歴史の教訓

世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ)

世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ)

世界デフレは三度来る 下 (講談社BIZ)

世界デフレは三度来る 下 (講談社BIZ)

明治人物閑話 (中公文庫)

明治人物閑話 (中公文庫)

あいかわらず江戸時代や明治時代についての本を読んでいる。楽しみで読んでいるだけで何かの役に立てようと思っているわけではないが、結果として役立つこともある。
竹森俊平は「世界デフレは三度来る」で、今回の日本のデフレについて考察するために、過去二回の世界デフレの歴史を検証している。
私は現在40歳だが、子供の頃は「インフレ」や「物価高」という言葉を聞いたことはあっても、「デフレ」という言葉を耳にすることはなかった。しかし、新入社員に聞いてみると、物心ついてからインフレを体験したことがないという。恐らく私と彼とでは経済観がかなり違っているだろう。私は長期的にみればデフレは例外的であり、いずれインフレ基調になると考え、ローンを組んでマンションを買った。しかし、新入社員の彼はデフレが常態と感じているから借金をすることには消極的だろう。
実際の経済は、あるときはデフレ基調になり、またあるときはインフレ基調になる。その周期は人間の一生で実感するには長過ぎる。デフレ、インフレの双方を客観的に理解するためには、歴史を振り返ることが重要だと思う。「世界デフレは三度来る」を読んでいると、そのことが理解できる。
もっとも、人生40年も生きていると、ベトナム戦争があり、沖縄返還があり、石油ショックがあり、冷戦の終結があり、ソ連の解体があり、インターネットの普及がありと、世界史的な事件を同時代として経験している。だから、自分の経験を振り返れば、多少は見通しがつくことがある。原油価格が高騰しても、省エネや代替エネルギーの開発が進めばいずれは価格が低下し、今は経済が好調なロシアで人気があるプーチン大統領だって安泰ではないであろう。今は実によいやめ時で、後任の大統領は、小泉元首相を引き継いだ安倍前首相のような立場になるかもしれない。
「明治人物閑話」は、明治の隠れた人物を掘り起こした随筆である。その中で、明治40年に田岡嶺雲が読売新聞に書いた学生の学力低下問題に関する論説が取り上げられている。現在、学力低下が問題視されているけれども、この問題も今に始まったことではないようだ。田岡嶺雲の所説を「明治人物閑話」からの孫引きになるけれども、引用してみようと思う。

 一方には学生の学力不足の問題あり、一方には修業年限短縮の問題あり。この相容れざる両問題を如何に調和すべきか。刻下所謂教育家なる者が頭を悩ましつつある者は是也。
 然れ共吾人を以て観れば此の解決は甚だ易々たり。何ぞや。根本に遡つて、小学の程度を高むること是のみ。

この当時は「修業年限短縮」という形だったようだが、教育内容の縮減と学力不足の問題、つまり、ゆとり教育学力低下はこの頃も問題となっていたようだ。田岡嶺雲は、この問題に対して「小学の程度を高むる」ことを解決策としている。つまり、修業年限を短縮しつつ、その短期間により高い内容の教育をすべきということである。

今日の職業的教育家は、余りに西洋の直訳的教育学の空理に拘泥す。彼等は児童の脳力を太甚だ低く観るに過ぐ。彼等は生きたる人間の頭脳には、生きたる弾力あるを忘れ、何事をも平易に平易にと教ふることが、教育の根本主義なるが如く信じ、竟に是が為めに児童の脳力は彼等が迷信するが如く、爾く薄弱なるものに非ず。

教育者は児童の能力を過小評価しているけれども、児童の能力は高く教育の程度を上げてもついてこれるものだと言っている。私は教育の現場は知らないからこの当否はわからないが、大人から観た難易と子供にとっての難易は違っているかもしれないとは感じている。ひとたび興味を持てば、子供は驚くほどの早さでものごとを習得することがある。動機さえあれば、特に子供向けに平易に教育しようという配慮は無用なのかもしれないと思うことはある。
田岡嶺雲の次の論点は、当時よりも現在の方が共感を持つ人が多いかもしれない。

慶應義塾同志社が其組織を変じて、文部省の画一主義の干渉を受くるに至りたる後と、其然らざりし以前とを比較して、人材を出すこと孰れが多しとするぞ。札幌農学校が北海道の偏陬に処居して、一種の自治を以て立ち、未だ文部省の制を仰がざりし当時に於ける偉材の輩出を見よ。吾人は敢て極言せんとす。人材を殺す者は文部省の画一主義也と。…

日本では文部省がカリキュラムを定めているけれど、富国強兵の時代であればいざしらず、現在でも国がカリキュラムを決める必要はあるのだろうか。疑問に感じる。
経済や教育のような長い歴史を持つ分野では、現代的な問題と思われていることが、過去にも繰り返されていることが多い。歴史や過去の論説を知ることで、問題を客観的にとらえることができるようになるのだ。