爆発的実験

雑司が谷墓地の梅はきれいに咲いているけれど、気温は一進一退、なかなか暖かくならない。今日の昼下がり、ちらちらと雪が舞った。
夏目漱石二百十日・野分」(新潮文庫)(ISBN:4101010161)を読んだ。漱石朝日新聞に入社する前に書かれた初期の中編である。
初期の漱石の小説は、実験的かつ多様で驚かされる。
明治38年、38歳の時に「吾輩は猫である」(岩波文庫)でデビュー。この作品は、猫をナレーターにした一種の戯作で、はたして小説に分類してよいかわからないぐらい、類例のないものである。
幻想味がある「倫敦塔」「カーライル博物館」「琴のそら音」。英国の伝説を題材として擬古文で書かれた「幻影の盾」「薤露行」。翌年となると、これらの作品と一転した「坊っちやん」。唯美主義の立場に立った「草枕」。そして、社会的な倫理を追究した「二百十日」「野分」。朝日新聞入社第一作の「虞美人草」を挟み、ジョイスのような心理の流れ手法を使った「坑夫」、幻想的な小説の「夢十夜」を書いた。
この時期の、小説の可能性、自分自身の可能性の限界を突き詰めるようである。漱石の指向は、諧謔、幻想、唯美、社会、恋愛とさまざまに分裂し、一作ごとにその方向性を探求している。
この後、「三四郎」を書いた後は、作風がシリアスな恋愛小説への収斂する。「明暗」まで至る小説の深まりもすばらしいけれど、これだけの可能性から一つの方向性だけが選択されたのも寂しい気持ちもする。諧謔味の方向は、「吾輩は猫である」で極めているところがあるけれど、英文学と漢文学の造詣を縦横に活用した長編の幻想小説を読んでみたかったと思う。
二百十日」「野分」は、漱石の指向が生々しい形で提示されている。特に、「野分」では、作中に、道也先生の論説、演説という形で、漱石自身の哲学が直接的に書かれており、ややこなれていない印象がある。漱石のこの部分は、これ以降、小説の中ではなく、彼自身の講演や評論の形で表現されるようになる。
二百十日」は、形式は実に実験的である。そのほとんどが会話から成り立っている。これも、小説というよりは、戯曲、むしろ、落語か浄瑠璃のようである。会話のやりとりには諧謔味があるが、主人公の圭は、金力にものを言わせる人々、「吾輩は猫である」の金田や「それから」の代助の父親、兄たちにあたる人々、へのストレートな怒りを示す。その意味では、社会性への指向もある。「二百十日」の諧謔がよくあらわれた会話を引用しよう。碌さんと圭さんの二人が、阿蘇の田舎の温泉宿に泊まり、田舎風の仲居さんとの会話である。

「……おい姉さん、肴は何もないのかい」
「生憎何も御座りまっせん」
「御座りまっせんは弱ったな。じゃ玉子があるだろう」
「玉子なら御座りまっす」
「その玉子を半熟にして来てくれ」
「何に致します」
「半熟にするんだ」
「煮て参じますか」
「まあ煮るんだが、半分煮るんだ。半熟を知らないか」
「いいえ」
「知らない?」
「知りまっせん」
「どうも辟易だな」
「何で御座りまっす」
「何でもいいから、玉子を持って御出。……」
………
「……向こうの御客さんのが生玉子で、おれのは、うで玉子なのかい」
「ねえ」
「なぜ、そんな事をしたのだい」
「半分煮て参じました」
「なある程。こりゃ、よく出来てらあ。ハハハハ、君、半熟のいわれが分かったか」と碌さんは横手を打つ。

「野分」は、「二百十日」の会話中心の文体も含め、多様な文体が組み合わされている。「明暗」にまでつながる細かい心理解剖もある。東京大学を卒業した文学士でありながら、経済的に落ちぶれているが世間から超然としている白井道也が、経済的に恵まれている大学を出たばかりの新進作家中野輝一にインタビューのための訪ねるシーンである。

「あなたが、白井道也と仰しゃるんで」と大なる好奇心を以て聞いた。聞かんでも名刺を見ればわかる筈だ。それを斯様に聞くのは世馴れぬ文学士だからである。
「はい」と道也先生は落ち付いている。中野君のあては外れた。中野君は名刺を見たときはっと思って、頭の中は追い出された中学校の教師だけになっている。可哀想だと云う念頭に尾羽うち枯らした姿を目前に見て、あなたが、あの中学校で生徒からいじめられた白井さんですかと聞き糺したくてならない。いくら気の毒でも白井違いで気の毒がったのでは役に立たない。気の毒がる為めには、聞き糺す為めには「あなたが白井道也と仰しゃるんで」と切り出さなくってはならなかった。然し折角の切り出し様も泰然たる「はい」の為めに無駄死をしてしまった。初心なる文学士は二の句をつぐ元気も作略もないのである。人に同情を寄せたいと思うとき、向が泰然の具足で身を固めていては芝居にはならん。器用なものはこの泰然の一角を針で突き通しても思いを遂げる。中野君は好人物ながらそれ程に人を取り扱い得る程世の中を知らない。
「実は今日御邪魔に上がったのは、少々御願があって参ったですが」と今度は道也先生の方から打って出る。御願は同情の好敵手である。御願いを持たない人には同情する張り合いがない。
「はあ、何でも出来ます事なら」と中野君は快く承知した。

中野輝一は白井道也の苦境をしっており、彼に同情を寄せたいと考えていた。初対面の数語のやりとりをこれだけ微細に分析している。漱石の資質のうちの一つがよくあらわれている。
それにしても、これだけ多様な小説を書くことができた漱石は、漢文学、英文学の造詣から文学というものに対して深く広い見識があったのだろう。同時代の作家と比べても、そして、それ以降のどの作家と比べても、これだけ広い小説観を持ち、それを作品の形で実現した人はいないように思う。漱石は、まさに文豪、と呼ぶにふさわしい。