そうしないわけにはいかなかったのだ

今、山形行きの新幹線の車中にいる。
村上春樹アフターダーク」(講談社文庫)(ISBN4062125366)を読み終わり、モバイルパソコンの蓋を開けて、感想を書こうと考えているところだ。
福島駅で列車が切り離され、山に向かって坂道を上っている。まわりは真っ暗で、窓ガラスに反射する自分の姿しか見えない。
どんな小説でもそうだけれども、ことに村上春樹の小説は時間が経って読み返してみると印象が大きく変わっていることがある。だから、小説全体の印象についてはこの時点で書こうとは思わない。まして、批評めいたことも書かない。
とりあえず、「アフターダーク」自体のことについて書くのではなく、この小説を読んで、自分の心に浮かんだことについて書いてみる。
アフターダーク」という小説は、ストーリーを知ってしまうと読む楽しみが減るということもないかと思うけれど、なにがしかの感想を書こうと思えばストーリーの一端に触れざるを得ないから、心配な人はここから先の文章は「アフターダーク」を読み終わってから読んだ方がよいかもしれない。
また、この感想は「アフターダーク」のごく一部分、一面だけを拡大して書いているから、この小説を通読すれば、もっとさまざまな印象を受けるはずであることを断っておこうと思う。
小説にかぎらず、本を読むときには、ひっかかった文章があるページの隅を折り曲げながら読む。ひととおり読み終わった後、そのページの拾い読みをする。「アフターダーク」のなかで、いちばんひっかかった部分は、白川という男について描写した次の部分だ。かなり長いけれど、引用してみようと思う。

 服装は清潔で、こざっぱりとしている。個性的でもないし、洗練された着こなしというのでもないが、身につけるものにはそれなり神経をつかっている。趣味も悪くない。シャツもネクタイも高価なものに見える。おそらくブランド品だろう。顔立ちには知的な印象があり、育ちも悪くなさそうだ。左手の手首にはめられた時計は上品な薄型。眼鏡はアルマーニ風だ。手は大きく、指は長い。爪はきれいに手入れされ、薬指には細い結婚指輪がはめられている。これといって特徴のない顔立ちだが、表情の細部には意志の強さがうかがえる。おそらくは40歳前後、少なくとも顔のまわりには、肉のたるみはまったくない。彼の外見には、よく整頓された部屋のような印象がある。ラブホテルで中国人の娼婦を買う男には見えない。ましてやその相手を理不尽に殴打し、衣服をはぎ取って持っていくようなタイプには見えない。でも現実に彼はそうしたし、そうしないわけにはいかなかったのだ。

「肉のたるみはまったくない」というところは違っているけれど、まるで自分のことを書かれているように思える。もちろん、文字通りの意味で、中国人の娼婦を買い、その相手を理不尽に殴打し、衣服をはぎ取って持っていくわけではないけれども、白川の邪悪さに通じるものが自分にもあるように思う。
高橋は、マリに次のように話す。

「ちょっと思ったんだけどさ、こんな風に考えてみたらどうだろう?つまり、君のお姉さんはどこだかわからないけど、べつの『アルファヴィル』みたいなところにいて、誰かから意味のない暴力を受けている。そして無言の悲鳴を上げ、見えない血をながしている」

具体的に語ることは難しいから、比喩的にしか語れないけれど、高橋が言うように、自分は誰かに意味のない暴力をふるい、無言の悲鳴を上げさせ、見えない血を流させているのかもしれない。
白川の邪悪さの恐ろしさは、他者への無関心さにある。妻からの電話も、表面上のつじつまを合わせるだけで、結局のところ、妻や子供への関心はほとんどない。帰宅した後も、家族の寝顔を見るわけでもない。これは、小説の最後、帰宅したマリがエリの寝ているベッドに潜り込むのと対照的だ。
そして、白川は、暴力をふるわない「わけにはいかなかった」にもかかわらず、その相手の中国人の娼婦、郭冬莉にほとんど関心を持っていない。彼は、彼女から奪ったものを次のように扱う。

 それらをひとつひとつ手にとって点検しながら、白川は終始「どうしてこんなものがここにあるのだろう?」という顔をしている。微量の不快さをふくんだ、怪訝な表情だ。もちろん彼は、「アルファヴィル」の一室で自分がどんなことをしたのか、そっくり記憶している。たとえ忘れようとしても、右手の痛みが思い出させてくれるはずだ。にもかかわらずそこにあるすべての事物は、ほとんど正当な意味をなさないものとして、彼の目に映る。無価値な廃棄物。もともと彼の生活に進入するべきではない種類のものだ。

愛憎のあまりに暴力を振るうこともあるのだろう。しかし、白川は違う。相手への無関心ゆえに、暴力のための暴力をためらいもなく振るうことができる。その無関心さが、冷酷さをもたらしている。
白川に似たところがある自分としては、なぜ、彼は「そうしないわけにはいかなかった」のかが気になる。もしかしたら、特に理由などなく、ただ「そうしないわけにはいかなかった」だけなのかもしれない。
何か理由があれば、その理由を発見し、取り除くことができれば、「そうし」ないですむかもしれない。しかし、理由がなければ、「そうしないわけにはいかなかった」ということから逃れることができない。
白川とは少しタイプが違うけれど、「ダンス・ダンス・ダンス」(講談社文庫)(ISBN:4061850059)の五反田くんのことも気に掛かっている。彼も、なぜ、キキを殺さなければならなかったのか、そして、自殺しなければならなかった。彼も、ただ単に「そうしないわけにはいかなかった」のだろうか。
アフターダーク」の登場人物たちは、はっきり見えているわけではないけれど、少しずつ救いへの方向が見え始める。しかし、白川と彼が暴力を振るった郭冬莉には、救いが見えない。白川に似ている私にとって、この救いのなさが気に掛かるのである。