ローマは一日にしてならず

美術館、展覧会に行くと、個々の作品だけではなく、コレクションの収集家についても考えることがある。このコレクターは趣味がはっきりしているな、雑然としたコレクションだな、とか、自分と好みがあうな、あわないとか。
最近、二つの展覧会を立て続けに見に行った。東京国立博物館「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」(http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=4814)と三井記念美術館「国宝雪松図と近世絵画」(http://www.mitsui-museum.jp/index2.html)である。近衛家と三井家を比べると趣味の差は歴然としていた。
三井家のコレクションは無難だった。三井記念美術館の企画展の目玉の円山応挙「雪松図」はきれいな絵だけれども、驚きがない。お金さえあれば自分でも集められそうなコレクションだった。
しかし、近衛家のコレクションには驚かされた。三井家のコレクションが集められたのと同時代を生きた近衛家21代目の当主、近衞家熙のコレクションがすばらしかった。家熙自身が書や画を良くする、という時点で、コレクションするだけの三井家の当主とは大きな差がついている。特に驚いたのは、華やかな端切れを使った掛け軸の表装である。とても思いつきそうもない端切れと画の組み合わせで、それがきれいに収まっている。三井家のコレクションは、集めているというだけで、自ら手を加えるという発想はない。
こういうものを見せられると、ハイ・カルチャーというのはお金だけではなく、年月がかかるものだとつくづく思う。