あのころは本当に

「通り過ぎてしまった人々」と書きながら(id:yagian:20050718)、結局、週刊プロレス週刊ゴングを買い、橋本真也への追悼の言葉を隅から隅まで読み、BS朝日の闘魂スーパーバトルで「追悼、橋本真也 名勝負集」を見てしまった。通り過ぎた、とは言えないのかもしれない。
週刊プロレス週刊ゴングには、さまざまな人が橋本について語っている。そのなかでいちばん印象にのこったのは、意外にも、ドン荒川の言葉だった。

……(どんな姿をいま思い浮かべますか?)まだホント生きてますから。亡くなったことは事実ですけど。泣いたら真ちゃんに怒られちゃうから笑わなきゃ。やっぱり楽しい思い出しかない。楽しい思い出しか残っていないから。もう苦しい時とか全然なかったから。(プロレスラー橋本真也の印象は?)もう最高ですよ。夢を与えて。もう最高ですね。これからっていうときでしたね。
 (若手時代の橋本さんは?)もう無茶苦茶。みなさんが言うように、子供がそのまま大きくなったような感じですね。裏表がない性格で、人に愛される人でしたね。(悪いことをしても…)許される。極端な話、人を殺しても許されるぐらいの、それは悪いけど、それぐらいの人ですね。……
週刊ゴング

― 荒川さん、橋本選手とは本当に仲がよかった。新日本時代から本当によく可愛がってましたね。
荒川 とんでもないですよ、私が可愛がってもらったんですよ。今日は、めそめそしてもしょうがないので乾杯ですね。私が泣くと真ちゃんが怒るから。残念だけど乾杯で供養するしかない。もう行き返ってはこないんですから。思い出があり過ぎます。みんながヤキモチを焼くくらいに一緒でしたからね。お互いに練習も楽しく、遊びも楽しくというタイプですから。いくら語っても語りつくせない。……
週刊プロレス

ドン荒川は、1945年生まれだから、橋本真也の20歳年長にあたる。橋本が新日本プロレスに入団したときからカナダへ海外遠征に行くまでの間、コーチ役をつとめていた。橋本真也のトンパチぶりは有名だが、ドン荒川も劣らぬトンパチで、二人はつるんで「いくら語っても語りつくせない」ほどのエピソードを作っていたようだ。
自分のことを振り返って考えてみると、つれあいを別とすれば、誰かが死んだときに、ドン荒川橋本真也に感じたほど熱い気持ちになれる人はいないように思う。また、自分が死んだときに、これだけの熱い気持ちになってくれる人もいないだろう。そう考えると、橋本真也ドン荒川の関係はうらやましいようにも思うし、また、その関係は二人が作り上げたものだから、うらやむひまがあるなら、そんな人間関係を作れるように自分を磨いておけ、とも思う。
ドン荒川は、「とんでもないですよ、私が可愛がってもらったんですよ。」と語っている。なんと謙虚な言葉だろうか。プロレス界のなかでの大きさでは、ドン荒川橋本真也と比べるべくもないが、20歳年長でコーチ役でもあった彼が、橋本が亡くなり、もう彼に気を遣う必要がなくなってからこのように語る。年長であったり、社会的地位が高い側の人が、ほんとうの意味で、だれかを謙虚に受け入れたとき、このような美しい人間関係ができあがるのだろうか。自分も歳を取ってきたけれど、これだけ謙虚な目で後輩を見ることはできそうにない。
ドン荒川とは別の意味で、リング上で脳梗塞になり現在休養中の高山善廣のコメントも印象に残った。

…僕の場合はこういう身なんで、そういうふには思わなかったですね。だから他のみなさんよりはビックリしなかったです。橋本さんは良い意味でも悪い意味でもプロレスラーを貫いたんじゃないですか。豪快さを売りにしていると、そうなる可能性が高いんだと冷静に受け止めていて…。亡くなったことはショッキングですけど、僕は昨年の経験からして、プロレスラー全員がなり得ると。プロレスラーはプロレスラーらしく酒を飲んで、何でも食うというのは、現実的ではないかも。
週刊ゴング

私がプロレスを見始めたのは、金曜夜8時からテレビ朝日新日本プロレスの中継があり、アントニオ猪木初代タイガー・マスクが元気だった時代である。そして、いちばん熱心にプロレスを見ていたのは、90年代、武藤、蝶野、橋本、ライガーが全盛だった時代である。いま、たまにプロレスを見ると、あの頃に比べるとつまらなく感じる。飽きてしまって途中でテレビを消してしまうこともある。いまのプロレスがおもしろく感じられないのは、客観的に試合がつまらなくなっているためなのか、自分の見る目が変わってしまったためなのか。
たしかに、プライドを見慣れた目でプロレスを見ると、以前と同じように楽しむことは難しくなる。闘魂スーパーバトル「追悼、橋本真也 名勝負集」を見ていると、当時はあまり気にならなかったことが、いまでは気になることがあった。例えば、橋本真也高田延彦の試合を、橋本は三角固めもどきで試合を決める。プライドを見慣れた目で見ると、三角固めの形になっていないのがわかる。プロレスは、一種の演舞なのだから、絞める必要はないけれど、形はきちんと決めてほしいと思う。橋本も柔道をやっていたのだから形がわからないわけではないだろう。
しかし、そんな気になるところはありながらも、今のプロレスの試合よりも、あのころの試合の方が、どうしてもおもしろく見える。やっぱり、あのころは本当にプロレスがおもしろかったということだろうか。
高山が言うように、あのころのようなプロレスラーらしいプロレスラーを、命を削るようなプロレスを、今求めることは現実的ではないのだろう。実際、今のプロレスラーは、節制をしてシェイプアップしている人が増えていて、橋本真也ドン荒川のようなトンパチはもういない。人間離れしたトンパチが繰り広げるプロレスを求める気持ちがアナクロニズムであることはよくわかっている。しかし、アスリートのような棚橋や中邑といった選手たちによるプロレスが、そんなトンパチたちのプロレスを乗り越えることができるのだろうか。その道はいまはまだよく見えない。