靴と草履

ハワイ旅行の飛行機に乗っている間の時間つぶしのため、柳田國男「明治大正史世相篇」(講談社学術文庫)(ISBN:4061590820)を持って行った。この本は、江戸時代から明治、大正にかけての生活習慣の変化について書かれた本である。
今回の旅行では、飛行機に乗るときのセキュリティチェックが厳しく、行きも帰りも靴を脱いで検査することになった。短ブーツを履いていたから、靴の着脱に手間取った。中腰になって、よろけながら足を靴につっこもうとするが、靴下が引っかかって、なかなか靴を履くことができず、係員にも同情されてしまった。
ハワイに着くと、もう、そこは夏。ブーツなどを履いている人はおらず、ビーサンをぱたぱたいわせて歩いている人が多い。Tシャツか、せいぜい、アロハ、人によっては上半身はだかか、ビキニという格好で通りを歩いている。
「明治大正史世相篇」には、靴と洋服の変遷について、こんなことが書いている。

・・・靴は外国でも働く女たちが常に困っている。・・・人並みに間ちがいなく穿いておろうとすると、いかに簡単な衣服を着ても、やはり十分に働くことができぬからである。これも木靴を再現するわけにも行くまいから、あるいは行く行く日本に来てみて、鼻緒の附いたものを学ぶようになろうも知れぬ。こちらでは靴の歪み潰れを案外に気にしていないが、何しろこの通りの土と水気では、とうていあんな物を誰でもはくというわけに行かない。・・・その上にもう一つ気になるのは住宅との関係である。・・・我々の家では玄関の正面で、これと別れるように構造ができている。一日のうちに十回二十回、脱いだり突っ掛けたりする面倒を厭うては、休処と仕事場との聯絡は取れぬので、それがまた世界無類の下駄というものが、かように発達した理由でもあったのである。

・・・

 明治三十四年の六月に、東京では跣足を禁止した。主たる理由は非衛生ということであったが、いわゆる対等条約国の首都の体面を重んずる動機も、十分に影にはたらいていたので、現にその少し前から裸体と肌脱ぎとの取締りが、非常に厳しくなっているのである。

日本の夏の気候と、西洋から取り入れた衣服がマッチしていないことは、誰もが感じていることだろう。
以前に書いたことがあるけれど、イタリアで革靴を買ってみて、日本で売られている安いビジネス・シューズは、日本化していることに気がついた。イタリアの靴は、足を入れる穴の部分が小さく、穿いたときスマートに見える。日本のビジネス・シューズは、足を入れる穴が大きく、格好が悪い。しかし、その分、着脱が楽である。イタリアの革靴を履いて会社に行き、机に座って仕事をしているとき、靴を脱ごうとするとなかなか脱げない。靴を脱いでいた時に、人に呼ばれると、今度は靴がなかなか履けずあわてることになる。結局、日本のビジネス・シューズは、西洋からやってきた靴を、着脱しやすいように日本化した、つまり、靴と下駄の中間のような代物にしたということなのだろう。
ハワイでは、鼻緒がついたビーサンが一般化しているけれども、やはり、日本の下駄や草履が伝わっていったことなのだろう。それを考えれば、日本の夏でももっとビーサンが一般化してもよいかもしれない。
明治時代、日本では体面を重んじて裸体を禁じたと言うが、ハワイでは裸体が体面を傷つけるということはない。日本の夏も、これぐらいカジュアルでいいように思う。