かのように

会社の同僚に藤原正彦国家の品格」(新潮新書 ISBN:4106101416)を読んでみたらと言われ、ものは試しにと思って読んでみた。その同僚に感想を聞かれたから、ひとことで言えばトンデモ本だな、と答えておいた。
以前、靖国神社について、以下のようなことを書いたことがある。(http://www.lares.dti.ne.jp/~ttakagi/diary/diary/0108.htm#20010819)

靖国参拝を進めようとするウヨクの人々には、正直に言って、戦争の犠牲になった人たちの霊に対する真剣な信仰心が感じられない。まじめに鎮魂しようと考えているならば、靖国神社のまわりで大きな音をたてたり、汚い言葉を使ったりできるはずがない。参拝している政治家も、自分の政治的立場のために参拝はしつつも、やはり、真摯な信仰心があるようにはとても見えない。非常に感じが悪い。

これと同じように、伝統や文化が大切だと主張しながら、そのじつ、伝統や文化にさして興味がない、という人もいる。藤原正彦の本を読みながら、この人は、日本の伝統や文化にどれだけ興味があるのか疑問に感じた。
この本のなかで、藤原正彦は、日本の文学について、こんなことを書いている。

 もちろん、日本は多くの普遍的価値を生み出してきました。世界でも群を抜く文学作品はもちろんですが、世界で初めて小説の形式を発明した紫式部俳諧という文学を確立した芭蕉などは、これはもう何世紀に一人の大天才です。
……
……日本人は美的感覚に恵まれていた。そのおかげで、世界に冠たる文学を作り上げてきた。
日本のあらゆる文芸の内でもっとも優れているのは文学です。万葉集の頃からノーベル賞があれば、百以上は堅いはずです。

この言葉を漱石に聞かせたら、どんなことを言うだろう。
漱石は「三四郎」(岩波文庫 ISBN:4003101065)の中で、広田先生にこんなことを言わせている。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」

本当に源氏物語を愛読し、その価値を認めていれば、源氏物語が「小説」ではないし、ましてや小説の形式を作り上げたわけではないことがわからないはずはない。源氏物語をこんな形で持ち上げるのは、まさに「贔屓の引倒しになるばかりだ」ろう。
漱石は、漢籍を通じて得た文学の観念と、英文学との落差に悩まされていた。だから、日本の文学と他の地域の文学の優劣を比べようという発想自体、厳しく批判しただろう。その上、文学の価値を表すことにノーベル賞の数を持ち出すに至っては、言葉を失ってしまうのではないか。
自分で読みもしない作品に関する聞きかじった知識を根拠に、日本の誇りを持ったとして、それが何になるというのだろうか。
森鴎外は、「かのように」(「阿部一族舞姫」(新潮文庫 ISBN:4101020043)所収)という小説の中で、このように書いている。

「……自由だの、霊魂不滅だの、義務だのは存在しない。その無いものを有るかのように考えなくては、倫理は成り立たない。理想と云っているものはそれだ。法律の自由意志と云うものの存在しないのも、疾っくに分かっている。しかし自由意志があるかのように考えなくては、刑法が全部無意味になる。どんな哲学者も、近世になっては大抵世界を相待に見て、絶待の存在しないことを認めてはいるが、それでも絶待があるかのように考えている。宗教でも、もうだいぶ古くシュライエルマッヘルが神父であるかのように考えると云っている。孔子もずっと古く祭るに在すが如くすと云っている。先祖の霊があるかのうように祭るのだ。そうして見ると、人間の智識、学問はさて置き、宗教でも何でも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられない或る物を建立している。即ちかのようにが土台に横たわっているんだね。」

現代の日本の教育を受けていれば、「自由・平等・博愛」の理念も「かのように」を土台にしており、同じように、日本の伝統や文化もやはり「かのうように」が土台になっていることに気がつかないわけにはいかない。
国家の品格」のなかで、藤原正彦は、しきりに、自由と平等(藤原正彦はなぜか博愛については言及しない)の間には矛盾があり、それを乗り越えるためには武士道精神が必要だということを主張する。
しかし、自由と平等の理念が「かのように」を基盤としていることは間違いないが、武士道精神も同じように「かのように」を基盤にしている。自由、平等の理念の代わりに、武士道精神に置けばよいというものでもないだろう。
どちらも「かのように」を土台としているならば、どちらを尊重した方がよいだろうか。現代の日本に生きてていれば、「自由・平等・博愛」と「武士道精神」のいずれを選ぶと問われれば、「自由・平等・博愛」の方がしっくりくるのではないだろうか。
それにしても、「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫 ISBN:410124801X)は悪くなかったのに、藤原正彦はいったいどうしてしまったのだろうか。少なくとも、漱石や鴎外をじっくりと読んでみたらどうだろうか。