ウェブログを書くということ

左近さんという方のウェブログに(id:summercontrail:20041010#ato)、この前書いた「本を薦める」(id:yagian:20041003#p2)を引用していただいた。左近さんのログに、私は「押しつけにならないようにさりげなく情報を伝えるためには、ウェブログって使えるなぁと思うときがあります。」というコメントを書いた。これに対して左近さんは「私自身はしばらく前、Webでの文章で何かを匂わせていると思われたりすることを逆に煩わしくも感じていたのですが」と書かれている。
たしかに、ある程度ウェブログを続けて、それなりに読者が想定できるようになれば、ウェブログをコミュニケーションの道具として使うこともできるようになるし、そうすることもある。しかし、ウェブログは、メールと違って、使わなければ不便というものではない。ウェブログのなかには有益な情報を提供するという目的でつくられているものもあるけれど、少なくとも、私のウェブログはそのようなものではない。それにもかかわらず、けっこうな時間を割いてウェブログを書いているのは、道具として利便性を求めるといった功利的な理由ではなく、無益なものへの情熱ゆえだと思う。
左近さんの書かれたことを十分に理解している自信はないのだけれども、「Webでの文章で何かを匂わせている」ということが、もともと功利的な理由で書いているわけではないウェブの文章を、なにか功利的なものと思われることが「煩わし」いということであれば、共感できる。
それでは、私の場合、ウェブログを書く無益なものへの情熱とはなんなのだろうか。
もともと、学校や職場で必要と関わりのない文章は、あまり書いたことがなかった。文化系のクラブやサークルに所属したり、同人誌を作ったりという経験はない。
自分自身ではあまり覚えていないけれど、いわゆる「作文」の授業はあまり得意ではなかったようだ。母親からは、「理屈っぽい作文ばかり書いて」と言われていたような記憶がある(いまでも、このウェブログについて、同じようなことを言われることがある)。特に理屈っぽい作文として、わが家のなかで語りぐさになっているものがある。将来の夢を書くというテーマを与えられた時、「希望のない将来」という題をつけて、今はまだ特定の職業に就きたいというようなはっきりとした希望はまだない、という内容の作文を書いたことがある。この「希望のない将来」という作文について、最近、つれあいとあれこれ話し合ったことがある。おそらく、当時の自分としては、国語の先生に反抗したというようなことではなく、医者になりたいとかプロ野球選手になりたいとか、そういった「希望」がはっきりしていないことを素直に書いただけだったのだと思う。つれあいに言わせれば、小学校の作文教育における暗黙のルール、つまり、「将来の夢」という題にふさわしい作文らしい作文を書くというルールを理解していなかったと言うことだろうという。
小森陽一漱石を読みなおす」(ちくま新書)(ISBN:4480056378)のあとがきに、プラハでの五年間の生活を終えて帰国した中学一年生の小森少年の次のような体験が書かれている。

・・・担任の教師によれば『吾輩は猫である』は、ユーモア小説だということだったのですが、私は悲惨な小説として読むしかありませんでした。猫の境遇がそのときの自分に重ねられていたからです。
 人間の言葉はわかるが、自分は話せない。人間社会のあらゆる事象が異様に見える。・・・人間を日本人におきかえると、当時の私の状況とまったく同じであると感じてしまったわけです。もちろん、こうした思いを綴った感想文は大いなる誤読として一笑に付され、誤読をした少年期の自分は日本社会を生きぬくため抑圧されていくことになります。・・・
 日本近代文学を研究しはじめたことを口実に、中年にさしかかった頃、かつて誤読とされた読みを正当化するような、「漱石」の小説をめぐる論文をいくつか書きました。・・・

私の場合は、小学校の作文の暗黙のルールを理解していなかったからといって、特に抑圧されるというほとどの記憶はないけれど、やはり小学校の作文らしい作文という枠組みでは書けないことを表現したいという欲求があったのだと思う。その証拠に、母親は、当時の作文でも、今のウェブログでも、同じように「理屈っぽい」という感想を洩らす。つまり、彼女が「理屈っぽい」と思うようなことこそ、私が表現したいことだったということなのだろう。
小学校の頃の作文の後、ウェブログにたどり着く前に、書きたいことを書いた体験としては、旅先で書いた手紙やトラベル・ログぐらいだった。大学生から社会人に成り立ての頃、リュックサックを担いで海外へ旅行によく出かけていた。旅行にでると何か記録を取りたくなる。写真を撮ったり、ビデオを撮ったりしたこともあったけれど、結局、文章の形で記録を取るのがいちばん性に合っていることがわかった。たいてい、小さなノートを一冊持って行き、お金の出納と、旅先でのできごとの記録、感想を書いていた。一人旅の時は、歩き疲れて休憩している時、コーヒーでも飲みながら、地元で買った絵はがきや便箋を書いていた。ノートやはがきからはみ出すぐらいの勢いで、びっしりと文字を書いていた。
どうも、私が表現したいと思うことは、ある程度の分量の文章でなければ書けないようなことが多いように思う。一言、二言で伝えられるといったことではなく、あっちの本の話、こっちの体験、そっちの誰かから聞いた話、というように紆余曲折したあげく、どこかにたどり着くというようなことを伝えたい。日常の会話ではとても伝えきれない、「理屈っぽい」話を表現したいのである。それには、どうしても文章でしか表現しようがない。
手紙は伝える相手があるわけだけれども、トラベル・ログは特に読まれることを考えずに書いている。読者がいるとすれば、自分自身だけが読者である。旅行から帰ってきて写真を整理しながら、また、次の旅行を計画するときに、自分が書いたトラベル・ログを読むのは、けっこう楽しかった。ばくぜんと頭で思っていることを記録して、それをあとで読み返すのは楽しかった。
しばらくして、ホームページというものを作って、そこに日記を書いている人がいるということを知り、自分もやってみようかと思ってはじめたのがこの日記である(http://www.lares.dti.ne.jp/~ttakagi/diary/diary/9702.htm)。最初は、ホームページを作ったからといって誰が読むようになるのかさっぱりわかっていなかったから、トラベル・ログの日常版という気持ちで、主に自分向けに書いていたのだと思う。
しばらくして、イリエくんという会社の後輩が作っていたホームページのリンク集に乗せてもらって、メールをいただいたり、掲示板に書き込みがあったりするようになった。小学校の作文やトラベル・ログに書いていたことと同じようなことに対して反応があったことが非常にうれしかった。
今でも、基本的には自分に向けて書いているのだろうと思う。たまに自分で読み返して、なんておもしろいのだろうと自己満足に浸ったりしている。また、気乗りしない時は、しばらく更新しないこともある。
しかし、誰かに読んでもらったり、反応があったりするのはとてもうれしい。日常生活の中で、つれあいを別とすれば、自分の考えていることや趣味趣向を理解し、共感してもらうことはほんとうに難しい。だから、それだけで、素朴に喜んでいる。その上、文章がうまいなどと褒められた日には、自尊心がくすぐられ、ひとりで悦に入っている。それが、ウェブログを書く、楽しみと喜びなのだろう。