眼明らかなれば

毎日ウェブログを書いていたときは、日常生活のちょっと空いた時間で頭の中で文章を練っていたから、キーボードに向かうときには書くことは大体できあがっていて、それを書き写せばよかった。しかし、最近はすっかりウェブログを書く習慣がなくなって、頭の中で文章を練ることがなくなり、キーボードに向かってもなかなか文章がでてこない。今日はここまで書くのにもずいぶん時間がかかってしまった。とりあえず、日常の過ごしたことをそのまま書いてみようと思う。
昨日は、巣鴨の東京スイミングセンターに併設されている温泉施設東京染井温泉Sakuraに行ってきた。東池袋まで歩き、そこから都電で庚申塚まで乗る。昨日は四日だった。四のつく日は巣鴨の地蔵通りに露店がでる日なので、都電からおばあさんでいっぱいだった。地蔵通りもおばあさんであふれている。地蔵通りから染井墓地を通り抜け、Sakuraに着いた。
連れ合いと1時間後の待ち合わせの約束で、それぞれ男湯と女湯に入る。いつものように、1時間も入っていられず、30分ぐらいで湯からあがって、ロビーで本を読んで連れ合いを待つ。読んでいたは、宮坂宥勝空海」である。そのなかに、心に残る一節があった。

 心暗きときはすなわち遇うところことごとく禍なり。眼明らかなれば途に触れて皆宝なり。(『性霊集』)
……
 いまだ真実の自覚が開けず心の暗いときは、世界はそのまま暗黒である。だから、そこでは一つとして禍ではないものはない。だが、ひとたび心の眼が開けたならば、どうか。すばらしいかな。路傍にころがる石さえも宝石なのである。そこには無限の価値の世界が展開している。

まだまだ自分の心は暗く、世界がまるで暗黒のように思える。しかし、ふと、霧が晴れたように、頭がすっきりして、世界がきらきらと明るく感じられる一瞬もある。そんな一瞬が少しでも長く続くようになると信じていようと思う。
本を読んでいると、連れ合いが湯からあがってきた。Sakuraからの帰りには、いつも地蔵通りにある定食屋のときわ食堂で昼食を食べるのだけれども、4の日の昨日は店の前に行列ができていたのであきらめた。地蔵通りから外れた定食屋に入って焼き魚定食を頼んだ。おやじさんが一人でのんびりと料理を作っている店で、時間がかかったけれど、おいしかった。
庚申塚から都電に乗って東池袋に戻り、サンシャインシティに寄って買い物をした。ヴィノスやまざきで、日曜日に飲む白ワインを仕入れた。たっぷり歩いたから、家に帰った後はゆっくり昼寝をした。
今日の昼食は、連れ合いの実家の家族とサンシャイン60のオザミ59にランチを食べに行く。この週末は連日サンシャイン60に通っている。やや曇っているけれど、59階は見晴らしがいい。城北地区を上から眺めながら昼からワインをいただく。
今日は昼寝をせず、ウェブログを書くためにPCに向かい、とりあえず昨日のことから書き始める。昨日のことを書き終えたところで、夕食のチーズリゾットを作り始める。昼食からワインを飲んだけれど、昨日買った白ワインを開ける。今晩はぐっすりと寝られるといいな。

空海―生涯と思想 (ちくま学芸文庫)

空海―生涯と思想 (ちくま学芸文庫)