読書メモ:小林恭二「新釈四谷怪談」

本屋で平積みになっている小林恭二の「新釈四谷怪談」に目が止まり、手に取った。彼が河竹黙阿弥の「三人吉三」について解説をした「悪への招待状」がおもしろかったからである。
結論から言えば、このウェブログに引用するような文章は見当たらなかった。本書の最終章で、小林自身が「本書を執筆するにあたって、ひじょうに意識させられた本が何冊かありましたが、中でも広末保氏の『四谷怪談ー悪意と笑いー』(岩波新書)は格別な存在でした。」と書いているが、私もそう思う。「新釈四谷怪談」を読んで、広末氏の「四谷怪談ー悪意と笑いー」を読み返したいと思ったが、「新釈四谷怪談」自体を再読したいとは思わない。
と、ここまで書いて、理由をあげずにけなすのもフェアではないと思った。そこで、この本が食い足りなかったところをもう少し具体的に書いてみたいと思う。
小林恭二は、退廃、爛熟していた文化文政時代を背景として四谷怪談のような芝居が生み出されたという説を否定する。そうではなく、

「爛熟・退廃した」化政時代とは、実は個の確立という面で日本における最大のルネサンス期でした。彼らは本家イタリアの都市国家の住民や、元禄時代の大坂市民のようにリッチでゴージャスでこそありませんでしたが、意識的にははるかに近代市民でした。……
 江戸の観客が、南北の生み出した従来の権威をことごとく踏みにじってゆくスーパーヒーローに拍手したのは、日常の鬱憤を晴らすための悪ノリではなく、従来的な権威に盲従しないという覚悟によるものだとわたしは考えます。(もちろん、明確にそのように意識していたわけではないでしょうが)名作、傑作と呼ばれる藝術が生まれるためには、それに相応する社会の成熟が必要だといわれますが、化政時代の人々もまた四谷怪談を受け入れ、喝采を送るだけの成熟を遂げていたのです。(pp162-163)

という。
江戸時代に日本の近代化の準備がどれだけなされていたのかについては、ずっと興味を持っている。その意味では、化政期において広く「個の確立」がなされていたかどうか、ということについては関心がある。本書はあくまでも四谷怪談についての本であって、江戸時代の文化を論じたものではないので、江戸の「近代市民」という問題についてこれ以上詳しく書かれていないところがあきたらない感じがする。

化政期の場合、むしろもっと下層の一般庶民が江戸市民としての自覚を覚醒させたところに特色があります。(p119)

と書かれているところからみると、「一般庶民」が「近代市民」として「個の確立」を達成したということのようだ。しかし、江戸時代における「一般庶民」とは、どのような人々のことなのだろうか。下層の武家か、町人、農民なのか。そして、歌舞伎の観客とその「一般庶民」が一致していたのだろうか。

 当時、江戸には講釈や落語を語る寄席が百二十余軒ありました。市民の話題は芝居から寄席へとシフトされていました。化政期に歌舞伎は大きく改革されますが、これはある意味で生き残るためにいたしかたなかったという面があります。大袈裟にいえば歌舞伎は時代遅れの芸能になりかかっていたのです。(p25)

化政期の文化は下層の一般庶民に支えられていた。彼らにふさわしい芸能は、安く楽しめる寄席であって、歌舞伎ではなくなっていた。だとすれば、「近代市民」として成熟した芸能が行われる場としては、寄席こそがふさわしいということになるのではないだろういか。
四谷怪談が化政期の「近代市民」となった江戸市民に支えられているとする観客論を展開するには、この時代の歌舞伎の観客は、また、四谷怪談を支持した観客はどのような人々であったのかを具体的に示す必要があると思う。
私個人として、こういった点に興味があるからこそ、もう少しつっこんで書いてもらいたかったという感じが残ったのである。

新釈四谷怪談  (集英社新書)

新釈四谷怪談 (集英社新書)

四谷怪談―悪意と笑い (1984年) (岩波新書)

四谷怪談―悪意と笑い (1984年) (岩波新書)