保坂和志的恋愛

保坂和志「プレーンソング」(中公文庫)(ISBN:4122036445)の続編、「草の上の朝食」(中公文庫)(ISBN:4122037425)を読んだ。保坂和志の小説は、その世界に慣れると心地よくなってきて癖になる。
「草の上の朝食」では、主人公が工藤さんという人と恋愛をする話がでてくる。といっても、保坂和志だからけっして劇的な恋愛が展開されることはない。恋愛の微妙な一瞬、やりとりが書かれている。次は、主人公と工藤さんがはじめてご飯を食べに行くときの描写である。

 と、そこまで言ってぼくはやっと調子が出てきたと思ったのだけれど、反対に工藤さんの反応が曖昧になってきた。
 工藤さんは笑わずに一度視線をテーブルに落とし、それからぼくの肩ごしに漠然と視線を向けて数秒間そのまま視線を動かさなかった。はじめて話す相手に急にそんな反応をされても意味がわからなくて、ぼくは変なことを言ってしまったのかと不安になったが、とりあえず場所でも変えてごまかすことにして、
 「じゃあ、ご飯食べに行こうよ」
 と言って、インド料理屋に入った。

相手のちょっとした仕草の意味や意図がわからず不安になるようなこがある。小さなことだけれども、妙に気にかかる。こうした一瞬一瞬の微妙な気持ちの揺れが恋愛の重要な要素だと思うけれど、そういったことをリアルに描いた小説はなかなかない。
そして主人公は工藤さんの部屋に行ってお昼ご飯を食べる。

 工藤さんはぼくがこぼしたニンジンやシイタケを「よくこぼすわねえ」とつまんで自分の口に入れてその指を一度下唇につけて舐める。そうするとき目と唇のかすかな笑みがあのときに見た卑猥な感じになっていて、ぼくはそれに導かれるように今ここで抱きしめたりしたくなるが工藤さんの仕草がただの親しみの表現なのかそれ以上のものなのかわからなくて、そんなことを考えてしまうとからだは動かないが、食べ終わってコーヒーを飲んでいるときに工藤さんが「何時?」と言いながらテーブルの隅にあった腕時計に手を伸ばした動作で顔が近づいて、キスをした。
 ずいぶん下手なキスだと自分で思ったがとにかくキスはキスで、そこで拒まなければあとは部屋の中なのだから、抱きあい、セックスをして、そのあとで工藤さんが、
 「咽、渇いちゃった」
 と言って、裸のまま冷蔵庫のジュースを取りにいく姿をベッドから見ていると、工藤さんのうしろ姿はお尻が上がって脚がきれいに伸びていた。
 胸が大きめなことはTシャツごしにわかっていたけれど、脚がきれいでお尻が上がっているのはそれまで気がついていなくて、ぼくはベッドに頬をつけたままそのからだが動くのをただただ目で追ってしまったのだけれど、そうしていたぼくにジュースを入れたグラスを差し出し、足許に落ちていたTシャツを拾おうとして深く前屈みになったとき、工藤さんの大きめの胸が紡錘形に垂れた、というか、ぐーっと下に伸びた。

胸が「ぐーっと下にのびた」というのは、即物的だけど、いかにもそんなことを頭のなかでは考えそうな、妙にリアルな表現である。
そして、「草の上の朝食」でも、猫の話がでてくる。

 よう子は、・・・「・・・生き物って、同じ種でもいろーんな生活とか、体質とか、それから、習性っていうのかなあ?習慣っていうのかなあ?そういうのがあるから、いっぺんに絶滅しないようになってるんでしょ?」
・・・
「−猫は野生とは言わないって、アタシは思うけど、野生じゃなくてもいろーんな性格を持ってて、いっぱんにどうにかならないようになってると思うのね。
 だから、アタシのところに来る猫もいるし来ない猫もいて、それがあたり前だって、最近は思っているの」

確かに、猫にはそれぞれいろいろな性格がある。ほかの動物も、それぞれの個体がいろいろな性格を持っているのだろうか。羊の群れも、それぞれの羊にちがった性格があるのだろうか。アリはどうだろうか。