

今年のヤンキースは、若くて未知数のチームだ。伸びしろも大きいが、それが裏目に出る可能性もある。今は、単に若さが裏目に出ただけではなく、信頼できるはずの田中将大ブルペンも結果を出せずにいる。

しかし、これ以上最悪の事態はありえないだろう。新しいプロスペクトが登場することもあるだおう。

これからは上がるだけだ。

ニューヨーク・ヤンキースと私:期待と不安に満ちたシーズン開幕

ニューヨーク・ヤンキースとの出会い

私とニューヨーク・ヤンキースの出会いは1998/8/9である。

夏休みにニューヨーク旅行をして、今は解体されてしまった昔のヤンキー・スタジアムで真夏のデイゲームを観戦した。もともと気になっていたチームだったけれど、実際の試合を見てすっかりファンになってしまった。

この当時はまだ「ブログ」というシステムがなく、「ブログ」のようなものをウェブ(当時の呼び方だと「ホームページ」の方がしっくりくる)に掲載していた。ヤンキースとの出会いの日にちを特定できるのは、「ブログ」を続けていたからだ。たまには「ブログ」も役に立つこともある。

http://yagian.html.xdomain.jp/diary/9808.htm#19980809

「ニュー・ダイナスティ」時代のヤンキース

この1990年代後半のヤンキースは実にすばらしいチームだった。

1995年に、マリアーノ・リベラ、アンディ・ペティート、デレク・ジーターというその後十数年にわたってヤンキースを支える生え抜きの中心選手たちがデビューする。そして、1996年に18年ぶりにワールド・シリーズで優勝する。その後、1998年から2000年にかけてワールド・シリーズで三連覇する。

いまから振り返ってみると、1998/8/9のヤンキースはすばらしいメンバーだった。先発ピッチャーがペティート、クローザーとしてリベラがでてきた。中堅選手としてバーニー・ウィリアムスがおり、3年目のジーターはすでにスターになっていた。生きのいい若手、中堅を、ポール・オニールティノ・マルティネスチャック・ノブロックジョー・ジラルディといったベテランが支え、絶妙なバランスだった。

その時期のヤンキースの魅力について、英語のブログに書いたことがある。その部分を和訳してみようと思う。

yagian.blogspot.jp

1990年代のニューヨーク・ヤンキースを愛していた。彼らは、スマートでクールな野球をやっていた。マッチョなパワー・ヒッターいなかったが、選手はみなチームの勝利に献身していた。身勝手なプレイをする選手はいなかった。

大きなリードで勝つことは少なく、試合の終盤に逆転してわずかなリードで勝つことが多かった。彼らのゲームは緊張にみちあふれ、じつに楽しかった。

ある晴れた日に、ヤンキー・スタジアムのシートに座っていた。そのゲームではアンディ・ペティートが先発した。最初はロイヤルズがヤンキースをリードしていたけれど、デレク・ジーターポール・オニールバーニー・ウィリアムスがロイヤルズのピッチャーを打ち崩し、試合を逆転した。最後はマリアーノ・リベラが締めくくった。ヤンキース・ファンにとって最高に完璧な試合だった。

アンディ、デレク、マリアーノは若く、輝いていた。バーニーは黄金期だった。

 

ヤンキースのこの時代は「ニュー・ダイナスティ(新ヤンキース王朝)」と呼ばれている。

アメリカ同時多発テロ事件ヤンキースの最後の輝き

2001年にアメリカ同時多発テロ事件が起きる。それと軌を一にしてヤンキース苦闘の時代が始まる。

2001年に松井秀喜ヤンキースに入団する。この年、アリゾナダイヤモンドバックスとのワールド・シリーズは第7戦までもつれるが、結局敗退してしまう。この後、ポスト・シーズンの試合には進めるが、ワールド・シリーズに勝つことができない時代が続く。

1990年代後半には当たり前のようにワールド・シリーズを勝っていたから、当然、この時期もそのことを期待される。毎年のようにベテランのフリーエージェントを補強することを繰り返すうちに、徐々にチームが擦り切れていく。

2009年に久しぶりにワールド・シリーズに勝つ。松井秀喜ヤンキースでの最後のシーズンであり、ワールド・シリーズMVPになった年である。これがヤンキースの最後の輝きだった。

そしてヤンキース転落の時代

その後、ヤンキースの成績は下降線をたどる。

コア・フォーと呼ばれた「ニュー・ダイナスティ」を支えた生え抜きの選手たち、ジーター、リベラ、ペティート、ポサダがチームを離れ、引退していく。その年の最大の話題が彼らの引退に占められてしまう。チームの高齢化は進むばかりで、将来の希望が見えない時期が続く。

この時期のヤンキースを悪い意味で代表するのが、アレックス・ロドリゲスである。彼は、ファンのフラストレーションを一身に受けていたようなところがある。しかし、彼は、「ニュー・ダイナスティ」時代のヤンキースの美点、献身、緊張、逆転、若さといった要素からことごとく遠かった。また、彼の長期契約と高額のサラリーがチーム再建の障害になっていたのも事実である。

ベイビー・ボンバーズと期待と不安

しかし、アレックス・ロドリゲスの引退とともにすべての歯車は逆転をし始める。

昨シーズンの後半、アレックス・ロドリゲスの引退が決まると同時に、ベテランを大胆に放出し、プロスペクト(有望新人)を貪欲に獲得するようになった。スターティング・ラインナップは一新される。そのなかで、ベイビー・ボンバーズと呼ばれる若手選手たち、特に、ゲイリー・サンチェスがシーズン後半だけで20本のホームランを打って、一気にスターとなる。ベテランのマット・ホリデーを獲得し、彼は「ニュー・ダイナスティ」時代のチームの精神的支柱だったポール・オニールに重ね合わさる。

これまでの淀んだ雰囲気が一掃され、今年のスプリング・トレーニングは期待に満ちたもので、しかも各選手の仕上りは順調すぎるほど順調だった。特に印象的だったのは、ポッドキャストで聞いたファンとブライアン・キャッシュマンGMとのやり取りだった。スプリング・トレーニング中のファンに対するイベントで、キャッシュマンへの質問コーナーのことだった。ファンと言っても、選手や監督ではなく、GMに質問したいと思うぐらいだから相当濃い人たちばかりである。その彼らが一様に2016年後半以降のキャッシュマンの仕事に全面的に感謝しているのである。その気持は痛いほどよくわかる。2009年以降、希望というものがまるで見えない時期が続いていたが、それが一気に払拭されたのだから。

しかし、スプリング・トレーニングが順調すぎると、期待とともに不安も湧いてくる。案の定、開幕3試合が経過して、ヤンキースの弱点が露呈する結果になっている。

まず、先発投手の不安。最も信頼できるはずの田中将大が短いイニングでノックアウトされる。サバシアはまずまずのピッチングだったが5回で交替し、今後長いイニングが投げられるか不安を残した。そして、第3戦でピネダもノックアウト。四番手以降の先発は固定できない状態だ。田中の復調と若手の台頭が必須である。

ベイビー・ボンバーズの若さゆえの脆さも露呈している。スプリング・トレーニングで好調だったゲイリー・サンチェスとグレッグ・バードが不振に陥っている。打てないことはしかたないとしても、淡白な打撃が気になる。まだ、ポスト・シーズンのような緊張感があるところで真価は問われていないから、どこまで勝負強さがあるかが未知数である。

とはいえ、いままでは「伸びしろ」がまったく見えなかったメンバーだったけれど、今は「伸びしろ」ばかりの選手が集まっている。あとこれから5年ぐらいは彼らの成長を見ることで十分楽しめるはずだ。