再会

この前の日記(id:yagian:20050508:p2)で、村上春樹の小説について書いたところ、こくぼさんからトラックバック(id:coolstyle:20050508)があった。村上春樹スプートニクの恋人」(講談社文庫)(ISBN:4062731290)のラストで、結局、僕とすみれは会えたのか、ということについてコメントを書いたところ、お返事(id:coolstyle:20050511)を頂いた。うろ覚えで、あまり考えもせず書いたコメント*1だったのだけれども、こくぼさんの指摘はシャープで、簡単に返事を書けないと思い、「スプートニクの恋人」を読み返し、加藤典洋「イエローページ村上春樹PART2」(荒地出版社)(ISBN:4752101351)を読んでみた。
村上春樹については、彼自身の書いた小説やエッセイはおおむね読んでいるけれど、批評はほとんど読んだことがなかったこともあり、「イエローページ村上春樹PART2」は、なかなか興味深く読むことができ、なるほどと思うこともけっこうあった。
けれども、「イエローページ村上春樹PART2」は、村上春樹の小説のごく一部分についての解釈を仮説的に提示しているにとどまっている。村上春樹の小説のなかには、この本が手つかずのところはいくらでもある。村上春樹の小説の謎の大きさ、読者にゆるす解釈の幅の広さに、かえって気づかさせられることになる。自分の経験、関心にしたがって、自分なりの解釈をしていこうと思う。
この本に書かれている「スプートニクの恋人」の解釈のなかで、私の関心にひっかかったのは、「ミュウの計画的犯行説」である。

・・・作品を読んでいると、ミュウが意図してすみれを変貌させ、自分と同じ運命に引き込もうとしているように見える。彼女が計画的にすみれを「あちら側」へと導いたと考えてはじめて納得のいく点が、作品のなかにいくつか見られるのだ。

そして、ミュウが「あちら側」へ導こうとしたのは、すみれだけではなく、「ぼく」もそうなのではないか。「スプートニクの恋人」を読んでいて、違和感を感じた点の一つに、なぜ、すみれが失踪したあとミュウは「ぼく」をギリシャの島まで呼ぶんだのか、ということがあった。いくら「ぼく」がすみれの親友であり、すみれが「ぼく」のことを繰り返しミュウに語っていたとしても、ほかの誰よりもまず「ぼく」をギリシャに呼ぶのは尋常ではない。そして、わざわざ「ぼく」をギリシャまで呼んでおきながら、「ぼく」が帰国した以降、ミュウは「ぼく」に連絡をしない。もし、ミュウが「ぼく」も「あちら側」に導こうとしていたならば、この疑問は説明できる。ミュウにとって、「あちら側」に行かなかった「ぼく」は用済みということなのだろう。
ミュウがすみれと「ぼく」を「あちら側」に導こうという意図をもっていたかどうかともかく、「ぼく」もすみれと同様に「あちら側」の入口となっている山の上の音楽を聴く。おそらく、音楽を聴いたすみれは、もう半分のミュウを求めて、そのまま山の上に登って「あちら側」に行ったのだろう。しかし、「ぼく」は、自ら「かたく心を閉ざし、彼らの行列をやり過ごした」ことで、「こちら側」に留まる。
ねじまき鳥クロニクル」の「僕」がクミコを取り戻すために自ら異界に踏み込むが、「スプートニクの恋人」の「ぼく」は、すみれを追いかけなかったのはなぜだろうか。「ぼく」はすみれを求めてわざわざギリシャまで来たのに、なぜ、「こちら側」の世界に留まったのか。
すみれが失踪した後、「ぼく」は、「こちら側」と「あちら側」の世界、すみれとミュウと自分の関係について、次のように考える。

 ぼくは「あちら側」の世界のことを思った。たぶんそこにはすみれがいて、失われた側のミュウがいる。・・・彼女たちはそこで巡り会い、お互いを埋めあい、愛を交わすようになっているかもしれない。・・・
 そこにははたしてぼくの居場所はあるのだろうか?そこでぼくは、彼女たちとともにいることはできるのだろうか?・・・そんな輪を永遠に維持することは可能だろうか?それは自然なことなのだろうか?「もちろんよ」とすみれは言うだろう。「いちいちきくまでもないでしょう。だってあなたはわたしのただひとりの完全な友だちなんだもの」
・・・そうじゃない。結局のところ、そこから出ていくことをぼくはほんとうには求めなかったのだ。
・・・すぐに夏休みが終わり、限りなく続く日常の中に再び足を踏み入れていく。そこにはぼくのための場所がある。ぼくのアパートの部屋があり、ぼくの机があり、ぼくの教室があり、ぼくの生徒たちがいる。静かな日々があり、読むべき小説があり、ときおりの情事がある。

「こちら側」に留まることで、「ぼく」は、すみれと会うことができなくなる。しかし、「あちら側」の世界は、もう半分のミュウとすみれの世界であり、そこには「ぼく」には居場所はない。だから、「ぼく」は、すみれと会うことができない孤独に耐えながら、自分の居場所がある「こちら側」で「限りなく続く日常」を過ごすことを選んだ。
そして、「ぼく」は、教え子の「にんじん」に、すみれなしで「こちら側」で生きることの孤独について語り、そして、次のように考える。

・・・あの日の午後喫茶店で、心に抱いている思いを彼に正直に話したのは、たぶん良いことだったのだろうとぼくは思った。彼にとっても、ぼくにとっても。どちらかといえば、むしろぼくにとって。彼は―考えてみれば変な話だけど―そのときにぼくを理解し、受け入れてくれたのだ。赦してさえくれたのだ。ある程度。
 にんじんのような子供はこれからどんな日々(永遠に続くかと思える長い成長期)を通り抜け、大人になっていくのだろうとぼくは思った。それはおそらくきついことであるにちがいない。きつくないことよりは、きついことの方がずっと多いだろう。・・・小学校を卒業すれば、彼はぼくと関係のないより広い世界に出ていってしまう。そしてぼくはぼく自身の考えるべき問題を抱えている。

すみれと会えずに「こちら側」で生きる「ぼく」は、孤独である。しかし、「ぼく」と「にんじん」は、「限りなく続く日常」を孤独に過ごすきつさについて共感する。「ぼく」の孤独が解消するわけではないけれども、少なくとも、孤独を抱えていることについて、「にんじん」と共感することができる。ここに、「ぼく」が孤独を抱えながらも「こちら側」の世界に生きる意義があるように、私には感じられる。
それでは、「ぼく」とすみれは再会したのだろうか。
最後の場面で、すみれから電話がかかってくるが、電話がかかってきた時間が特定できないように書かれている。だから、この電話は「ぼく」の夢のなかのできごとではないかと思う。仮に、夢のなかのできごとではないとしても、ある特定の時点に確実に起こったできごとではなく、不特定のいつか可能性としてありうるできごととして書かれていると思う。
すみれからかかってきた電話は、唐突に切れる。

もう一度電話のベルが鳴るのを待ちつづける。壁にもたれ、目の前の空間の一点に商店をあわせ、ゆっくり音のない呼吸をつづける。時間と時間のつなぎめを確認しつづける。ベルはなかなか鳴りださない。約束のない沈黙がいつまでも空間を満たしている。しかしぼくは急がない。もうとくに急ぐ必要はないのだ。ぼくには準備はできている。ぼくはどこにでも行くことができる。

「こちら側」で孤独の中で生きることを決意した「ぼく」にとって、すみれとの再会を急ぐ必要はない。「ぼく」から積極的に行動することはなく、「ぼく」はすみれを待っている。前に書いたように、「ねじまき鳥クロニクル」では、「僕」とクミコが再会するかは、「僕」の行動にかかっていた。しかし、「スプートニクの恋人」では、「ぼく」とすみれの再会は、すみれの行動にかかっている。
「ぼく」は「こちら側」で生きることを選んだ。自らすみれに会うために「あちら側」に行くことはない。「ぼく」とすみれが再会するには、すみれが、もう半分のミュウがいる「あちら側」から、「ぼく」いる「こちら側」に戻ってくることが必要だ。「こちら側」に戻って来さえすれば、「ぼく」は時間をかけてすみれを見つけ出すことができるだろう。
それでは、すみれは「こちら側」に戻ってきたのか、戻ってくるのか。
すみれは電話でこのように語る。

「ねえ帰ってきたのよ」とすみれは言った。てもクールに。とてもリアルに。「いろいろ大変だったけど、それでもなんとか帰ってきた。ホメロスの『オデッセイ』を50字以内の短縮版にすればそうなるように」

すみれは、どのようにして「あちら側」で半分のミュウと再会し、別れ、そして、「こちら側」に戻ってきたのか。「50字以内の短縮版」だけでは、腑に落ちない。
やはり、「スプートニクの恋人」でも、ほかの村上春樹の小説と同様に、語られない部分が大きな役割を果たしている。「あちら側」では、誰がおり、何が起き、そして、なぜ、すみれは「こちら側」に戻ってきたと語ったのか。
すみれは、もう半分のミュウを求めて「あちら側」へ行く。しかし、「あちら側」には、もう半分のミュウを引き込んだフェルディナンド的な存在がいるはずだ。すみれとフェルディナンドはどのように対峙し、関係を持つのか。もともともう半分のミュウを求めて「あちら側」へ行ったすみれが、なぜ、「こちら側」に戻って来ようと思ったのか。もし、戻って来たとすれば、もう半分のミュウやフェルディナンドとの関係はどのように精算されたのか、そして、どのような道を通じて戻ってきたのか。
スプートニクの恋人」も、考えるほどさまざまな疑問があらわれてくる。

*1:以前の日記をひっくり返してみると、「スプートニクの恋人」について似たような感想を書いている。進歩がないというか、何というか・・・。http://www.lares.dti.ne.jp/~ttakagi/diary/diary/0301.htm#20030126 , http://www.lares.dti.ne.jp/~ttakagi/diary/diary/0302.htm#20030202