東京のおばあさん

先日、つれあいに連れられて京都一乗寺恵文社に行って、中条省平クリント・イーストウッド」を衝動買いしてしまったことを書いた(id:yagian:20090710)。
これ以外にも衝動買いしてしまった本がある。円地文子「江戸文学問わず語り」である。これまで円地文子にはまったく縁がなかったけれど、題名に惹かれて買ってしまった。
読んでみたら、大正解だった。冒頭の近くにこんな一節があった。

 私は東京生まれで、東京にずっと住みついているので、土地勘としての故郷は存在しないというのが実感です。「ふるさとは遠きにありて思うもの」で、生まれた土地を生涯離れないで生きて来ると、故郷の概念はもてませんし、旅に出た帰りなど列車が東京に近づくと、なつかしさに心が弾むどころか、新たに荷でも背負わされたような何とも重たい気分に誘い込まれます。つまり東京という巨大な都市のなかに、私の生涯の喜怒哀楽のすべてを渦巻きこんだどろどろしたものが淀んでいて、いつもそこに住んで居なければならないと思うほど、そこから逃げ出したい息苦しさを感じるのです。

樋口一葉夏目漱石谷崎潤一郎永井荷風芥川龍之介と東京生まれの作家にはなんとも言えない共感を覚える。また、そんな東京生まれの作家の一人とめぐり会うことができた。
年譜を見ると、生まれは浅草だが、育ちは下谷区谷中清水町、その後、小石川区駕籠町、小石川区表町、中野区江古田と転居し、文京区関口の目白台アパートを仕事場にしていたという。いずれも私もよく知っている土地ばかりである。東京のおばあさんには一種独特の雰囲気があるが、円地文子にも、その東京のおばあさんの香りを感じる。
円地文子は、旅行から帰るとき「何とも重たい気分に誘い込まれます」と書いているが、私の場合、帰るときに重い気分になるというよりは、旅行に出発するときになんとも言えずすがすがしい軽い気分になる。特に、海外に行くときは特に気持ちが軽くなる。旅行が好きなのは、いつも生活をしている東京のどこかに息苦しさを感じていて、そこから逃げ出せるからかもしれない。

クリント・イーストウッド―アメリカ映画史を再生する男 (ちくま文庫)

クリント・イーストウッド―アメリカ映画史を再生する男 (ちくま文庫)