「勝ってた負けてたはジャッジの仕事なんで、受け入れるしかありません」

先週の土曜日、村田諒太と アッサン・エンダムのWBA世界ミドル級タイトルマッチがあり、エンダムが判定勝ちをした。判定については物議を醸しているが、その当否については、私はよくわからない。ただ、判定を聞いたときの村田諒太の驚いた表情は印象的だった。

その村田諒太Facebookに次のように書き込んでいた。

多くの方に応援いただいたのに、勝つことが出来ず申し訳ございません。
勝ってた負けてたはジャッジの仕事なんで、受け入れるしかありません
それがアスリートの役目かと思っています
少し休んでこの先のことは考えます
応援ありがとうございました。
負けてすみません。
村田 諒太

村田諒太 Facebookより)

 村田諒太のプロ転向、世界挑戦までの道のりは、日本のプロボクシング界最大のプロジェクトである。資金力があり、非常に充実したトレーニング環境が提供されているようだ。一方で、スポンサーをはじめ関係者も多く、村田諒太にかかるプレッシャーも並大抵ではなかっただろう。

自分が勝つか負けるかで周囲にあまりに大きな影響を与える、そのような環境のなか、どのような態度に対応すればよいのだろうか?

自分の力の及ぶことはできうる限りする、そして、力の及ばないことは淡々と受け入れる、それしかないのだと思う。多くの場合、自分の力の及ぶところ、及ばないところを見定めることができず、心が乱れて、自分の力が及ぶことについてベストを尽くすことができないのだろう。

「勝ってた負けてたはジャッジの仕事」というのは、一見、無責任のようにもみえるけれど、自分の力の及ぶ範囲を厳しく見定める結果、こういう言葉になったのだろう。たしかに、判定で勝てるようなボクシングをすることは「選手の仕事」だけれども、最終的に判定するのは「ジャッジの仕事」だ。おそらく、ジャッジに抗議をするのは「ジムの仕事」だろう。

手垢の付いた言葉でいえば「人事を尽くして天命を待つ」ということだが、村田諒太のようにこれを突き詰めることは簡単ではない。

傲慢→否認→怒り→取引→抑鬱→受容(いまココ):TOEICと私

エリザベス・キューブラー=ロスの「死の受容のプロセス」

エリザベス・キューブラー=ロスという精神科医が、人間が自らの死期を悟ってから、死を受容するまでの感情の推移について、「キューブラー=ロスモデル」を提唱しているという。

  • 否認・隔離
    自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
  • 怒り
    なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
  • 取引
    なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
  • 抑うつ
    なにもできなくなる段階である。
  • 受容
    最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

( エリザベス・キューブラー=ロス - Wikipediaから引用)

実際にどれほどの人がこのようなプロセスを経るのかわからないけれど、死に限らず、自分が認めたくない現実に直面したとき、同じような心理的なプロセスを経ることがあるのは実体験として理解できる。

傲慢→否認→怒り→取引→抑鬱→受容(いまココ):TOEICと私

ひょんな理由で来週の日曜日にTOEICを受験することになった。

自分自身がぜひともTOEICのスコアを必要としている状況ではないので、わりと気軽に考えていたところがあった。また、前回、旧方式のTOEICを受験した時に、望外の好成績だったので、今回、新方式に変わったといってもそれほど成績は落ちないだろうと楽観していた。今思えば、かなり傲慢だった。

今回のゴールデン・ウィークは旅行をしなかったので、比較的余裕があった。そこで、TOEICの問題集を試しに解いてみることにした。そうしたら、リスニングの問題は不正解が多く、リーディングは時間内に最後までたどり着かなかった。冷静に考えれば、前回のような成績は取れるはずがない状態なのだが、その事実を心理的に否認しようとしていた。たしかに前回受験の時は英語のブログを書いていた時期だったから、英語のインプットとアウトプットの量はいまとは比較にならないけれど、Podcastで英語の番組は熱心に聞いているからヒアリングは悪くなっていないはずだと思った。だから、この問題集は実際のテストよりかなり難しくなっていて、実際にTOEICを受験すれば成績は変わらないはずではないか、と考えた。これが否認の段階である。

しかし、実際の試験より多少は難易度が高いとしても、そのときの自分の成績はボロボロだった事実は否定しようがない。次は、自分に対して腹が立った。いまは中国語を学習しているからといって、英語だって手を抜くべきではなかったのではないか。さすがに周囲に怒りをぶつけることまではしなかったけれど、これが怒りの段階である。

試験まであと二週間しかないが、少しでも対策をしようと思い、書店に行き、薄くて小さくて、通勤途中でも勉強ができるTOEICの対策本を買い、少しのヒマを見つけたら、すかさず問題を解くようにした。言ってみれば、その対策本にすがっている状況で、これが取引の段階である。

仕事も比較的忙しい時期で、中国語も中国語検定3級を受験しようとしていたから、TOEICに全力投球もできない。そもそも準備の時間も足りない。そもそも自分は今、TOEICのスコアを必要としている訳じゃないので、準備する意味があるのだろうかと疑念にとらわれるようになった。これが抑鬱の段階である。

そして今は、もう少し客観的に考えられるようになった。TOEICは、正確ではないところもあるだろうけれど、現在の自分の英語の実力を評価することができる。おそらく、自分の得意、不得意がはっきりするはずだ。今は今の自分の実力を受け止めて、今後の英語学習に活かせばよいではないか。そして、試験対策の勉強も英語そのものの実力向上にも役に立つはずで、ムダにはならないだろう。これが受容の段階である。現在はこの段階である。

そして再び「受容のプロセス」が

今はTOEICに向けて比較的落ち着いた気持ちになっている。

しかし、なかば予想はしているとはいえ、受験後に自分の得点が送られてきたら、失望するだろう。そのとき、また、否認→怒り→取引→受容のプロセスを繰り返すのだろうと思う。

語学学習に限らず、日常生活で自分が望まない状況を受け入れるために、この受容のプロセスを際限なく繰り返している。いきなり受容できればいいけれど、おそらく、このプロセスを経ないわけには行かないのだろう。

「受容のプロセス」それ自体を受容する、ことが必要なのだろう。

 

(近場の)巡礼の旅

鎌倉三十三観音霊場めぐり

五年かけて鎌倉に通い、去年の七月に鎌倉三十三観音霊場巡礼を結願した。

巡礼を始めた頃は、まだまだ知る人ぞ知る、という存在だったように思うが、年を追うごとに御朱印帳を持ってお参りする人に会うようになった。

鎌倉にこれだけいいお寺があることをはじめて知ったし、このような機会がなければ足を運ぶことがなかった場所に行くことになり、鎌倉の魅力をより広く、深く触れることができた。お参りをして、御朱印をいただき、境内の片隅で休憩するひとときは、なにか安心感があってリラックスすることができる。

鎌倉三十三観音霊場巡礼は結願した時、まだ巡礼の旅を続けたいと思った。

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東京の近郊の巡礼

東京近郊にもいろいろな巡礼がある。

秩父三十四観音霊場巡礼は、ハイキングを兼ねて行くにはよさそうだ。これまで、あまり秩父に行ったことがないけれど、鎌倉と同じように新たな魅力を発見できると思う。ただ、わが家から秩父まで少々離れているので、始めるなら、やや覚悟と計画が必要になりそうだと思う。

東京都内には、昭和新撰江戸三十三観音霊場巡礼があるようだ。あまり知らない東京の町を歩くのにも惹かれる。秩父三十四観音霊場巡礼よりは、こちらの方が取り組みやすそうだ。

しかし、この昭和新撰江戸三十三観音霊場巡礼もそれなりに本格的だから、足慣らし(と言うと失礼だけれども)も兼ねて、東京十社めぐりを始めることにした。

東京十社めぐりの楽しみ

東京十社めぐりは、お寺ではなく、神社を巡るものだ。Wikipediaによると1975年に企画されたようで、歴史はやや浅く、観光要素も強い。鎌倉三十三観音に比べると宗教的な感じは乏しいけれど、逆に、それだけ気軽に回ることができるとも言える。

東京十社 - Wikipedia

私が勤める会社は赤坂にあり、まずは昼休みを利用して、日枝神社赤坂氷川神社からスタートした。日枝神社は毎年初出勤のときに初詣をしていてなじみがある。赤坂氷川神社は、会社からさほど離れていないけれど、今回はじめて参詣した。雑居ビルやマンションが立ち並ぶ地域のなかに丘があり、その丘の上だけが急にひっそりとした森になっている。こういう森のなかでほっと一息をついていると、南方熊楠の神社合祀への反対運動(南方熊楠 神社合祀に関する意見)は先見性があったと再確認する。東京はこういった神社によって緑の空間が守られている。

次に、休日を使って下町の神社を巡った。亀戸天神にお参りをして(このとき、中国語検定の試験前で「神授鉛筆」を買った。この後、めでたく中国語検定四級に合格できた。)、白河清澄に足を伸ばして清澄庭園ブルーボトルコーヒーに立ち寄り、深川不動富岡八幡宮にお参りをして、最後は門前仲町の居酒屋で仕上げた。下町に足を伸ばすことは少ないから、珍しさもあって楽しかった。

その次は、やはり休日を利用して、文京区の神社を中心に参拝した。神田神社からスタートして谷中まで歩き、Tokyo Bikeで自転車を借りた。そのあとは、森鴎外記念館、根津神社白山神社を巡り、谷中に戻って自転車を返し、谷中ビアホールで仕上げた。このエリアはなじみ深いけれど、森鴎外記念館は行きたいと思いながらなかなか機会がなかったので、いい機会になった。東京十社になっている神社に行くだけではなく、その近くのところをついでに寄るのも楽しい。

残りの三つの神社は散在しているので、それぞれ機会を作って参詣することにした。王子神社は自宅から片道約5kmなので、ジョギングと兼ねてお参りした。芝大神宮は、芝で食事会があったので、立ち寄ることができた。品川神社については次の節で書こうと思う。

東京十社めぐり結願と江戸五色不動、江戸三大鬼子母神巡礼へ

東京十社めぐりもあと品川神社だけになったので、このゴールデンウィーク中に結願して、新しい巡礼を始めることにした。

新しい巡礼として、まずは、わが家の地元にある目白不動雑司ヶ谷鬼子母神が含まれる江戸五色不動と江戸三大鬼子母神巡礼をしよう、そしてそれらが終わったら昭和新撰江戸三十三観音霊場巡礼に取り組もうと思った。五色不動は「虚無への供物」(いま、アマゾンで検索したら、Kindle版はあるものの、紙の本は品切れになっているようで、かなりショックを受けている)で印象深い。鬼子母神は、バリ島に旅行したときに、鬼子母神にあたる神が祀られているのを発見して、インドからかたや日本、かたやバリ島に受け継がれているのを知って、感動した記憶がある。

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

 
新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)

 

まず、ゴールデンウィークのある日、近所に散髪についでに、雑司が谷鬼子母神目白不動御朱印をいただいた。雑司が谷鬼子母神は、副都心線雑司が谷駅ができてから、特に休日はにぎわっているけれど、目白不動はひっそりとしたお寺という印象があった。しかし、ゴールデンウィーク中は、私以外にも御朱印をいただきに来ている人がいて、以前よりはずいぶん参詣する人が増えているようだった。

そして、十社めぐりの最後の品川神社に行くことにあわせて、まず、三軒茶屋にある目青不動にお参りをして、バスに乗って目黒不動に行き、さらにバス乗り品川神社にお参りをして、最後はTY Harborに行って結願を記念してビールで打ち上げをした。

三軒茶屋から目黒不動までの東急バスは、田園都市線東横線目黒線の間の住宅地をぐるぐると巡って、車窓からふだんは目にすることのない地域を眺めることができた。目黒不動ははじめてお参りをしたのだけれど、思ったより立派なお寺で、武蔵野の林を風が吹き抜け、木々の葉を鳴らす音を聴いていると、東京にいるのに日常を忘れることができる。品川神社は、かつての海岸沿いの崖の上にある。おそらく、江戸時代だったら江戸湾を一望できたのだと思う。今は、目の前には埋立地が広がっている。

鎌倉三十三観音霊場めぐりは、かなり観光化されているといえ、宗教的な雰囲気が濃厚に残されている。それに比べると、東京十社めぐりはかなり世俗化、観光化されている。しかし、「旅するように暮らす」楽しみは存分に味わうことができたように思う。

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暮らすように旅をする、旅をするように暮らす

暮らすように旅をする

若い頃はハードなバックパッカー的旅行をしていたこともあったけれど、最近は「暮らすように旅をする」ようになった。

長距離の移動は東京から目的地の往復だけにして、一回の旅行で宿泊するのは理想的には一か所、多くて二か所にする。朝は早起きをして、ジョギングをしたり、ホテルにプールがあれば泳ぐ。あわてて観光に行かないようにして、朝食はなるべくゆっくり食べる。観光は日帰りで、目的地もなるべく二か所ぐらいにして、できれば三時ぐらいにいったんホテルに戻り、小休止、時間があれば昼寝をする。スーパーで買い物をしたり、その土地で買った洋服を着たり、理髪店で髪を切るのも楽しい。夕方は、もちろんその地元の住民が集まっている飲み屋にでかける。

旅行先も、機会があれば暮らしてみたい、という基準で選ぶようになってきた。

旅するように暮らす

以前、ゴールデンウィークにはちょっとした旅行をすることが多かった。しかし、この時期の東京は、一年のなかでいちばん気候がいい。そうであれば、わざわざ旅行するよりは、東京で過ごしたほうがいいと思った。

今年のゴールデンウィークは、東京の自宅で旅するように暮らしている。 朝、早起きをして身体を動かし、朝食はゆっくり食べる。午前、散歩をしたり、買い物をしたりして、昼食は外食をする。午後、早い時間には帰宅をして、昼寝をして、夕方の早い時間から飲み始める。東京で、旅行のときと同じように過ごす。

昨日は、散歩がてら「都電テーブル」という食堂で昼食を食べた。やさしい味付けの定食がおいしかった。明るい日差しのもとTシャツ姿で歩いていると、まるでハワイの気候のようで気持ちがいい。旅をするように東京の暮らしを満喫している。

リタイア後の生活の先取り

考えてみれば、旅するように暮らす、ということは、リタイア後の生活の先取りをしているように思う。そして、暮らすように旅をする、ということは、いろいろな土地で理想のリタイア後の暮らしのお試しをしているのかもしれない。

旅するように暮らすことができればいいな、と思う。

現代グローバリゼーションの最前線:明和電機とフライングタイガーと汕頭、義烏、深セン

明和電機とフライングタイガー

明和電機が作っている「魚コードUSB」の海賊版が全世界のフライングタイガーで販売され、 それに対して明和電機がさすがな対応をした、という事件があった。さまざまなことが考えさせられる実に興味深いできごとだった。

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明和電機は、「アート」の作品をマスプロダクトの製品として販売している。そのなかの代表作がこの「魚コードUSB」である。この「魚コードUSB」は中国の工場で製造されていて、どのような経緯かはわからないが、フライングタイガーでその金型を使って作られた海賊版の商品が販売されていたという。それに気がついた人が明和電機に伝え、明和電機はその店に行って、そこにある商品を買い占め、自分の「魚コードUSB」のパッケージに入れ替えて、サイン入りで自分のウェブサイトから販売し、すぐに完売したという。

明和電機のマスプロダクト製品は、アートとはなにか、オリジナルとコピーとは何か、ということを問いかけているアートである。同じ金型を使っているという意味ではか物理的にはぎりなく本物に近い商品がフライングタイガーで売られており、それをオリジナルを作って売っていた明和電機が買って、パッケージだけを入れ直して転売する、これはオリジナルなのか、コピーなのだろうか。そして、明和電機の行為そのものはアートそのものだけれども、最終的なブツとしての「魚コードUSB」はアートなのか、ただのパチモノなのだろうか。また、よく知らずにやったとは言え、フライングタイガーも明和電機に絶好の機会を提供したものだなと思う。そして、明和電機の対応はアーティストとしてすばらしいと思う。

汕頭発のおもちゃのグローバリゼーション

「アート」という観点からみてもおもしろい話なのだが、企画、設計、製造、流通、販売という流れがいかにグローバリゼーション化されているか、ということがあらわになったケースとして見ても興味深いと思う。

明和電機のブログに、明和電機と似たアートとマスプロダクトの狭間で活動しているバイバイワールドの髙橋征資さんとの対談が掲載されている。

髙橋氏は「魚コードUSB」のように販売している「パチパチクラッピー」(これ自体、かなりくだらない商品ですばらしいけれど)の類似商品がダイソーで販売される(「パチパチトールくん」という名称、オリジナルに劣らずくだらない)経験について語っている。ちなみに「パチパチトールくん」については、販売される前に連絡があり、ダイソーで販売される前に販売許可を出したので、フライングタイガーのときと違って海賊版として販売されることにはならなかった。

詳しい経緯は、以下にリンクを貼った対談を読んでもらいたい(実に興味深い話なのでぜひとも)が、要約するとこんな経緯のようである。

中国には汕頭というおもちゃの巨大な常設の見本市が集積した都市があり、その周囲には膨大なおもちゃの町工場がある。その見本市には、海賊版、オリジナル版を含め、膨大なおもちゃのサンプルを置いた商社が集まっていて、世界からこの種の安いおもちゃを仕入れようとする人たちが集まり、商談がまとまるとさっそく生産して納品するという段取りになる。そのなかのひとつの商社が、ダイソーに「パチパチトールくん」を売り込み商談がまとまった。ただ、その商社の日本担当の社員が良心的な人で、オリジナル商品があるということを発見して髙橋氏に連絡したという。

驚愕!中国のコピー商品市場 <前編> | 明和電機社長ブログ

驚愕!中国のパチモン市場<中編> | 明和電機社長ブログ

衝撃!中国のパチモン市場<後編> | 明和電機社長ブログ
明和電機の「魚コードUSB」のこのような工場で作られていたのだろう。そして、汕頭では、オリジナルな商品も目指しつつも、大量の海賊版が作られている。フライングタイガーやダイソーといった大規模な小売店のバイヤーが買い付けに来て、オリジナル商品と海賊版がないまぜになって売られていく。これはまさに汕頭発のおもちゃのグローバリゼーションだ。

この汕頭はおもちゃのグローバリゼーションの発信地だが、中国の義烏という都市には、「義烏マーケット」と呼ばれるさらに巨大な日用雑貨の発信地があるという。

aio-inc.com

現代の「ものづくり」のメッカ:メイカーと深セン

汕頭、義烏は「安かろう悪かろう」の商品やコピー商品が大量に作られ、売られているようだ。しかし、 日本や韓国の経験を踏まえて考えれば、オリジナルの商品に置き換わっていくだろうし、そのプロセスも急速に進んでいくはずだ。おそらく、現在そのような変化が急速に進んでいるのだろう。

深センでは、電子部品、電子機器において似たような状況にあるという。中国製の電子機器のコピー商品には、外側だけ似せた商品や機能もある程度再現した商品などさまざまのレベルがあるようだ。コピー商品は、オリジナルの研究開発をする時間、費用を節約できるとはいえ、オリジナル商品が発売されてからさほども間もなく販売されるスピードやその安さは驚異的だ。汕頭や義烏が、他の地域に真似できない集積で世界のおもちゃや雑貨生産の中心となっているが、深センも似たような地域になりつつある。

深センでは、最近「創客」(メイカー)と呼ばれる存在が注目を集めているようだ。メイカーとは、ハードウェアのスタートアップのことを指す言葉で、深セン市も振興を進めているようだ。かつての秋葉原大田区の町工場のように、深センの電気街(これも秋葉原ラジオ会館をモデルにしてるという)やコピー商品を作っている小工場からなる「エコシステム」が、メイカーの振興の基礎となっている。

 

www.newsweekjapan.jp

diamond.jp

未来都市深セン 

興味深いのは、深センがたんなる電子機器の「ものづくり」の都市ではないことだ。

急速に人口が膨張し、さまざまな課題を抱え、良くも悪くも「レガシー」がない深センでは、新しいテクノロジーが実験場になっているという。また、深センには、画家、というより、画工が集積して、複製画(や、複製画という名の贋作)が大量に作られている絵画村という地域があるそうだ。

イノベーションは必要を母として生じる。日本は「課題先進国」であるけれど、高齢化によって保守化したためか、課題に対応する新しいイノベーションの受け入れに時間がかかる。深センのようにさまざまな課題を抱え、イノベーションがあっという間に普及する場は、世界の中でもイノベーションのインキュベーションの中心になるだろう。

明和電機は中国の工場に「魚コードUSB」を発注しているが、そのうち(もしかしたらすでに存在するかもしれないが)絵画村に絵を発注する画家も出てくるだろう。そして、同じ画工がその贋作を同時に制作し、絵画の真贋の境界があいまいになる例もでてくるのではないか。

今やシリコンバレーではなく、中国のこのような混沌のなかからイノベーションが生まれる時代になりつつあるのだと思う。

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現代グローバリゼーションの最前線から遠ざかる日本

今や日本はグローバリゼーションの最前線からどんどん遠ざかっている。

高齢化による保守化により、良く言えばレトロで落ち着いた、悪く言えば古びていて活気がない国になっている。デフレと円安で物価が安い。しばらく前、リタイアした後、物価が安い海外で老後を過ごすことが話題になったことがある。考えてみれば、今や日本こそ老後を過ごすことに最適な国になりつつあるように思う。

あと10年もすると、中国のリタイアした富裕層が、日本で老後を過ごすことが流行するかもしれない。 

病床川柳

口蓋扁桃摘出術と病床川柳

 三年前のゴールデン・ウィークに、慢性扁桃炎になっていた扁桃を摘出する手術を受けた。詳細は以下のエントリーにまとめている。手術前はよく熱発していたが、今ではすっかり健康になっている。

yagian.hatenablog.com

手術する以前、やはり扁桃炎で高熱を発して入院したことがあった。入院生活はある意味暇で手持ち無沙汰でもあり、また、その時の気持ちを記録に残しておこうと思い「病床川柳」を書いていた。最近、iPhoneのなかのファイルを整理しているとき、「病床川柳」を書いたファイルを開く機会があった。ふだん、川柳を作っている訳ではないので、まるで自己流のつたないものだけれども、気持ちはよく表現されていると思う。

病院の間引きされたる蛍光灯

これは、入院する時、夜、救急外来の前の廊下のベンチに座っている情景。日中は人が多いけれど、その時間は人気がなく、蛍光灯が間引きされて薄暗かった。熱が出ていて苦しく、早く治療をして欲しいと思いながら順番を待っていた。

点滴の滴る音を幻聴す

入院中の治療の大部分は、抗生物質の点滴だった。点滴液がぽつり、ぽつりと落ちるのを眺めながら、早く終わらないかなと思って待っている時間が長かった。実際には点滴液が落ちる音は聞こえないのだけれども、幻聴するような気分になる。

我もまた 六尺の病床に臥せており

病気で身体が弱ると気も弱くなる。そういうときの心の支えは、正岡子規「病床六尺」だった。彼のように、気持ちを保つことはできないけれど、辛い時は辛いと言っていいんだと思うだけで、ずいぶん気が楽になった。 

病牀六尺 (岩波文庫)

病牀六尺 (岩波文庫)

 

腕に流れる点滴薬涼し

入院中は点滴を注入する針は挿しっぱなしになる。点滴をするとき、その針にチューブを接続する。点滴液が流れ始める時、冷たい液体が身体の中に流れ込んでくるような気がする。点滴液の冷たさで、発熱した身体を冷やすわけではないけれど、少しは涼しくなったような気分がした。

腕に巻く患者番号1993695

入院患者は、リストバンドに書いた患者番号で管理されている。だからといって、非人間的に扱われたわけではないけれど。

食後すぐ横臥し牛になる

扁桃炎で発熱していると、ずっとだるさがあって横になっている。小さい頃、食後すぐに寝ると牛になると言われていたのを思い出して、これではすっかり牛になっているなぁと思っていた。

咳き込みて我も名乗るかホトトギス

咳をすると喉が痛くなって辛い。しかし、咳を止めることができない。最後の方には、喉のどこかが切れて痰に血がまじるようになる。結核だった正岡子規は、血を吐くまで鳴くというホトトギスという意味の「子規」というペンネームを名乗った。これでは、自分もホトトギスのようだと思った。

汗臭きパジャマ脱ぎ捨て風呂に入る

じっとしていて点滴を受けている時間が長い入院生活のなかで、汗を流せる風呂の時間は、待ち遠しかった。

剃り跡の青白き顔を見つめる

朝、洗面所の白い蛍光灯の光の下で鏡に映る自分を見ると、ずいぶんやつれてしまったなぁと思った。

退院の挨拶を聞く次は我か

6人部屋に入っていた。退院のあいさつをして帰っていく人もいる。点滴が効いてきて徐々に熱が下がると、そろそろ退院できるかなと思うようになる。

アームバンドを切り無罪放免

無罪放免、というとお世話になった病院の方々に申し訳ないけれど、退院の瞬間にはやはりこれで解放される、という安堵感はある。

歯車が噛み合ってきた:今週のヤンキース

若手とベテラン、打線とピッチャー、スターターとブルペンの歯車が噛み合ってきた

開幕第一週目は最低のスタートだったけれど、今週のヤンキースはさまざまな歯車が噛み合ってきて5連勝した。

第一週目は、先発ピッチャーが試合を作れずに連敗していたけれど、今週に入って6〜7回まで試合を作れるようになった。7回以降はクリッパード、ベタンセス、チャップマンの強力なブルペンが機能して逃げ切ることができるようになった。

特に、セベリーノ、モントゴメリーといった若手が好投したことが大きい。もっとも、スプリングトレーニングの状況を見ている限り、彼らは好不調の波は大きいだろう。そして、開幕二回の登板の結果が悪かった田中将大が、三回目の登板はまずまずの結果を残してひと安心である。やはり、彼が安定してローテーションの軸にならないと、チームの成績は安定しないだろう。

打線は、必ずしも活発ではないが、ブルペンの力に助けられ、接戦を勝つだけの得点を取ることができている。ガードナー、エルズベリー、ホリデイといったベテランはしぶとく相手ピッチャーにより多くの投球を投げさせている。若手は気持ちよくフルスイングをして、その日に調子が良かったバッターがホームランを打っている。アーロン・ジャッジが三試合連続ホームランを打ったが、まだまだ粗さがあり、もろさもある。この一週間はプロスペクトとベテランがうまく補い合っている。

脆さもあり、期待もある

開幕一週目は若さゆえの脆さが露呈した。二週目は若さとベテランがうまく補い合い、五連勝をした。これからも、調子の変動は大きいと思う。大きく連勝することもあるだろうし、一気に負けが込むこともあるだろう。

プロスペクトたちのなかでDL入りした選手もいるが、今のヤンキースはプロスペクトの層が厚く、代わりになる選手がでてくる。今は、そんなプロスペクトたちがいきいきとプレイをして、成長するところを見ているだけで楽しい。