過大な期待

knoriさんのウェブログ(id:knori:20070205:p1)の、親が子供を注意することで学級崩壊が収まったというknoriさん自身のコメントが興味深かった。私は、学校教育とは縁遠いし、自分が受けた教育も必ずしも一般的なものでなかったから、教育現場の実情についてはさっぱりわからないけれど、なるほどと思った。
昨日のウェブログ(id:yagian:20070206:1170723578)に書いた村上春樹ダンス・ダンス・ダンス(上・下)」(講談社文庫 asin:4062749041)の気になったところのひとつは、次の部分である。

……「そんなつまらいこと忘れなよ。学校なんて無理に行くことないんだ。行きたくないなら行かなきゃいい。僕もよく知ってる。あれはひどいところだよ。嫌な奴がでかい顔してる。下らない教師が威張ってる。はっきり言って教師の80パーセントまでは無能力者かサディストだ。あるいは無能力者でサディストだ。ストレスが溜まっていて、それをいやらしいやりかたで生徒にぶっつける。意味のない細かい規則が多すぎる。人の個性を押し潰すようなシステムができあがっていて、想像力のかけらもない馬鹿な奴が良い成績をとってる。昔だってそうだった。今でもきっとそうだろう。そういうことってかわらないんだ」

私自身、学校があまり好きではなかったので、こう言いたい気持ちもわからないではないが、しかし、学校に無理に行くことがない理由を説明するために、こんな風に教師を貶めることはないと思う。下らない教師もいるだろうけれど、大部分がくだらない教師のはずはない。そもそも、たまたま集められた40人の子供に対して、すべての子供が積極的な関心を持っていない学校活動に参加させるということは、途方もない仕事に思える。knoriさんが書いた事例のように、子供や親の協力がなければ、教師の力だけでうまくクラス運営をするのは難しいだろう。
これからの教師をめぐる状況を考えるときに、医師が直面している状況が参考になるように思う。かつて、医師は患者に対して権威があり、いわば保護者ともいえる存在だった。それには、医師が情報を独占することができたことが大きな理由になっていた。しかし、患者にすべての情報を伝えることが義務付けられると、権威が失われるとともに、もはや保護者としてふるまうことも難しくなった。その結果、医師の側も、患者に対してできることとできないことを明確に伝え、できないことはできないというようになった。荒っぽいまとめかただけれども、このようなことが起こったのだと思う。もちろん、医師、患者の両方ともに、ここまですっきりと割り切っているわけではないので、さまざまなトラブルが起こり、さまざまな医師と患者の関係が模索されているのだと思う。
今の教師は、かつてのように、子供や親に対する権威を失いつつある。おそらく、以前であれば、教師と親との間に情報について大きな差があり、親が教師に対してクレームをつけるなどということはほとんどできなかったのだろう。しかし、今は状況は違う。親が教師に、子供が教師にクレームをつける。しかし、教師ができることとできないことを峻別して、保護者として役割を放棄することはゆるされない。これは厳しい立場だと思う。