余興

鴎外を読んでいると、たしかにこんなことあるなよなあ、こんなこと考えることあるよなあと共感できることが多い。それは、別に、私が鴎外のようにえらい、ということではなく、時代に先駆けた近代人である鴎外のことを、百年遅れの自分がようやく理解できるようになったということではないかと思う。そう考えると、早すぎた人、鴎外は、その時代、とてつもなく孤独だったのかもしれないと思う。
阿部一族舞姫」(新潮文庫 ISBN:4101020043)のなかに「余興」という小品が入っているが、これもまた、笑ってしまうぐらい共感できた。
鴎外をモデルとしたと思われる私は、同郷人の宴会に呼ばれる。その余興で、浪花節がかかる。もちろん、私は浪花節はくだらないと思い、閉口しながら聞く。浪花節が終わったあと、宴会が始まる。若い芸者が浪花節のことを「面白かったでしょう」と云いながらお酌をしようとする。

……私は覚えず猪口を持った手を引っ込めた。私の自尊心余り甚だしく傷つけられたので、私の手は殆ど反射的にこの女の持った徳利を避けたのである。
……
「まあ、己はなんと云う未練な、いく地のない人間だろう。今己と相対しているのは何者だ。あの白粉の仮面の背後に潜む小さい霊が、己を浪花節の愛好家と思ったのがどうしたと云うのだ。そう思うのなら、そう思わせて置くのが好いではないか。試みに反対の場合を思ってみろ。この霊が己を三味線の調子がわかる人間だと思ってくれたら、それが己の喜ぶべき事だろうか。己の光栄だろうか。己はその光栄を担ってどうする。それがなんになる。己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人のそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなくてはならない。それに安んじて恬然としていなくてはならない。それが出来ぬとしたら、己はどうなるだろう。独りで煩悶するか。そして発狂するか。額を石壁に打ち附けるように、人に向かって説くか。救世軍の伝道者のように辻に立って叫ぶか。馬鹿な。己は幼稚だ。己にはなんの修養もない。己はあの床の間の前にすわって、愉快に酒を飲んでいる、真率な、無邪気な、そして公々然とその愛する所のものを愛し、知行一致の境界に住している人には、遥かに劣っている。己はこの己に酌をしてくれる芸者にも劣っている。」

自分も、「公々然とその愛する所のものを愛し、知行一致の境界に住している」ことができれば、と思わなくもないけれど、実際には、そんなことはさっぱりできず、こんなウェブログを書き連ね「額を石壁に打ち附けるように、人に向かって説くか。救世軍の伝道者のように辻に立って叫ぶ」ようなことをしている。自分が内心バカにしているものを好きだという人がいると、口にはださなくても、意識せず見下したような表情をしてしまっている。まったく、自分は「なんの修養もない」と思う。
これだけの著作をしているからには、鴎外には自分を理解してもらいたいという気持ちが非常に強かっただろう。特に若い頃の鴎外は論争好きで、自分のことを、自分が考えるように理解していないと思われる批評には激しく反論をしていた。客観的に見れば、無視をしてやりすごせばよいのではないか、そこまでやってしまうと返って鴎外自身の価値を下げてしまうのではないかと思える。この「余興」を読むと、鴎外自身もそのことには気がついていても、ついつい書かずにいられなかったということが分かる。
私自身、自分のことはあまり理解されていないと感じることが多い。それが、自己顕示を抑えられない原因になっている。最初に書いたように、鴎外は、自分が理解されていないという孤独感は実に深かっただろう。彼の気持ちはわかるように思う。
寒山拾得」(「阿部一族舞姫」所収(新潮文庫 ISBN:4101020043))の最後の文章、「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ないのだよ。」の意味がよくわからない。
寒山や拾得は、自分が文殊や普賢であることをさとられずに暮らしている。「天下に一人のそれを理解してくれる人がなくたって」「それに安んじて恬然」している、「余興」のなかで鴎外が理想としている人物である。鴎外は、寒山拾得のようには、恬然としていられず、激しく自己顕示をしてしまう。なぜ、彼が自分自身を寒山拾得になぞらえているのか、そこがうまく理解できずにいる。