妻の肖像画

ひさしぶりにジェイムス・ジョイス「ダブリンの市民」(結城英雄訳、岩波文庫)(isbn:4003225511)を読み返した。「ダブリンの市民」の最後におかれた「死者たち」という中編に、印象的な場面があったので、原文から翻訳をしてみた。

ゲイブリエルは、ほかの人たちといっしょに玄関のドアのところまで見送りには行かず、ひとり玄関ホールの暗がりから階段の上の方を見つめていた。踊り場の少し下の暗がりに一人の女性が立っていた。彼女の顔は見えなかったが、スカートに影が差し、テラコッタ色とサーモンピンク色のパネルが黒と白に見えた。彼の妻だった。彼女は手すりにもたれ、何かをじっと聴いていた。ゲイブリエルは彼女が身じろぎもしないことに気づき、耳を澄ましてみた。しかし、玄関先の笑い声と口論の他には、ピアノの伴奏の和音と男が歌声がかすかに聞こえただけだった。
彼は玄関ホールの暗がりにじっと立ち、妻を見つめながらその歌声のメロディを聴きわけようしていた。彼女の姿は何かを象徴しているかのように優雅で神秘的だった。階段の暗がりに立ち、遠くで鳴っている音楽に聴き入っているあの女性は何を象徴しているのだろう、と考えた。もし画家だったら、あの姿の彼女のことを描くだろう。暗闇を背景にすれば、ブルーのフェルトの帽子は、彼女のブロンズの髪を引き立てるし、スカートの暗い色のパネルと明るい色のパネルはいい対比になるだろう。自分が画家なら、その絵には「遠い音楽」という題をつけよう。

ゲイブリエルは、オールドミスの叔母たちが主催する恒例のダンスパーティに出席している。そのさなか、ふと見た妻の姿の美しさに感動する。
もちろん、ジョイスの小説だから、単純に夫が妻を愛でるというような一筋縄な話では収まらない。このあと、ゲイブリエルは、この瞬間に妻は死んだかつての恋人のことを考えていたということを聞き、大いに失望する。しかし、ゲイブリエルが失望しようとしまいと、この場面と妻の姿は美しい。
いつかは「死者たち」の全訳をしたいと思う。