必ず鄰あり

「せっかく」というべきか、なかなかとることができない長期休暇中を有効活用して、普段はなかなか読めないような古典を読もうと思い立った。ほんとうは、「有効活用」などということは考えず、ただのんびりした方がよいのかもしれないが、ついつい読書リストなどを作って、読み終わった本にチェックを入れてしまう。もっとも、集中力が持続しなくて、なかなか読み進めることができないが、これは仕方がない。
これまで読んだ古典のなかで、気に入ったのは、自分でも意外だったけれど「論語」だった。「論語」は、孔子とその弟子たちの言行録であることは知識として持っていた。実際に読んでみると、想像以上に孔子や弟子たちの言行から彼らの個性が伝わってきて親しみを感じる。哲学書として書かれたものではなく、日常の断片的な言行を集めたものだけに、読者が想像力を働かせる余地が大きく、それも読書の楽しみを増しているように思う。
気に入った、というより、今の自分の気持ちに引っかかった節をいくつか引用したい。

子曰、徳不孤、必有鄰、
子の曰わく、徳は孤ならず。必ず鄰あり。
先生がいわれた、「道徳のある者は孤立しない。きっと親しいなかまができる。」(理仁25)

生前の孔子は、不遇の時代が長かった。政治家として成功するという希望はかなえられなかったし、晩年になってようやくある程度の数の弟子を得て教団を作ることができた。論語に残されている孔子の言葉を読むと、不遇な自分を勇気づけるような言葉がある。孔子は自分の目指す道を進みながらも、なかなか受け入れられずしばしば孤独感を感じていたのだろう。そんなときに、数は少なかったけれども、必ず理解者がいた。そんな理解者に勇気づけられて、信念を曲げずにいたのだと思う。
病気で長期休暇をしていると、どうしても世の中から取り残されたような気分になってしまう。私自身は徳を積むためや信念のために会社を休んでいるわけではないけれど、どこかで誰かが今の自分の境遇を理解して、共感していてくれる人がいると信じているし、そう考えないと前向きになれない。

……子曰、老者安之、朋友信之、少者懐之、
……子の曰わく、老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん。
……先生はいわれた、「老人には安心されるように、友達には信ぜられるように、若ものにはしわわれるようになることだ。」(公冶長26)

弟子に自分の志望を尋ねられた孔子はこのよう答えている。平凡で日常的な願いだけれども、自分が病気になって周囲にもっぱら心配をかけてしまっている自分には、非常に遠く難しいことであり、それだけに少しでもこのようになりたいと思ってしまう。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)