雅子妃の影響力

村上春樹「やがて哀しき外国語」(講談社文庫 asin:4062634376)は、村上春樹が1990年代初頭、ジャパンバッシングが盛んだった頃に、アメリカに住みながら書いたエッセイである。そのなかに、こんな一節があった。

……皇太子の結婚がアメリカ社会に対して果たしたパブリシティーもずいぶん大きかったように僕は感じる。とくに小和田雅子さんという個人が一般のアメリカの人々に及ぼした影響力は思いのほか強かった。たぶん彼女のパーソナリティの中に何か人々を引き付けるものがあったのだろう。そりゃ皇室報道なんてものはどこの国でもミーハーなものなのだけれど、ミーハーなものはけっこう強いのだなという感を新たにした。ものごとというのは意外なところから開けていくものではないかという気がする。

隔世の感がある。
日本の皇室は、海外に向けたパブリシティのために存在するわけではないから、海外からの好感度が下がることが本質的な問題ではないかもしれないけれど、今の皇太子と雅子妃をめぐる状況は、私から見てもやはりおかしいと思う。
以前も書いたことがあるけれど、皇太子が望んでいることは、皇室の一員であること以前に、個人として、家庭として幸福でありたいし、それを望み実現できるような皇室にしたいということだと思う。皇太子と結婚すると大変な苦労をするのが当然、という状況はおかしい、と考えているのではないか。
皇室の伝統、職務に極めて忠実な現在の天皇と比べると、皇太子は自分の役割より個人を優先しているように見え、皇太子や雅子妃の旗色はあまりよくない。けれども、現代の日本における皇族のことを考えれば、もっともっと皇太子や雅子妃を積極的に支持する人があらわれなければならないと思う。