骨太な本

渓内謙「現代史を学ぶ」(岩波新書 ISBN:400430394X)を読んだ。これだけ骨太の本を読むのは久しぶりだった。もうすでに必読書という位置づけになっているのかもしれないけれど、人文系の学問にかかわる人には、読むことを強く勧めたい。
「はじめに」から、この本が書かれた動機にかかわる記述を引用する。

 私はロシア現代史……を専攻する歴史研究者です。これまで40年ちかく、1920年代なかばから1930年代なかばまでのおよそ10年間に旧ソ連の農村で起こった政治変動の歴史を研究してきました。
……
 ところが、ソ連・東欧を襲った激動は、これまでの通年を大きく揺るがせることになります。ロシア革命とその後の歴史をもっぱら否定と非難の対象としてしか見ない態度、したがって現代史の研究対象としての積極的意義を喪失したとする見方が、通念に取って代わるのです。
……
 歴史研究を持続する研究者もその多くが、「崩壊」を転機としてソ連史にたいする評価を抜本的かつ唐突に変更します。当然のことながら私も激動の衝撃から自由ではありませんでした。……これからソヴィエト・ロシアの歴史の研究を持続することには意味がはたしてあるのか、あるとすればどこに正当化の根拠を見いだしたらよいのか、以前にはつきつめて考える必要に迫られることのなかったこうした問題を避けて通ることができなくなりました。一実証歴史研究者にすぎない者が、ここ数年かなりの時間を「歴史について」考えることに老化した頭脳を使った、正確には、そうせざるをえなかったのは、このためです。

渓内謙については、詳しくは知らないけれども、ソ連現代史研究の大家だったという。その人が、研究の最晩年に、ソ連の「崩壊」に遭遇し、一生を費やしてきた自分の研究の意義を再度考え直すことになった。彼のそのことへの回答が「現代史を学ぶ」という本なのだが、これが、実に、正攻法に書かれており、内容の密度が高く、そして、彼の学識と情熱が伝わってくる。また、その論理的な文章の構成も見事である。
歴史家の営みをテーマ、史料、文章化の三段階にわけ、それぞれ一般論と彼自身の研究に基づく具体論を踏まえて書かれている。その内容は、おそらく、歴史学にかぎらず人文系の学問すべてに共通する内容だと思う。
引用したいところばかりなのだが、特に気になった部分をいくつか抜書きしてみようと思う。

 帰納的証明は肯定的なものであるかぎり、演繹のような論理の強制を含みません。それがなしうることは、思考者が望むならば、一定の範囲の事実の観察から導き出される結論を肯定することを「許容しうる」、ということです。……
 歴史の論証もまた、帰納的推理の一種として、論理の強制を含むものではありません。それは必然性ではなく蓋然性の論理です。歴史の一般化は、一定範囲の経験的事実の観察(史料を媒介しての)からなるいかなる一般的命題をいうことが許されるか、という以上ではありません。

最近、歴史や文化人類学といった学問と、文芸と何が違うのか、ということについて考え、いくつか本を読んでいた。そのなかで、この一節がいちばん納得でき、腑に落ちた。なるほど、その通りだと思う。たしかに、歴史や文化人類学の研究では、あるひとつの結論を正しいとして強制することはできない。それぞれ学問的な根拠がある複数の学説が並列することがある。しかし、文芸と異なって、学問として認められない結論もある。ひとつの結論には収斂しないが、その結論が許容しうるかは学問的に判断しうるということだ。
次は、歴史の文章化にかかわる一節。

 自戒としていうのですが、日本人は個別情報を一般的命題へと蒸留していく思考があまり得意ではないように思われます。日本の歴史書は、史料をながながと引用する一方で、史料から導きだすことができるはずの斬新な知見を積極的に展開しない傾向があるとの批判をよく聞きます。……
……
 日常経験を克明に記録する嗜好からしますと、私たち日本人の思考には、ものごとを微細に観察する経験主義的傾向があるようにも見えます。しかしそれとは不調和に映る思考傾向も目に付くように思われます。それは、政治・経済・社会など、日常的実感を超えて理論的概念の操作を必要とする次元の問題については、一方で議論が個人の日常的実感の表白にとどまるか、さもないと、とたんに抽象的・演繹的になるという思考の二極化の傾向です。

いつも長々と引用をして、たいしたコメントもないこのウェブログは、まさしく……。それは置くとしても、個々の事例の実感を重視して一般化できない一方で、個別の事例から遊離した抽象的・演繹になるという指摘、現在の教育に関する議論に当てはると思う。
また、作者はあとがきでこんなことを書いている。

……専門そのものからはずれるほんの執筆で、自己評価が難しく自信喪失に陥っていたところ、佐々木さんの励ましで出す決心がつきました。こころからお礼を申し上げます。

この本は、まさしく名著だと思う。客観的に見れば自信喪失に陥る理由はまったくないように見える。この人の自分への要求水準の高さと、そのうらはらの謙虚さに、驚き、感じ入る。