最近お気に入りの小説家

お気に入りのTV番組について書いたついでに、お気に入りの小説家について書こうと思う。
このウェブログにはあまり書いていないけれど、最近は、日本の現代小説もたまに読んでいる。純文学衰退論といったことを言う人もいるけれど、今の日本の純文学は、なかなかおもしろいと思う。
たしかに、古典とされているような小説はすばらしいものが多い。それは、100年、数十年という時間で淘汰され、選び抜かれたものだからだ。当然、淘汰され、読むに耐えない小説は数えられないほどあったはずだが、それは目に触れることはない。また、発表された当時は、普通の読者にとって理解しがたかった小説が、現代になってようやく理解できるようになったという作品もあるだろう。
同時代の作家の小説を読むときは、時間による淘汰を経ていないから、どうしてもつまらない小説を読むことになる確率が高いし、同時代の読者としては理解しがたいということもあるだろう。そのことを割り引いて考えれば、現代の純文学が衰退しているとは思えない。将来は古典になりうる小説も多く書かれていると思う。特に、明治、大正時代には、本格的な女性の作家はごく限られた存在だったけれど、現代の女性の作家の質の高さは、大きな可能性となっていると思う。
村上春樹は別格として、小川洋子町田康川上弘美が最近お気に入りの小説家である。
小川洋子で始めて読んだ小説は「博士の愛した数式」(新潮文庫 ISBN:4101215235)だった。読みやすい文体で書かれているけれど、一筋縄でいかない小説だと思った。80分しか記憶が持たないという博士にとって、生きることの苦痛の大きさはいかばかりだろう。ある意味、残酷な小説だと思った。その後、文庫で読める限りの彼女の小説を読んでみたけれど、期待は裏切られることはなく、単純に割り切ることができない残酷な小説だった。彼女の小説は、一度読んだあと、しばらく寝かせて、もう一度読み返してみると、また、新たな魅力を発見できるだろう。
町田康芥川賞を取ったとき、「夫婦茶碗」(新潮文庫 ISBN:4101319316)と「くっすん大黒」(文春文庫ISBN:416765301X)を読んでみた。そのときは、なぜか、あまりしっくりこなかった。しかし、しばらく積読状態で放置していた「パンク侍、斬られて候」(角川文庫 ISBN:4043777035)を読み、一気に町田康に魅了されてしまった。語り口の心地よさだけではなく、町田康の人間洞察の鋭さに感心した。
川上弘美も、小川洋子と同じで、読みやすい文体で書かれているけれど、登場人物を突き放したような客観的な視点、小説に深みを与えるいい意味での残酷さに惹かれた。はじめて読んだ彼女の小説は「センセイの鞄」(文春文庫 ISBN:4167631032)だったけれど、これを読んで、中途半端な年頃の女性の気持ちの一部を、ようやく理解できたように思えた。興味深かったのは、川上弘美のエッセイは工夫が凝らされていておもしろいのに対し、小川洋子のエッセイはごく平凡にあっさりと書かれていることだ。二人の資質の違いを示しているように思う。