立身出世

先週は、めずらしく3回飲みに行った。
火曜日は元Y委員長と門前仲町の魚自慢の居酒屋で、金曜日にかつて同じチームだったメンバーと東銀座の沖縄料理やとカラオケ屋、土曜日はつれあいと新宿の職安通りそばの韓国料理屋。
年をとり、会社のなかで責任が増すと、会社の上司、同僚と率直に話し合うことが難しくなる。しかし、無視されているということではなく、上司や部下からは冷静に観察され、冷徹に値踏みされている。その視線は、年を追うごとに厳しくなっていく。
自分の事を自信過剰にもならず、卑下もせず客観的に見つめることは難しいけれど、それをしなければならなくなる。
ここのところ、忙しさに紛れて、会社の同僚と飲みに行くことが少なかった。気がつくと、入社したときに身近にいた同僚、先輩も、ずいぶん少なくなっている。本音で話すことができる同僚は、いまでは貴重な存在になっているのに、最近では、積極的に話し合う機会を作っていなかった。
飲みに行っていろいろと話をしてみると、一人で悶々と考えていると思いつかない指摘があって、とてもよかった。
かつて、同じチームにいた後輩は、もっと組織を作り上げようという野心を持てと言う。私は、そこが物足りないのだと。
自分の事を考えているとき、なかなか客観的になれないのは、思考に自己正当化が混ざってしまうからだと思う。
今の自分の最大の問題は、担っている責任を重荷に感じて逃げようとしていたことだと思う。一人いると、どうやれば責任を逃れられるか、責任をきちんととっていない自分をいかに自己正当化できるか、ということばかりを堂々巡りして考えている。
客観的に考えれば、そんなことを考えている場合ではない。自己正当化したところでなんの意味もない。腹をくくって、いま何ができて、何ができていないかを考えて、責任を果たさなければならないときが来ている。そのことをずばりと言われた、ということだ。じつに、ありがたい。
将来像を示し、人を集めて育て、組織を作るということが、今自分に求められる責任だった。それを避けていたことで、自分だけではなく、まわりにもずいぶんつらい目に遭わせていたと思う。
立身出世しなければ。立身出世してやる。