希望のない将来

小学校のころ、自分の将来の希望について、という課題で「希望のない将来」という題の作文を書いたことがある。
陰々滅々とした内容、というわけではなく、今の自分には医者になりたい、プロ野球選手になりたい、というようなしっかりと形になった将来の夢はない、という内容の作文だった。
この作文のことは、たまに家族のなかで話題となる定番の笑い話である。「こんな作文の題名を見て先生はぎょっとしただろう」とか、「おまえは子供の頃から先生の意図とか考えずにマイペースにやっていたんだな」とか、「いつもへりくつをこねたような作文ばかり書いていたから」とか、そんな話になる。



古本屋の文庫本の棚を眺めていたら、山口瞳「血族」(文春文庫 ISBN:4167123045)が目に入り、衝動的に買ってしまった。
ずいぶん昔のことなので記憶が定かではないが、NHKのドラマ人間模様というシリーズで、この「血族」を原作としたドラマを見た記憶がある。ストーリーはほとんど忘れてしまったけれど、自分のルーツを探している主人公を小林桂樹が演じており、ようやく見つけた先祖の墓の前で、苦み走った表情で立ちすくんでいる場面が、妙に印象に残っている。
古本屋で「血族」の背表紙を眺めた瞬間に、このドラマの記憶がよみがえり、読んでみようと思ったのである。
この小説のなかで、山口瞳が自分の幼少時代を回想している、こんな一節に、引っかかった。

 子供のときから、ずっと、私は、言ってみるならば漠たる不安に悩まされ続けてきた。私のような者が、どうしてこの世に生きることができようか。私は、まったく、自信がなかった。金を稼いでいる自分というものが、どうにも想像できなかった。どんな仕事でもいい、どんなにか人から嘲笑されるような仕事でもいい、あるいは世間から賤業と見られているような種類の職業でもいい、もし、それが私に与えられるならば、一所懸命に、辛抱強く、しがみついていようと思った。辛抱強いということでは、いくらかの自信があった。多分、私は、親の期待を裏切って、単純な作業をするところの労働者になってしまうだろうと思っていた。運がよかったらという条件つきの話なのであるが……。そのときは、私は一人だ。一人で、三畳の部屋で暮らしているだろう。そうなったら、それはどんなに楽しい生活であることか。そのことを考えるのは、私にとって、ひそかにして甘美なる空想だった。しかし、おそらく、そういう幸運は訪れないだろうと思っていた。少年時代の私には、野心というものが、ひとかけらもなかった。あきらかに、私は、異常なほどの小心者であり、人生に対する構え方において卑怯者だった。人と争って、そこを切り抜けてゆくなどということは、とうてい考えられない、私の身の上にありうべからざることだった。

自分も子供の頃、これと同じような感覚があった。おそらく、今でも同じような感覚はどこかにかある。
小学生から中学生の頃、ハイエルダールの「コンティキ号漂流記」やスウェン・ヘディンの「さまよえる湖」の子供向けのリライト版を愛読していて、ばくぜんと外国の遺跡を発掘する考古学者なれたらいいなと思っていたけれど、同時に、実際に自分が考古学者になって、探検隊を率いて海外の遺跡に発掘に行くなんてぜったいに無理だと思っていた。
「希望のない将来」という作文も、今では家族の笑い話のひとつとなっているけれど、よくよく考えてみれば、あのころの自分の無力感を反映した深刻な作文だったのかもしれない。仮に将来なりたいものがあったとしても、絶対になれっこないと考えていたならば、「将来の希望」を書けという課題の作文をまともに書けるわけがない。
また、山口瞳はこんなふうにも書いている。

 私の理想とするところのものは、せんじつめれば、金利生活者である。情けないけれど、そうなってくる。昔の子供言葉でいえば、我利我利亡者である。金満家の吝嗇漢がいるが、それでどこが悪いかと思っていた。私は、そういう人に憧れ、それになりたいと思っていた。もっと具体的に言えば、預金通帳を抱いた晩年の永井荷風である。

母親によると、私は「高等遊民になりたい」とよく言っていたという。また、アガサ・クリスティの小説のように、あったことのない叔父さんが死んで、多額な遺産が転げ込んでこないものか、ともよく言っていたような気もする。いまでも金利生活者になるのは理想である。それほどの遺産はないから実現は不可能だけれども。
ただ、憧れているのは、晩年の永井荷風ではなく、夏目漱石「門」(岩波文庫 ISBN:4003101081)の宗助と御米の夫婦である。あんなふうに、世の中の片隅でひっそりと夫婦で暮らすのはいいなあと思う。考えてみれば、いまは理想に近い生活が実現しているのかもしれない。



子供の頃を思い返してみると、自分に対する無力感があったことも確かだが、自分の周囲、親や親戚、学校の先生からもさっぱり期待されていなかったようにも思う。特に、私の兄はずいぶん期待をかけられていたようだったから、それとの落差が大きかった。もともと、自分が自分に対して大きな期待をかけていなかったから、周囲から期待されないことに落胆することはないけれど、客観的に見て、どうしてこんなにも期待されないか不思議だった。
それにしても、子供が高等遊民になりたいと言っていたとしても、親がそれを真に受けて、この子は正業には就かないだろうと思うものなのだろうか。子供に対して、もう少しは、盲目的に大きな期待をかけてみたりするではないのだろういか。
会社に入ってから、上司からそれなりに期待をかけられるようになったが、非常に新鮮な感覚だった。かつては、期待されないのは自分のせいだと思っていたけれど、ある程度人から期待されるようになると、期待されないのは自分のせいだけでもないと思うようになった。
自分が何者かになると思っていなかったから、周囲も何者かになると思えなかったのか。それとも、周囲から何者かになると思われなかったから、自分でも何者かになると思えなかったのか。