帰納と演繹

しばらく前のエントリー(id:yagian:20080429)で、経営学文化人類学の類似性について書いた。そんな風な考えに至ったのは、ヘンリー・ミンツバーグが人類学的な発想をする経営学者で、ちょうど彼の本を読んでいた時だったかもしれない。
彼は「MBAが会社を滅ぼす」(p505)で次のように書いている。

学問的な用語を使えば、ここで私たちが論じているのは、帰納的研究と演繹的研究の対立だ。帰納的研究は、まず最初に調査ありき。そこから、アイデアなり、概念なり、仮説なりを引き出す。このためには、探求(体系的探求の場合もあれば、そうでない場合もある)をおこなって、創造的精神を刺激するような充実した記述を生み出す必要がある。このプロセスは複製できない。帰納的方法により得られる知見は、個人の脳の産物だからだ。その点では、新製品のデザインや小説の執筆と似ている。それに比べて演繹的研究は、このような知見を検証し、それを説明することを目指す。このプロセスは複製可能だ。

ミンツバーグは、演繹的研究に批判的であり、帰納的研究の重要性を主張している。民俗誌を記述するという文化人類学はまさに帰納的研究であり、ミンツバーグはおそらく文化人類学には好意的なのだろうと思う。
しかし、帰納的研究が創造的で、演繹的研究が複製可能とするミンツバーグの見解には同意できない。創造性の有無は、帰納的研究、演繹的研究の区分には無関係だ。マイケル・ポーターの研究を読めば、演繹的研究だが創造性にあふれていることは否定できないだろう。そして、豊かな知見を導き出すことなく終わる創造性に乏しい帰納的研究が大量に存在することは、つまらない民俗誌や経営学ケーススタディを読めば明らかである。
ミンツバーグは、経営学の領域で、創造性が乏しい演繹的研究が大量生産され、横行している現状に不満を持ち、演繹的研究の重要性を主張しようとして、やや勇み足を踏んでしまったように思う。

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