ソ連と老子

今月の文藝春秋(平成二十年四月号)に「「見えない貧困」がこの国を蝕む」と題して佐藤優桐野夏生が対談していた。そのなかで、かつてのソ連の実態について次のように語られている。

桐野 崩壊前のソ連というのは、やはり悲惨な状況だったんですか。
佐藤 いや、それがすごく居心地がいいんですよ。腐ってはいるものの、腐りかけの果実のような甘い匂い。だって、働くなくてもいいんですから。コカ・コーラマクドナルド、あるいはソニーのカラーテレビなどに象徴される資本主義の果実はないけれど、飢えや寒さから解放され、ウオトカにも不自由しないソ連型「豊かな社会」は明らかに到来していました。もっともこのソ連型「豊かな社会」は、ソ連共産党の支配体制を維持するために国民にアメを与え続ける、一種の愚民化政策だったわけですが。

ここを読んで、老子の次の一節を連想した。

不尚賢、使民不爭。不貴難得之貨、使民不爲盗。不見可欲、使民心不亂。是以聖人治、虚其心、實其腹、弱其志、強其骨。常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。爲無爲、則無不治。
賢を尚ばざれば、民をして争わざらしむ。得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗をなさざらしむ。欲すべきを見さざれば、民の心をして乱れざらしむ。ここをもって聖人の治は、その心を虚しくし、その腹を実たし、その志を弱くし、その骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、かの知者をしてあえてなさざらしむ。無為をなせば、すなわち治まらざるなし。 (安民 第三)

これは、老子が主張している愚民化政策を代表している章である。人民は、その腹を満たし、それ以上の志や欲を持たず、知識を与えない状態を維持すれば、治まるというわけである。飢えや寒さから解放され、ウオトカに不自由させない、しかし、それ以上の欲は持たないようにさせるというソ連は、まさしくこの老子の主張を実現していたといえるだろう。
資本主義は、人民の欲をかきたてることで膨張し続けるシステムだから、老子ソ連型「豊かな社会」とは真っ向から対立する。とめどもない資本主義社会に疲れてうつ病になったといえなくもないけれど、だからといって老子ソ連のような社会に生きたいわけではない。

老子 (講談社学術文庫)

老子 (講談社学術文庫)