猫を猫として

保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」(草思社)(ISBN:4794212542)を読んだ。題名が「小説入門」となっているけれど、内容は保坂和志が考える小説作法である。この本からは、彼の小説への志の高さが感じられて気持ちがよかった。
冒頭に小説の定義が書いてある。これだけ簡潔で的を射た小説の定義は読んだことはない。

 それは小説とは”個”が立ち上がるものだということだ。べつの言い方をすれば、社会化されている人間のなかにある社会化されていない部分をいかに言語化するかということで、その社会化されていない部分は、普段の生活ではマイナスになったり、他人から怪訝な顔をされたりするもののことだけれど、小説には絶対に欠かせない。つまり、小説とは人間に対する圧倒的な肯定なのだ。

たまたま、森鴎外「北条霞亭」(ちくま文庫)(ISBN:4480030891)を拾い読みをしていたが、鴎外の史伝物はこの小説の条件によく当てはまっている。鴎外自身、「歴史そのままと歴史離れ」(「森鴎外随筆集」(ISBN:4003100689)所収)に「わたくしの近頃書いた、歴史上の人物を取り扱った作品は、小説でないとかいって、友人間にも議論がある」と書いているが、保坂和志の目からみるとまさしく小説ということになる。つねづね鴎外の小説は前衛的だと思っているが、これもそのことの傍証になるかもしれない。
さて、保坂和志に話を戻す。
「プレーンソング」(中公文庫)(ISBN:4122036445)では、野良猫に関する描写が印象的だった。保坂和志自身、かなり力を入れて書いているように思う。「書きあぐねている人のための小説入門」のなかでも、猫に関する描写について言及している。

・・・「猫を猫として書く」、つまり猫を登場人物の心理の説明として使わない
・・・
 現実の世界では、猫が人間の気持ちのメタファーになるなんてことは絶対にない。つまり、猫を猫として書かないと、小説が現実とつながらない・・・

「プレーンソング」では、ある夜、1階にある主人公の部屋の窓の外に、茶のトラ柄の子猫がやってくる。主人公は、この子猫をかわいいと思い、もう一度会うために窓の外に煮干しを置くようになる。煮干しは、夜中になくなっている。しかし、その子猫が食べたのか、別の野良猫が食べたのかわからない。主人公が、猫に詳しい女ともだちにこの話をすると、次のように言われる。

「・・・
・・・猫なんかどうでもいいと思っている人は、見ないものね。それはたいした進歩かもしれないなあ。
 でもね。
 あなたの事情は猫に関係ないから。
 もともと猫は、猫の見えていない人相手に歩き回ってるわけじゃないから。
 あなたに猫が見えだしてはじめて、猫にもあなたが存在するようになっただけだから。
 やっとあなたは存在はじめたばかりなのよ。初心者。」
 と、ゆみ子は独特の言い方をはじめる。
「だから、もっと謙虚になってつきあおうとしなくちゃ。
 あなた、もう煮干しも置いてあげてないでしょ。
 猫って、一匹だけを選び出すのって、できないんだから。猫はつねに猫全体なのよ」
・・・
 キャットフードの缶詰は缶の蓋を切りはじめただけで、ぷうんと鼻の奥に入ってくるような匂いをまわりに広げ、これなら煮干しやカツオぶしよりも効き目があるのは間違いなくて、猫たちなら五十メートル先にいてもこの匂いを嗅ぎつけるだろうと思った。しかしそうなるとやっぱり茶トラの子猫よりもずっと強くて憎らしい猫が寄ってきて、結局子猫は食べられないじゃないかと思ってしまうのだけど、ゆみ子の忠告を聞いて猫全体が好きなお兄さんとして振舞うことにした。

野良猫は、けっして人間の都合のよいように行動してくれない。ごくたまにこちらに好意をもってくれているような振る舞いをすることがある。しかし、それは、あくまでもそのときの猫の都合や気分によるもので、次にあうときも同じように振る舞ってくれるとはかぎらない。それ以前に、そもそも、会おうと思うとなかなか会えなかったりする。野良猫のなかの一匹が気に入ったとしても、ままならない。野良猫に対するには「猫全体が好きなお兄さんとして振舞う」しかない。
保坂和志自身が書いているように、確かに「プレーンソング」のなかの野良猫は、決して登場人物の都合やストーリーの都合で動くことはない。「猫は猫として書」かれている。主人公と猫の関係は実にリアルである。
このブログを書いていることは、すべてが事実というわけではない。人に迷惑をかけるおそれがあったり、自分にとって都合が悪いから事実をそのまま書かないということもあるが、それだけではない。つじつまがあわないとか、まとまりがつかないという理由で事実を変えて書いてしまうこともある。保坂和志の考え方が唯一無二のものとは思わないけれど、つじつまあわせやまとまりをつけるために事実を曲げたとき、書いた文章を読み返してみると自分の気持ちにしっくりこないことが多いように思う。