パラフレーズ

ここのところ、作文に関するエントリーをいくつか書いてみた(「作文の教育、学習」id:yagian:20060205:1139146276「朱を入れる」id:yagian:20060206:1139233761)。今日は、その続きで、ちょっと違った観点から考えてみようと思う。
作文を書く時、手書きの場合も、キーボードから入力する場合も、口述する場合も、まず最初に、頭の中で思考する段階がある。ひとつ疑問に感じているのは、頭の中で思考する段階で、言語化される前に言葉にならない思考があるのか、思考は言語表現と切り離すことができないのか、ということである。
例えば、このエントリーを書こうとするとき、実際にキーボードを叩くという動作をする前に、頭の中になんらかの言葉が浮かぶ。そして、頭の中でいろいろな言語表現を思い浮かべ、ある程度文章の形に組み立ててから、キーボードを打つことが多い。通勤の電車の中で考える時には、頭のなかでひとつのエントリーの文章をおおむね組み立てることもある。逆に、あまり先まで考えず、とりあえず思い浮かんだ言葉をキーボードで入力し、目で文章を確かめながら次の言葉を考えることもある。
私の場合、頭の中で言葉を思い浮かべる時は、文字ではなく、内言、おそらく、音に近い感覚のようだ。そして、その内言である言葉が思い浮かぶ前に、何か言葉にならない思考があり、その思考を表現するために言葉がでてくるのか、思考と言葉表現は一体で表現に先行する思考というものはありえないのかがよくわからない。自分の思考そのものを観察したり、思考することは難しいから、結論を出すことはできないけれど、今のところは、思考と言語表現は一体のように感じている。つまり、表現を与えられていない思考というものは存在しない、ということだ。
言語表現に先行する思考があるか、ないかは別として、いずれにせよ、考えを深め、展開するのは、言語を使っている。ひとつの文章を書くきっかけとなる言葉がいくつか頭の中に思いつく。その言葉を核として、さまざまに言い換えることで思考を進める。もとの言葉をより詳細に説明するような形で言い換え、逆に要約するような形で言い換え、また、論旨を発展させるように言い換え、具体例をつかって比喩の形で言い換え、逆に具体例を抽象化するように言い換える。模式的に書けば、A→A'→A''→A’’’→……という形で言い換えることで、思考が深化、展開する。
この思考の深化、展開が豊かなものにするためには、二つの側面があるように思う。ひとつは言い換えのバリエーションをどれだけ持っているか、ということ。より豊富な言い換えのバリエーションを持っていれば、それだけ多様な言い換えができ、多様な思考の可能性がある。その意味では、さまざまな文章を読むことで、言語表現のバリエーションを増やすことは、思考の可能性を広げることにつながるだろう。
もう一つの側面は、模式図の→にあたる部分にかかわっている。Aという表現を与えられた場合、さまざまな表現に言い換えうる可能性がある。創造的な思考というのは、おそらく、以前に結びつけられたことがない表現を結びつけ、かつ、その結びつきが広く共有しうる、理解されうる場合を指すのではないかと思う。人の文章を読んでいて、たまに、今まで漠然と考えていたような気がすることが明確に表現されていて腑に落ちたと感じることがある。それは、創造的な言い換えが行われている、ということではないか。
そして、そのような創造的な言い換えができるような力を養うためにはどうすべきか。さまざまな文章を読むことで、ある程度言い換えの基本的なパターンを習得することはできるだろうが、必ずしも創造的な思考ができるようになるわけではないだろう。
以前、繰り返しパラフレーズをする英語の授業を受けたことがある。英語で考えられるようになる、という言い方がある。英語で考えられるということは、おそらく、日本語を介さず、英語から英語への言い換えをしている状態を指している。英語でのパラフレーズを繰り返すことで、英語で考えることを目的としたトレーニングだったのだと思う。
思考をこのように考えると、思考が個人に閉じておらず、開かれているということがわかる。対話も思考と同じ、A→A'→A''→A’’’→……という形をとっている。というよりも、対話も思考の一種であり、また、思考は対話的であるとも言えると思う。カウンセリングやファシリテーションは、対話的思考、思考としての対話の技法ということになるのだろう。
今日は、言葉で表現することが難しいことを考えているうえに、考えもまとまっておらず、不完全なすっきりとしないわかりにくい文章になってしまった。読み返していると、穴だらけの文章である。久しぶりに、じっくりと考えるということをした、という実感がある。とりあえずは、このままの形でアップロードしようと思う。