目のくもり

小林秀雄本居宣長」(新潮文庫 ISBN:4101007063)を少しずつ読み進めているけれど、正直にいって、難しくてよく分からないところが多い。理解するには、本居宣長やその前後の思想史について予備知識が必要のように思い、平行して、入門書も読むことにした。まずは、子安宣邦本居宣長とは誰か」(平凡社新書 ISBN:4582852971)を読んだ。この本も、なかなか噛み応えがあり、必ずしも理解できたとは思わないけれど、興味深く読むことはできた。特に、本居宣長が書いた重要な文章の原文が参考資料として付けられており、これから彼のことを勉強する上で便利で、役に立つだろうと思う。
以前の日記(id:yagian:20060402:1143961734)で、本居宣長は身も蓋もないほど率直な人のように思う、ということを書いた。「本居宣長とは誰か」のなかにも、それを裏付けるような文章が引用されていた。また、孫引きになるけれど引用しようと思う。「鈴屋問答録」という本の一節らしい。ちなみに、私自身が本居宣長の文章を解読するための練習のため、引用文の後に、現代語訳を付けているけれど、かなりいい加減な翻訳であるので、くれぐれも信用されないように。

儒仏の説は、面白く候へ共、実には面白きやうに此方より作りて当て候物也。御国にて上古、かかる儒仏等の如き説をいまだきかぬ以前には、さやうのこざかしき心なき故に、ただ死ぬればよみの国に行く物とのみ思ひて、かなしむより外の心なく、これを疑ふ人も候はず、理屈を考へる人も候はざりし也。さて其のよみの国は、きたなくあしき所に候へ共、死ぬれば必ずゆかねばならぬ事に候故に、此世に死ぬるほどかなしき事は候はぬ也。

儒教や仏教の説はすっきりしているけれど、実際にはすっきりするように作ったものである。わが国の古代、このような儒教、仏教のような説を聞く前は、そのようなこざかしい心はなかったので、ただ死ねばよみの国にいくものとだけ思って、かなしむより外の心はなく、これを疑う人もなく、理屈を考える人もいなかった。そのよみの国は、きたなく、不快なところであるが、死ねば必ず行かなければならないので、この世では死ぬほどかなしい事はないのである。
実に、身も蓋もない率直な言葉である。ようするに、儒教や仏教の教えは、作り物に過ぎず、日本ではもともと死ねばきたないよみの国に行かねばならないと考えられており、それをただ悲しんでいたというのだ。まったく救いがない死生観である。しかし、本居宣長にしてみれば、古事記を研究した結果、じっさいに古代の人々の死生観はこのようなものであり、それをそのまま語っているだけなのだろう。同時代の人にとって救いがあるか、ないかは眼中にない。ある意味、宣長の言葉の救いのなさは、現代的ですらあるように思える。
しかし、本居宣長も、常に、このようにスーパークールであったというわけではないようだ。宣長は、上田秋成と、天照大御神をめぐって「日の神」論争と呼ばれる論争をしていたという。その論争での主張を見てみると、上田秋成は身も蓋もない率直な主張をしており、一方、本居宣長の主張は目がくもっているように見える。
まず、上田秋成の主張について、「本居宣長とは誰か」から孫引きする。本居宣長「呵刈葭」という本からの引用である。

然るを異国の人に対して、此の小嶋こそ万邦に先立ちて開闢たれ、大世界を臨照まします日月は、ここに現じましし本国也。因りて万邦悉く吾国の恩光を被らぬはなし。故に貢を奉りて朝し来たれと教ふ共、一国も其の言に服せぬのみならず、何を以て爾いふぞと不審せん時、ここの太古の伝説を以て示さむに、其の如き伝説は吾国にも有りてあの日月は吾国の太古に現れまししにこそあれと云ひ争はんを、誰が裁断して事は果たすべき。……書典はいづれも一国一天地にて、他国に及ぼす共諺にいふ縁者の証拠にて、互いにとりあふまじきこと也。

ところで、外国の人に対して、この小島こそ世界に先だって開かれ、世界中をくまなく照らす太陽、月は、ここに現れた本国である。そこで、世界中でわが国のおかげである光をこうむらない国はない。それゆえ、わが国に朝貢せよと教えても、どの国もその言葉に納得しないだけではなく、なにがその根拠なのかと疑いがかけられたとき、ここにある太古の伝説を示しても、そのような伝説はわが国にもあってあの太陽、月はわが国の太古にあらわれたものだと言い争いになったら、誰が判断して決着をつければよいのか。……書典にはいずれも一つの国に一つの天地の起源が書かれており、ほかの国に及ぼそうとしても、諺にいう「縁者の証拠」であり、おたがいに取り入れることはないのである。
じつにもっともな内容で、国学者である上田秋成は、こんなに客観的に日本の神話を捉えていたのかと、感心する。ここまで冷静に喝破してしまうと、国学という学問自体が成り立たなくなるのではないかと、妙な心配さえしてしまう。
一方、本居宣長は、これに対して猛烈に反論している。

ただ一点の漢意の雲だに晴れるれば、神典の趣はいと明らかなる物を、此の一点の黒雲に障へられて、大御光を見奉ることあたはざるは、いともいとも憐れむべきこと也。
わが皇国の古伝説は、諸の外国の如き比類にあらず。真実の正伝にして、今日世間人間のありさま、一々神代の趣に符合して妙なることいふべからず。然るを上田氏ただ外国の雑伝説と一つにいひおとして、この妙趣をえさとざるは、かの一点の黒雲の晴れざるが故也。

ただ一点のからごごろの雲が晴れれば、神典の示すところはすっかり明かなであるのに、この一点の黒雲にさえぎられて、大御光を見ることができないは、じつに憐れむべきことだ。
わが皇国の古くからの言い伝えは、いろいろな外国のものと比べられるようなものではない。真実の言い伝えであり、現在の社会、人間のようすは、いちいち神代のようすに合致しており、すばらしいことは言うまでもない。そうであるのに、上田氏は、外国のざまざまな言い伝えと一緒にして、このすばらしさを理解しないのは、あの一点の黒雲がはれないからだ。
この種の論争は、現代に始まったものではなく、江戸時代にも同じような形で行われていたことは、感慨深い。だいたい、人文系の学問は、本質的には、ほとんど進歩ということがないし、問題や論争も決着することはほとんどないと思う。この論争も、そのよい例だろう。上田秋成の文章は、現代において、この論争をしている某人に読ませたいと思う。
それにしても、現代の私から見ると、本居宣長は、急に目がくもってしまったように見える。宣長自身にとっては、私からは、率直に見える言葉も、目がくもったように見える言葉も、一貫したものであるのだろう。それならば、どのような考え方で、一貫性が保たれているのだろうか。
もう少し、「本居宣長」を読み進んでみようと思う。