逃避的読書と顎十郎捕物帳

年度末で、やることがたまればたまるほど、ついつい逃避的読書をしてしまう。気がたかぶり、追いつめられた気分になるから、夜もなかなか寝付けない。そうすると、睡眠薬代わりの本が必要になる。目が覚めると、読みかけのページを手で開いたまま寝ていたことに気がつく。通勤電車のなかの限られた時間にも、むさぼるように本を読んでしまう。
じっくり集中して読むわけではないから、込み入った本は読めない。逃避的読書だから、浮世離れしていればいるほどよい。
今、久生十蘭「顎十郎捕物帳」(「日本探偵小説全集8久生十蘭創元推理文庫(ISBN:4488400086)所収)を読んでいるが、まさに、逃避的読書にぴったりである。(余談であるが、この創元推理文庫の日本探偵小説全集の編集は、北村薫が担当のようだ)
特に、それぞれの短編の冒頭部分がよい。「紙凧」という話の冒頭を引用したい。

「……先生、お茶が入りました」

「う、う、う」

「だいぶと、おひまのようですね。……鞴祭の蜜柑がございます、ひとつ召し上がれ」

「かたじけない。……季節はずれに、ひどくポカつくんで、うっとりしていた」

 大きな欠伸を一つすると、盆のほうへ手を伸ばして蜜柑をとりあげる。

 十一月の入りかけに、四、五日ぐっと冷えたが、また、ねじが戻って、この三、四日は、春のような暖かさ。

 黒塗の出格子窓から射しこむ陽の光が、毳立った坊主畳の上へいっぱいにさす。

 赤坂、喰違の松平佐渡守の中間部屋。

 この顎十郎、どういうものか、中間、陸尺、馬丁なぞという手合に、たいへん人気がある。あちらこちらの部屋からもこちらの部屋からも、どうかわッしどもの方へも、と迎いに来る。

 房の擦切れた古袷と剥げッちょろ塗鞘の両刀だけの身上。

次は、「稲荷の使」。

 春がすみ。

 どかどんどん。初午の太鼓。鳶がぴいひょろひょろ。

 神楽の笛の地へ長閑にッレて、何さま、うっとりするような巳刻さがり。

 黒板塀に黒鉄の忍返し、姫小松と黒部を剥ぎつけた腰舞良の枝折戸から寝府川の飛石がずっと泉水のほうへつづいている。桐のずんどこに高野槇。かさ木の梅の苔にもさびを見せた数寄な庭。

 広縁の前に大きな植木棚があって、その上に、丸葉の、筒葉の、熨斗葉の、乱葉の、とりどりさまざまな万年青の鉢がかれこれ二、三十、ところも狭にずらりと置き並べられてある。羅紗地、芭蕉布地、金剛地、砂子地……斑紋にいたっては、星出斑、吹っかけ斑、墨縞、紺覆輪と、きりがない。

このゆったりとした雰囲気、調子のよい文体の心地よさ。何も言うことはない。