天下の難事は必ず易きより作こる

窓をいっぱいに開け、雨上がりの夕方の風に吹かれながらビールを飲んでいる。
結城さんのウェブログ(http://d.hatena.ne.jp/textfile/20070728/jkondo)を経由して、「自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする」(http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20070727/1185575866)を読んだ。近藤さんもまだ若いのだなと思い、彼に比べて、自分は年をとって、それなりに世間智を身につけてきたと思った。
自分も、自分の限界を試しがちであり、特に、20歳代の後半から30歳代の前半にかけて、「自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越え」たというようなことをしてきた。たしかに、そのような経験で得られるものがないとはいえない。しかし、壁を越えられず破綻してしまったときには、自分や周囲の人たちに与えるダメージは大きい。結城さんの言うように、危険が大きいと思う。自分は、限界を試すことによって、最終的に破綻したことを経験して、安易に限界に挑むことの危険性を理解したけれど、近藤さんはそのような経験をまだしたことがないのだろうか。
近藤さんの文章のなかで、以下の文章が大切だと思う。

別に仕事に限らず、いろんな事を集中的にやる場合に、何年間もかけて体と精神を鍛錬していって、集中できる量を増やしていく、っていうことが人間はできますよね。

単純に限界を試す、ということではなく、時間をかけて準備をして、自分を高める、ということであれば、よく理解できるし、重要なことだと思う。ただ、「趣味」や「道楽」ではなく、こと「仕事」ということに限って言えば、単に自分の「集中できる量を増やしていく」ことにこだわるのはよくないと思う。それが、限界に挑んで破綻したことによって得た世間智だ。
「仕事」では、自分の能力を高めたり、自分の限界を超えたという自己満足を得るよりも、関係者全体の力を集めて成果を得ることが重要だ。自分の能力を高めることに強い関心を持っていると、ついつい自分でなんとかしようと考えてしまう。そのことが、自分にとっても、周囲にとっても最善の道とならないことが多いように思う。
私の携わっている仕事は、IT業界ではないけれど、労働集約的で個人の生産性の差が大きいというところは似ている。限界まで追い込まなければならない事態が生じることもある。しかし、そのような事態が起きないように準備をすれば、限界まで追い込まれるようなことは防ぐことができる。仕事としてやっている以上、限界まで追い込まれるようなリスクを避けることが必要だろう。そして、それは、自分も、同僚も、顧客も守ることになる。
最近、金谷治「老子」(講談社文芸文庫 ISBN:4061592785)を読んでいる。古典からビジネスへの教訓を得るというのは、非常に年寄りくさいことだけれども、よくあてはまる一節があったので引用する。

天下の難事は必ず易きより作こり、天下の大事は必ず細より作こる。是を以て聖人は、終に大を為さず、故に其の大を成す。

金谷治の解説によると、「事態が困難になり、問題が重大になれば、どうしても大きな目だったことをしなければならない。そうなる前の小さい易しいうちに、さきの大事を見こして人の知らない手をうっていくのである。」という意味であるという。
確かに、余裕を持ち、静かに仕事をしているが、しかし、成果を上げているという人がいる。ことが大きくなる前、易き、細かきあいだに対応しているのだろう。職業人としては、この方向を目指していきたいと思う。
稲妻が光り、また雨が降ってきた。土の香りを嗅ぎながら、ビールを飲んでいる。こんな時間も大切にしたい。