生理的な共感

丸山眞男回顧談〈上〉

丸山眞男回顧談〈上〉

丸山眞男の書いた文章を読んでいると、するすると頭に入ってくる。今、丸山眞男が自分の人生を振り返った「丸山眞男回顧談」を読んでいるが、この部分を読んで、なぜ、自分が丸山眞男を理解できるような気がするのか、わかったような気がした。

……ぼくはもちろん右翼ではなかったけれども、左翼運動に対して生理的な反発を持っていた。左翼学生には、非常に厳しい教育を受けた、軍人の息子なんかが多いのです。それが高等学校に入り寮に入ると、いきなり自由になる。それで急速に左翼化するのです。こっちは中学のときから、非常に素朴なものだけどなまじっか思想的洗礼を受けているから、急激に左翼化した連中に対して、なんだあいつら、という気がするわけです。それに、ビラやなんかが汚い。今もそうかもしれないけれど。そういうことで、一高の左翼運動には、あまりいい感じをもたなかった。

この感覚、非常によくわかる。いわば「生理的に共感」してしまう。不遜ではあるけれど、丸山眞男と自分とでは根っこが似ていると思う。
以前も書いたことがあるけれど、丸山眞男の文章はきわめて論理的で、その意味でも理解しやすいと思うけれど、それ以前に「腑に落ちる」ところがあるのだろう。
丸山眞男が生理的に反感を感じる「左翼運動」的な感覚を持っている人は、丸山眞男的な感覚に対して「生理的に反発」するだろう。丸山眞男自身にとっては身に付いた感覚なのだが、客観的に観ればいかにもいやらしいスノビズムにも見える。
私も、「左翼運動」的な感覚を持っている人から「生理的に反発」されていると感じる事がある。そして、それは時には危険なことでもある。気をつけなければ。