イラクとモンゴルと満洲国のナショナリズム

幻冬舎新書が創刊され、書店で平積みをされていたので、手嶋龍一、佐藤優「インテリジェンス武器なき戦争」(幻冬舎新書 ISBN:4344980115)を買ってみた。手嶋龍一と佐藤優がヨイショしあう不思議な対談本だった。
先日、イラクナショナリズムについて書いた(id:yagian:20061209:1165653628)が、この本のなかで佐藤優イラクナショナリズムについてこんなことを語っていた。

……アーネスト・ゲルナーの『民族とナショナリズム』(岩波書店)という国際的にも非常に評価が高い定本を読めば、イラクが基本的に国民国家を志向していることがわかる。その国民国家という方向性ともっとも激しく衝突するのがアルカイダであり、イスラム教スンニ派のハンバリー法学派の中でも原理主義的な傾向の強いワッハーブ派であるわけで、これがサウジの国教にもなっているんです。だからサダム・フセインは、アルカイダワッハーブ派にとって殲滅すべき対象なんですね。まったくフレームとベクトルが違うから、絶対に結びつかない。それが基礎知識です。ところが日本の場合、まずナショナリズムについてまともに勉強している人があまりにも少ない。だからイスラムナショナリズムについての基礎的訓練ができていない国際政治専門家は、アルカイダのような異常な連中と、サダム・フセインのような異常な指導者は、絶対に裏でつながっているに違いないと思っちゃうんですよ。

イラク戦争を始めるとき、アメリカはイラクテロ支援国家と呼んでいたが、サダム・フセインアルカイダがつながっているという話は聞いた覚えがないし、「アルカイダのような異常な連中と、サダム・フセインのような異常な指導者は、絶対に裏でつながっているに違いない」と言っていた「国際政治専門家」とは誰のことだろうと、少々不思議に思った。
それはともかく、国民国家を志向していたのは、イラクというより、バース党サダム・フセインだったのではないかと思う。彼らが排除された後、イラク人という国民意識を共有する集団、すなわち、nationが成立していなかったことが明らかになった。
シーシキン他著、田中克彦翻訳「ノモンハンの戦い」(岩波現代文庫 ISBN:4006031270)を読んだ。ノモンハン事件を日本側から書いた本は何冊か読んだことがあるけれど、ソ連側から書いた本ははじめてだったので、興味深かった。その本の本文ではなく、田中克彦が書いたあとがきに、次のような文章があった。

 この期、モンゴルはソ連の傀儡(あやつり人形)だったと、日本のノモンハン通は声高に言う。それはそうとしておこう。では、モンゴルより、はるかに傀儡度の高かった満洲国はどうなったか。その防衛のために戦ったはずの関東軍は逃走し、満洲国そのものがついえ去ったのである。
 それに対し、ソ連が育成したモンゴル人民共和国は、ヤルタ会議でスターリンがその現状(ステイタス・クオ)の維持をあくまで主張し、ついには1961年には国連への加盟を果たしたのである。さらにソ連邦が崩壊すると、モンゴルは傀儡を脱して、ついに完全な独立を獲得したのである。モンゴルが満洲国よりさらに傀儡であり、ノモンハンでたたかった関東軍に比してはるかに愚かだったと誰が言えるであろうか。
 朝青龍を日本に送り出して、横綱の地位を占めることを可能にした背景のすべてはモンゴルの独立と、そのことに微妙なぐあいに作用したノモンハン戦争があったとは言えないだろうか。

ノモンハン事件は、直接的には、モンゴル人民共和国満洲国の国境紛争であり、日本軍に加え満洲国軍も、ソ連軍に加え、モンゴル人民共和国軍も戦闘に参加している。もちろん、モンゴル人民共和国満洲国は傀儡国家であったので、戦闘の主体は日本軍とソ連軍であった。
傀儡国家であっても、その後の運命はさまざまである。
イラクは、上からの国民国家化が進められていたけれど、結局、国内にある複数エスニックグループ、宗派をまとめることができず、実質的には内戦状態になっている。
モンゴル民族は、モンゴル国と中国内蒙古地区に分かれているが、モンゴル国内は複数エスニックグループが対立するという状況ではなかったことが、国民国家を形成するために幸いしたかもしれない。将来、中国政府の統制、支配が緩んだ場合には、モンゴル国と統一を目指すことになるのかもしれない。
関東軍満洲国から撤退したあと、この地域は独自の国民国家を作ることなく、中華人民共和国の一部となった。満洲国は、満洲人というアイデンティティに基づく国民国家の形成がめざされていたわけではなく、日本、朝鮮、満州、蒙古、支那の五民族による五族協和が理念となっていた。
それにしても、五族協和を理念として掲げ、満洲国の指導層であった日本人たちは、長期的には、どのような国を作ることを構想していたのだろうか、何を軸として国民を統合しようとしていたのだろうか。単に、強権的に支配することをのみ考えていたのだろうか。
朝鮮半島や台湾では、同化政策がとられていたわけであるが、五族協和を建前としていた満洲国では同化政策が進められていたわけではない(のか?)。日本が、どのように多民族国家を作り、支配しようとしていたのか、興味がかきたてられるテーマである。