カミングアウト

書こうか書くまいかずいぶん迷っていたけれど、これからウェブログを書き続ける上で不便なので、カミングアウトすることにした。
現在、うつ病と診断され、傷病休暇を取っている。
いつからうつ病になったのか、正確にはよくわからない。うつ病の定義によっても変わってくると思う。苦痛なほど落ち込み、倦怠感などの身体症状がある、という意味であれば、もう十数年は間歇的にうつ病だったような気がする。季節的な周期があって、12月頃から3月頃まで、寒く、仕事も忙しくなる時期には、ひどく落ち込むことがあった。
社会生活に支障が生じる、私の場合は会社の勤務が難しくなるという意味であれば、一昨年の11月、このウェブログでも書いた腰痛(id:yagian:20061126:1164538133)がきっかけだった。うつ病と腰痛を併発することはよくあるようで、私もその一例だった。立ち上がれないほど腰痛がひどくなって入院し、その後1週間くらい自宅で療養しながら仕事をしていた。この当時のウェブログを読み返してみると(id:yagian:20061126:1164538132)、腰痛になる2か月ほどもウェブログを書かない時期があったようだから、精神的にもあまりいい状態ではなかったと思う。その後、腰は徐々によくなって行ったけれど、どうにも身体が重くて会社に行けない日があるようになった。上司には腰の調子がおかしくて、といっておいたが、その割には休み方が不定期で不審に思っていただろうと思う。
1週間休み、その後も不定期に会社を休んでいたら仕事は滞る一方である。そうすると、どんどん気持ちが重くなって行く。打ち合わせのために作成する資料も時間不足でやっつけばかりになり、打ち合わせに出るのが辛くなって行く。しかし、仕事はなかなか手につかなくなり、能率はさっぱり上がらない。そうするとさらに憂鬱になって、休みの日も増えて行く。いつか調子が回復してたまった仕事を片付けられるはずだと思いながらも、その「いつか」はさっぱり来そうにない。しかし、ただでさえ忙しそうにしている同僚に、なんとなく気分がふさいで仕事が進まないので代わりにやってくださいと頼む訳には行かないと思う。
腰痛の外来で会社を抜け出して病院に来たとき、これ以上は自分では解決できないと思い、精神科の外来を受診することにした。精神科の先生に聞きたかったのは、これはうつ病なのか、怠け心なのかということだった。すぐにうつ病という診断があり、即座に3か月ぐらい長期の休暇に入ることになった。その頃には、上司も私がうつ病ではないかと考えていたのだろう、あまり驚かれなかった。
会社というのはよくできたもので、自分が休んでも、いや、休んでしまった方が、自分が抱え込んでいた仕事はうまくかたづいた。精神科の外来に行ったあと、一回だけ引き継ぎのために出社した。その時の打ち合わせのことはあまりよく覚えていないけれど、針のむしろにすわっているような気分で辛かった。あとで同僚の話を聞くと、その時の打ち合わせの自分の様子を見て、これほど状態が悪かったのかと驚いたという。うつ病で、内心は嵐のようになっていても、短時間の打ち合わせだったらあんがい上機嫌を装うことはできるし、してしまう。だから、仕事ぶりをよく見ていないとうつ病だとは気がつかないことがあるだろう。その打ち合わせのときは、おそらくいちばん調子が悪かったときで、うわべを装う余裕すらなかったのだと思う。
結局、1月から4月の末まで、3か月少々傷病休暇を取ることになった。最悪の引き継ぎの打ち合わせをなんとか乗り切った後、追いつめられた気分から逃れることができて、とりあえずほっとした。しばらくは何もやる気がでなくて文字通りごろごろ寝ている時期が続いた。銀座にある店で髪を切っていたのだけれども、予定を決めて、予約の電話を入れて、時間になったら着替えて家を出て、地下鉄に乗って銀座に行く、という行為のひとつひとつのハードルが高かった。近所で髪を切ろうかと思ったけれど、初対面の人に髪型の相談をするのもつらすぎるのでそれもできなかった。髪が伸び放題になり、病人のような風貌になっていた。
暖かくなって外に出やすくなっていくほどに、気持ちも上向きになって、身体もだるさも抜けるようになり、徐々に近所だったら外出できるようになった。メンタルなことはしかたないとしても、フィジカルは健康であろうと思い、定期的に水泳やジョギングをするようになった。最初は近所の店で、次は、銀座まで髪を切りに行くことができるようになり、さっぱりとすることができた。そろそろ会社に戻る準備をしようと思って、仕事に追われているときにはなかなか読むことができなかったプロジェクト・マネジメントや経営学関係の本を読むようになった。そして、4月には、ここ数年でいちばん元気な状態に戻ることができた。
5月から会社に復帰し、ゆっくりと、慎重に仕事を再開した。どこまでの仕事量、ストレスに耐えられるかわからないから、なるべく責任が軽い形で仕事に加わるようにした。休み中に読んだプロジェクト・マネジメントの本を参考にして、いままでとは違って計画的に、かつ、上司同僚と情報をなるべく共有するように仕事をするようになった。始めのうちは1時間以上会議が続くと集中力が途切れてしまったり、月曜日や金曜日は休んでしまったり、調子の波はあった。しかし、会社が新しい期に入る10月には、そろそろ本格的に仕事ができるような気持ちになっていた。
しかし、あせりすぎていたのだと思う。11月に入って、一気に調子が悪くなった。どうしようもなく身体が重くなることが日が続いてしまった。このまま本格的に仕事をすることはできないとあきらめ、精神科の先生と相談して、再び傷病休暇を取ることにした。今回は、また仕事を抜ける可能性があることを考えていたから、引き継ぎはスムーズにできた。その分、休みに入ることの開放感は少なかったように思う。最初に休暇に入ったときは、休みに入れたということだけで、気持ちも症状も軽くなったけれど、今回はそうも行かず、1月の後半から2月の半ばぐらいまで調子が悪く、寝込む日が続いてしまった。
自分の調子を観察していると、だいたい3段階ぐらいに分けられるように思う。いちばん調子がよいときは、仕事に趣味にとさまざまなことにハイテンションで全力投球できる。軽い全能感があり、気分は高揚していて気持ちがいい。第二段階になると、全能感はなくなり、自分の仕事の結果に満足感を持てなくなる。仕事など生産的な活動からは逃避したくなり、活字中毒症状が亢進する。仕事などに直接関わりのない本を大量に読み、ウェブログも大量に書く。最近だと1月はこの段階だった。そして、さらに調子が悪くなると、倦怠感が強くなり、集中力がなくなる。本を読んでいても、活字を機械的に目が追っているだけで、内容を理解できない。このため、本を投げ出して、目をつぶってぼうっと過ごしてしまう。もちろん、ウェブログを書く気はわかない。今月はだいたいこんな感じだった。
本を読む集中力もなく、起き上がる気力もなく、倦怠感に負けてただただ寝ている状態になってしまった時、最初はショックだった。自分が文字通りの無能力状態になってしまい、おおげさに言えば、これからどうやって生きて行けばいいのだろうか、ずっとこのままになってしまうのだろうかと考え込んだ。しばらくすると、調子に波があっていつもいつも無能力状態でもないことがわかってくると、そういう無能力な自分にも慣れてくる。そうすると、飽きてくる。ぼんやりとテレビを見ていたりする。しかし、特に昼間のテレビはつまらなくてしかたがない。ほかになにもすることができない。そんなときに考えごとをしても、マイナスなことしか考えられないから、なるべく何も考えないようにしているから、ただただ退屈である。
そんなふうに2月を過ごしていて、ようやく本を読んだり、ウェブログを書いたりできるような気分になってきた。今は、会社に通わず、雑司が谷界隈でひっそりと生活している。しばらく、そんな生活の身辺雑記について書いていこうと思う。