責任追及

薬害肝炎の問題に関する報道を見ていると重苦しい気持ちになる。
薬害肝炎の被害者の人たちは気の毒だと思うけれど、だからといって、薬害C型肝炎原告団の主張が正しいとは限らないと思う。私はその正否について判断できないけれど、裁判で係争になっているところを見ると、簡単に結論が下せる問題ではないように思う。しかし、マスコミの報道を見る限り、薬害C型肝炎原告団の主張へ反論することが感情的に認めがたい雰囲気ができてしまっている。そのことが、私の気分を重苦しくさせる。
私は断片的な報道を目にしているだけだが、薬害C型肝炎原告団は、フィブリノゲン投与によってC型肝炎になった患者すべてに対して国と製薬会社が責任を認め、症状に応じて一律に救済することを求めていると理解している。そのように主張する気持ちはよくわかる。しかし、四つの疑問点がある。一番目の疑問は責任と救済の関係の問題、二番目の疑問は薬害C型肝炎を特別に扱うことの問題、三番目は原告団以外の患者の問題、四番目は医薬の本質に関わる問題である。
薬害C型肝炎原告団は、すべての患者について一律救済するとともに国と製薬会社がその責任を認めることを求めているようだ。しかし、救済と責任が一体である必要はないと思う。すべての患者について、国と製薬会社が責任があるという主張は、素人目には無理があるように思える。少なくとも、フィブリノゲンC型肝炎の原因になると認識できる以前に投与された患者については、国の責任を問うのは難しいのではないか。
仮にすべての患者について国に責任があるわけではないとすれば、どのような条件を満たせば公的な救済の対象とすべきなのだろうか。また、薬害とは正確には何を指すのか、患者に告知されていない副作用で重大な障害を生じた場合を指すのだろうか。薬害C型肝炎には、薬害一般と比較して特殊な要素があって、すべての被害者について公的に救済すべきなのか、それとも薬害の被害者は一般的に公的な救済の対象となっているのだろうか。
今回、薬害C型肝炎原告団が被害者全体を代表しているように見える。しかし、原告団以外の被害者について国と交渉してしまうと、後から交渉結果に納得しない被害者が現れた場合にはどのように対処すべきなのであろうか。
もちろん、薬害は可能な限り防ぐべきであるけれど、医療には基本的に危険性が伴う。国、製薬会社、医療関係者の責任を過剰に追求すれば、必要な医療も行えないことになりかねない。新しい医薬の承認に時間がかかるという問題があるが、未知の副作用の責任を負わなければならないとするといっそう承認が遅れることになりかねない。
私は素人で、知識も不十分だから、これらの問題には答えられないが、どうも納得できないのである。誰か疑問に答えてくれる人がいるとありがたいと思う。