百年遅れで

文明論之概略 (岩波文庫)

文明論之概略 (岩波文庫)

福沢諭吉夏目漱石を読んでいると、なるほどその通りだと膝を打つことが多い。彼らは日本の近代化の最先端にいた人たちだけれども、私は百年遅れで、ようやく彼らと同じ位置にたどり着いたのではないかと思うことがある。
文明論之概略」に次のような一節がある。

 今の学者はこの困難なる課業に当るといえども、ここに偶然の僥倖なきにあらず。その次第をいえば、我国開港以来、世の学者は頻に洋学に向い、その研究する所、固より粗鹵狭隘なりといえども、西洋文明の一班は彷彿として窺い得たるが如し。また一方にはこの学者なるもの、二十年以前は純然たる日本の文明に浴し、ただにその事を聞見したるのみにあらず、現にその事に当てその事を行う者なれば、既往を論ずるに憶測推量の曖昧に陥ること少なくして、直に自己の経験を以てこれを西洋の文明に照らすの便利あり。この一事に就ては、彼の西洋の学者が既に体を成したる文明の内にいて他国の有様を推察する者よりも、我学者の経験を以て更に確実なりとせざるべからず。今の学者の行幸とは即ちこの実験の一事にして、然もこの実験は今の一世を過れば決して再び得べからざるものなれば、今の時は殊に大切なる好機会というべし。

前近代を身を以て経験しているからこそ西洋近代を相対化できる。福沢諭吉はその事を僥倖と呼んでいる。
まさにその通りである。渦中にいて、自覚して著作をものにしていることが驚きである。