ベンチャー・キャピタリストの目のつけどころ:菊池寛と芥川龍之介

スタンフォード大学留学帰国報告会で

先日、会社からスタンフォード大学に派遣されていた社員の社内での帰国報告会に参加してきた。

去年から1年間一人ずつスタンフォード大学に派遣されるようになり、今回は二人目の帰国報告会である。去年の報告会に比べて参加者が圧倒的に増え、会議室から人があふれていた。

社内でもイノベーションとかAIという言葉を聴くことが増えており、社員の関心が高まっていることを実感した。

ベンチャー・キャピタリストの目のつけどころ

報告会で、シリコンバレーベンチャーキャピタルインターンをしたときの話があった。

ベンチャー・キャピタリストが投資先を選ぶとき、特に初期の段階では、ビジネスプランも見るけれど、主として「人」に着目するという。どのような問題を解決しようとしているか、それをなぜその人が解決しなければならないと考えているのか、そして成功するまで粘り続けることができるのか。

スタートアップが成功するとき、ある時点で急激に成長するタイミングがやってくる。そのタイミングまで、3〜5年ぐらいかかるのが普通で、それまでは何をやってもうまくいかないように見える低迷の時期が続くという。その低迷の時期を抜けるまで粘り続けることができる「人」か、ということがキャピタリストの目のつけどころなのだという。

 実業家として成功した菊池寛

しばらく前、菊池寛芥川龍之介を比較したエントリーを書いたことがあった。

以前、菊池寛の小説は好きではなかったけれど、久しぶりに「恩讐の彼方に」を読んだら、優れた小説とは思わなかったけれど、村人のために岩山をくり抜こうとする主人公の了海に不覚にも感動してしまった。「芥川龍之介菊池寛と私」のエントリーのなかで「恩讐の彼方に」のあらすじをまとめているので、引用しておこう。

前非を悔いて出家した了海という僧が、難路に苦労している村人のために、岩山に独力でトンネルをくり抜こうとする話である。了海は一人で岩山にノミをふるう。村人はトンネルが実現することを誰一人信じず、彼を嘲笑する。しかし、一年経って了海がそれなりの長さのトンネルを掘っていることに気がつくと、村人たちはもしかしたら実現するかもしれないと思い直して石工を雇い了海に助力する。しかし、しばらくすると掘削の進展の遅さに諦め、石工を解雇してしまう。しかし、了海はまったく気にせず、ひたすらにノミをふるい続ける。するとまた村人は石工を雇い、また解雇し、ということを繰り返すが、了海はただ掘り続ける。村人はトンネルが半分ほどできあがっていることに気がつき、今度は本気で助力する。

芥川龍之介と菊池寛と私 - Everyday Life in Uptown Tokyo

考えてみれば、了海はベンチャー・キャピタリストが投資する際に着目する条件に合致している。解決したい問題は明確で、彼自身がその問題に取り組まなければならない理由もはっきりしておりパッションに満ちている。そして、周囲の環境の変化に左右されず、問題解決のために粘り強く取り組み続ける。

了海を、「善」を体現した人物として小説に取り上げた菊池寛は、文藝春秋の創業者として、小説家としてよりも実業家として成功した。彼自身にも了海のような資質があったのか、少なくともそのような人物を理想として目指すマインドセットがあり、それが彼の成功の要因の一部だったのだろう。

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牛のように超然と押していけなかった芥川龍之介

芥川龍之介の才気に溢れた短編小説を読んだ夏目漱石は、その小説を賞賛し、次のようなアドバイスをする。

あせって不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押していくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。 (1916年8月24日 芥川龍之介久米正雄宛)

「牛は超然として押していくのです。」 - Everyday Life in Uptown Tokyo

 残念ながら芥川龍之介は「超然として押していく」ことはできなかった。

芥川龍之介夏目漱石を崇拝しており、菊池寛はそれほどでもなかったという。しかし、皮肉なことに菊池寛こそが、夏目漱石の書簡の通りに「超然と押していく」了海を主人公とした「恩讐の彼方に」を書き、また、実業界で成功することができた。

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祖父が語っていた「運鈍根」

生前、祖父が私たち孫に向かって「運鈍根」が大切だと語っていた。

夏目漱石の書簡を受け取った芥川龍之介の年齢に近かった私は、まあ、通俗的な道徳っぽい話だな、と軽く受け流していた。そして、その頃の私は、「恩讐の彼方に」は抹香臭い小説だと思い、芥川龍之介の才気にあこがれていた。

しかし、芥川龍之介に書簡を出した夏目漱石の歳になると、祖父の「運鈍根」の話の重みがわかるようになってきた。残念ながら、時間がたっぷりある若いうちにはその重みには気が付かず、気がついたときにはすでに人生の残り時間は限られている。

歳を取って見える景色がある。そして、若いうちにそれを知っていればよかったと後悔することもある。だから、若い人にそのことを伝えたいと思う。しかし、若い人はそれを理解することはできない。

おそらく、これまでも同じことはずっと繰り返されてきたし、また、これからも繰り返されるのだろう。