渋沢敬三の系譜

渋沢敬三という人には、敬意と共感と関心を抱き続けている。このウェブログでも、彼について何回か書いたことがある。
http://www.lares.dti.ne.jp/~ttakagi/diary/diary/0003.htm#20000326
http://d.hatena.ne.jp/yagian/searchdiary?word=%bd%c2%c2%f4%b7%c9%bb%b0
渋沢敬三は、私財を投じて、日本常民文化研究所という小さな研究所を作った。この研究所は、私立の小さなもので、大学に比べて決して待遇がよいわけではなく、権威があったわけでもなけれども、ここからは、宮本常一をはじめとして、民俗学文化人類学歴史学を担うさまざまな人材が育っている。網野善彦もそのひとりである。
網野善彦「古文書返却の旅 戦後史学史の一齣」(中公新書 ISBN:4121015037)は、彼が若い頃にかかわった、日本常民文化研究所のプロジェクトの「失敗史」を書いたものである。
1950年代のはじめ、水産庁がまとまった予算を確保し、漁業史のための基礎資料を収集する事業日本常民文化研究所に委託した。全国から大量の古文書を借用したものの、整理ができないまま、予算が打ち切られ、返却することすらできない大量の古文書が残された。これを、1980年代までかかって、整理、返却するまでの経緯が書かれている。網野善彦も若い頃は無謀な仕事をしていたということ、しかし、その失敗による負債を長い時間をかけて返済した誠実さが印象的だ。
宮本常一キリスト教社会運動家賀川豊彦を愛読していたというが、「古文書返却の旅 戦後史学史の一齣」によれば、網野善彦も「観念的な左翼で、「革命」を「夢想」する運動に没入していた」という。渋沢敬三は、自らは財閥の家族に生まれ育ち、財界人としての活動を続けながら、一方で、「左翼」的(もちろん正統的な左翼とは合い入れないのだろうけれど)の常民の生活について地を這うような研究を行う研究者を育てている。その二重性について興味が湧く。
渋沢敬三の系列は、実に広く、思わぬ人にたどり着く。この本の中で、網野善彦が、速水融といっしょに古文書収集の調査旅行をしたことが書かれている。
速水融については、「歴史人口学で見た日本」(文春新書 ISBN:4166602004)で知った。この本は、日本での歴史人口学をはじめた速水融の「自分史」であり、歴史人口学の紹介した本で、ほかの方法では知りえないきわめて興味深い事実が明らかにされている(いずれ、その内容についても書いてみたい)。しかし、「自分史」として書かれているのは、歴史人口学をはじめた時点からだったから、彼が日本常民文化研究所に勤めていた時期については書かれていない。だから、網野善彦と同僚だったことはうかつにも気がつかなかった。カバーの裏に書かれている速水融の経歴を見てみると、確かに日本常民文化研究所研究員と書かれている。歴史人口学は、古文書に基づいて過去の人口の状態を復元するので、「歴史人口学で見た日本」のなかでも古文書についてさまざまなことが書かれている。だから、速水融が網野善彦とともに、古文書収集のプロジェクトにかかわっていても不思議はない。
もちろん、渋沢敬三が、日本常民文化研究所にかかわった人たちを直接育てたといえるわけでもないし、また、日本常民文化研究所も、かならずしもすばらしい活動ばかりをしてきたわけでもない。けれども、渋沢敬三を知るために、彼にかかわる人たちのことを知りたいと思っている。