秋空、稲穂、蕎麦、藤沢周平

山形からの帰りの新幹線の中でこの日記を書いている。めずらしくビールは飲んでいない。
昨日は、最終の新幹線で山形へ行き、駅に直結したホテル・メトロポリタン山形に泊まった。今朝は、山形駅から9時過ぎの列車に乗り、寒河江という町で仕事をした。帰りは、山形駅まで自動車で送ってもらい、そのまま新幹線に乗った。往復の新幹線では、窓の外はすっかり日が暮れて、景色も見えない。味気ないと言えば、これほど味気ないことはない出張である。それでも、実際に足を運んでみれば、話に聞くだけとは違うこともある。
今日の山形は快晴だった。まわりに高い建物がなく、盆地のなかは起伏がないためか、空が広く感じられた。顔をあげると、視野のほとんどが青色になる。空が高い。
視線を正面に戻すと刈り取り前の水田が広がっている。地元の人は、山形は災害が少ない土地柄だが、今年は台風が三つも通って大変だったと言っていた。りんごが落ちたり、海が近い水田では塩水をかぶる被害があったという。しかし、ここ寒河江では、さしたる被害もなかったようで、稲穂は黄金色だった。風景も、暮らしている人たちも、のんびりとしているように見える。地元の人は、ここは住みやすい土地だと胸を張った。
お昼に、地元の蕎麦屋につれていってもらった。板蕎麦といい、白木の四角いお盆のような食器に、田舎風の黒くて太めに切った蕎麦がたっぷりと盛られてでてきた。しっかりした蕎麦で、満腹になった。
山形の蕎麦が有名になったのは、昔から蕎麦がおいしかったからか、最近のキャンペーンのためかと聞くと、両方だという答えが返ってきた。以前より、山形は蕎麦の産地だったからおいしかったけれど、有名になったのはキャンペーンのおかげだろうという。前には、まずい蕎麦屋もあったけれど、有名になってからはそれが淘汰されて、どこの蕎麦屋に入ってもまずまずおいしいという。
私の山形県のイメージというと、なっといっても藤沢周平の海坂藩だけれども、地元の人には藤沢周平は人気があるのだろうかと尋ねた。それほど人気はなかったけれど、最近は、映画のロケがきっかけで読む人が増えてきたという答えだった。どうやら、私はまずいことを聞いてしまったらしかった。山形県の中でも、海坂藩のモデルとなった庄内と山形盆地のあたりでは少々雰囲気がちがうようだ。山形盆地の寒河江では、藤沢周平が地元の人という意識があまりないのだろう。庄内で同じことを尋ねれば、また答えが違うかも知れない。