自爆テロの残酷さに麻痺してはならない

ここのところ、英語の勉強のために、NPR (National Public Radio) のポッドキャスト(http://www.npr.org/rss/podcast/podcast_directory.php) を聴いている。ほとんど毎日のように、イラクでの自爆テロの事件のニュースがある。アメリカ軍やイラク軍、警察だけではなく、一般市民が犠牲になっている。
しばらく前、スティーブン・スピルバーグの「ミュンヘン」を見た。ミュンヘン・オリンピックの時、パレスチナ・ゲリラがイスラエル選手団を人質にとり、最終的には殺害した事件の報復として、イスラエルのスパイがパレスチナ・ゲリラ要人を暗殺する話である。
たしかに、パレスチナ・ゲリラもイスラエルの暗殺者も、人を殺すことを躊躇せず、残酷である。しかし、自爆テロとは違って、犯人たちは、死ぬ覚悟はしているけれど、生きて帰ることを目指し、一般市民を巻き添えにしないように配慮し、そのために、手間とお金をかけて、準備をしている。しかし、自爆テロでは、そのような配慮はない。実にイージーで、そして、実に残酷だ。
「特攻」を美化する人がいる。特攻した兵士たちは気の毒だと思うけれど、自爆テロと同様に非常に残酷なことだと思う。いかに戦況が悪くなったとはいえ、特攻を命令した指揮官は、倫理観を失っていると思う。厳しく批判されるべきだ。特攻した兵士たちを隠れ蓑にして、彼らの残酷さを覆い隠すべきではない。
どのような主張を持っているにしても、自爆テロを使嗾するテロリストは許しがたい。自爆テロの日常化することで、その残酷さに麻痺してはならない。