本居宣長の近代性(3)

子安宣邦本居宣長」を読み終わった。
子安宣邦によると、現代においては、ユダヤ教キリスト教イスラム教などの一神教に対し、神道多神教としての性格が強調されるという。

 神道における「多神」を語る現代の神道学者の言説をたどっていくと、それがきわめて強い文明論的な対抗の言説であることに気づく。現代の神道神学の体系的構想者上田賢治氏はあ一神教的信仰の立場を西洋的思考を規定する真理観に比定しながら、「一神教の信仰は、ある一つの事柄に関する理解について、真理或は真実は一つしかないといふ考へ方の範疇を示している」といっている。…この発言は、「一神」を非として「多神」を説く氏の立場が、第二次世界大戦後の世界を支配するヨーロッパの文明論的歴史意識へのリアクションを動機としたものであることを語っている。(pp216-217)

一神教の文明圏の人たちには、多神教に比べ一神教の方が文明的であるという考えがある。これに対抗して、自然を支配しようとする一神教の文明は環境破壊的であり、これに対して自然に神を見いだす多神教の文明は環境共生的である、とか、一神教の文明は好戦的だが、多神教の文明は調和を重んじるなど、一神教に対して多神教が優越しているとの主張を見かけることがある。
しかし、皮肉なことに、本居宣長の「カミ」の解釈は、天照大神を中心とした一神教的な性格を持っているという。「古事記」は、天武朝の起源と正統性を主張するために書かれたものであるから、天武天皇に結びつく系統を、他の系統と区別して神聖化する。このため、天皇の祖である天照大神を中心として神々が体系化されている。本居宣長神道は、「古事記」に忠実であろうとしているから、天照大神を中心とした一神教的な性格を帯びることになる。
もちろん、本居宣長は、ユダヤ教キリスト教イスラム教などの一神教を意識して、天照大神を中心とした神道を構想したわけではない。しかし、結果的に、本居宣長神道一神教は親和性を持つことになった。
本居宣長の後継者の平田篤胤は、自らの神道を構築するにあたってキリスト教の影響を受けた。キリスト教神道が矛盾しなかった理由には、本居宣長神道一神教的な性格を持っていることがあるのだろう。さらに、近代に入り、日本のナショナリズムを形成するために国家神道が形成されるが、これも本居宣長神道観の影響を受けている。

 …天照大神を中心的な神とすることに決着する。ここから皇祖神天照大神を中心として神々と神社を序列化した国家神道の体系が成立してくる。…宣長の『古事記』から語り出す言葉が高く評価されるのも、それが近代日本の皇国的同一性(アイデンティティ)の形成に早く応えるものであったからである。「神道一神教化」とは近代国家としての日本の要請である。(p211)

本居宣長は、直接的に西洋近代の影響を受けて、自身の思想を形成したわけではない。しかし、彼の思想は、西洋近代と親和性が高かった。このため、幕末から明治にかけて日本の近代化が進む中で、高く評価され、影響を与えることになったのだと思う。この意味で、本居宣長は、日本の近代化の出発点の一つといえるだろう。

本居宣長 (岩波現代文庫)

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古事記 (岩波文庫)

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