風邪と読書

金曜日の夜、風邪をひいたらしくゾクゾクしてきたので、何冊かの本を抱えて寝床に潜り込んだ。
土曜日になるとぐっと熱が上がってきた。解熱剤が効いてくると熱が下がって本を読む。解熱剤が切れると熱が上がって本が読めなくなるのを繰り返していた。
そんな体調だから、あまり長い本や込み入った本を読むのは難しかったので、森鴎外「雁」(岩波文庫)(ISBN:4003100557)をとぎれとぎれに読んでいた。
以前は、小説を読むときもいろいろと理屈を考えていたけれど、今は、気持ちよければいい。「雁」を理屈で批判と思えばいろいろあるのだろうけれど、そんなことをするのがつまらなく思える。おいしいところを、おいしく味わえればそれでいいかと思う。特にこんな体調だから、理屈など考えている余裕はない。
「雁」のおいしいところといえば、例えば、お玉の初登場のこの場面。

 紺縮の単物に、黒繻子と茶献上との腹合わせ帯を締めて、繊い左の手に手ぬぐいやら石鹸箱やら糠袋やら海綿やらを、細かに編んだ竹のかごに入れたのをだるげに持って、右の手を格子に掛けたまま振り返った女の姿が、岡田には別に深い印象をも与えなかった。しかし結い立ての銀杏返しの鬢が蝉の羽のように薄いのと、鼻の高い、細長い、やや寂しい顔が、どこの加減か額から頬にかけて少し扁たいような感じをさせるのとが目に留まった。岡田はただそれだけの刹那の知覚を閲歴したというに過ぎなかったので、無縁坂を降りてしまうころには、もう女の事はきれいに忘れていた。

風呂屋帰りの竹かごを持った女のけだるく格子にもたれかかる姿。芝居めいていると言えば、芝居めいている。その、芝居めいているところがおいしい。お玉もきれいだけれども、お玉があこがれる岡田が妙に好男子なのである。

・・・岡田がどんな男だということを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなければならない。それは美男だということである。色の蒼い、ひょろひょろした美男ではない。血色がよくて体格ががっししりしていた。僕はあんな顔の男をみたことがほとんどない。しいて求めれば、大分あのころから後になって、僕は青年時代の川上眉山と心安くなった。あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた分子の川上である。あれの青年時代がちょっと岡田に似ていた。もっとも当時競漕の選手になっていた岡田は、体格ではるかに川上なんぞにまさっていたのである。

近代小説の流れに棹さすような、美男美女の夢物語。
そのお玉を囲おうとしている高利貸しの末造の妄想。

・・・おれが夕方にでもなって、湯にでも行って、気のきいたしたくをして、かかあにいい加減な事を言って、だまくらかして出かけるのだな。そしてあの格子戸をあけて、ずっとはいって行ったら、どんなあんばいだろう。お玉のやつめ。猫か何かを膝にのっけて、さびしがって待っていやがるだろうなあ。もちろんお作りをして待っているのだ。着物なんぞはどうでもしてやる。待てよ。ばかな銭を使ってはならないぞ。質流れにだって、立派なものがある。女一人に着物や頭の物のぜいたくをさせるには、世間のやつのするような、ばかを尽くさなくてもいい。隣の福地さんなんぞは、おれの内より大きな構えをしていて、数寄屋町の芸者を連れて、池の端をぶらついて、書生さんをうんとうらやましがらせて、いい気になっていなさるが、内証は火の車だ。学者が聞いてあきれらあ。筆先でうまい事をすりゃあ、お店ものだってお払い箱にならあ。おう、そうそう。お玉は三味線がひけたっけ。爪弾で心意気でも聞かせてくれるようだといいが、巡査の上さんなったよりほか世間を知らずにいるのだから、だめだろうなあ。お笑いなさるからいやだわとか、なんとかいって、ひけといっても、なかなかひかないだろうて。ほんになんいつけても、はにかみやぁがるだろう。顔を赤くしてもじもじするにするに違いない。おれが始めて行った晩には、どうするだろう。

いくつになっても男の妄想というのは変わり映えしない。この末造の妄想だけは、妙にリアルである。
そして、末造に囲われることになったお玉が、久しぶりに父親の家を訪れた時の会話。

 お玉はにっこりした。「わたくしこれでだんだんえらくなってよ。これからは人にばかにせられてばかりはいないつもりなの。豪気でしょう。」

 父親はおとなしい一方の娘が、めずらしく鋒を自分に向けたように感じて、不安らしい顔をして娘を見た。「うん。おれは随分人にばかにせられどおしにばかにせられて、世の中を渡ったものだ。だがな、人をだますよりは、人にだまされている方が、気が安い。なんの商売をしても、人に不義理をしないように、恩になった人を大事にするようにしていなくてはならないぜ。」

 「大丈夫よ。お父っさんがいつも、たあ坊はいつも正直だからとそういったでしょう。私全く正直なの。ですけれど、このごろつくづくそう思ってよ。もう人にだまされることだけは、御免をこうむりたいわ。わたくしうそをついたり、人をだましたりなんかしない代わりには、ひとにだまされもしないつもりなの。」

 「そこで檀那の言うことも、うかとは信用しないというのかい。」

 「そうなの。あの方はわたくしをまるで赤ん坊のように思っていますの。それはあんな目から鼻に抜けるような人ですから、そう思うのも無理ないのですけれど、わたくしこれでもあの人の思うほど赤ん坊ではないつもりなの。」

夏目漱石の小説にでてくるけれど、この頃、女学生にはこんなしゃべり方がはやっていたらしい。それにしてもお玉はけなげだ。書き写しているだけで楽しくなってくる。
「雁」のお玉も「舞姫」のエリスと同じで、森鴎外は恵まれない階級の女性の悲恋物語が好きなんだろう。最近、私もこんな夢物語がだんだん好きになってきた。