バリ旅行:三日目バリの文化に触れる

間が空いてしまいましたが、「バリ旅行:旅の準備」(id:yagian:20100813:1281688165)、「バリ旅行:一日目東京からウブドへ」(id:yagian:20100814:1281737193) 「バリ旅行:二日目ウブドを歩く」(id:yagian:20100815:1281874220)の続きです。

ガイドツアーに参加する

二日目の午後はウブドの町を歩いてみたけれど、今日はウブドの周辺をまわってみようと思った。
といっても、ウブドの周辺は公共交通機関が充実していない。ベモという地元の人が使う乗り合いバスがあるが、実際にその場所に行ってみないとどんな路線を走っているかわからない。今回のように時間が限られている旅行では、効率が悪くて選択肢から外れる。
若いときだったらバイクを借りて二人乗りをして移動していたかもしれない。そうしている若いヨーロッパ系の観光客も見かけた。しかし、安全のことを考えると、もうそんな冒険をする気にはならない(以前、バリらしき土地を旅行している壮年の夫婦が若い時代を思い出して二人でバイクに乗るというVISAカードのコマーシャルがあった。しかし、バリの交通事情を考えると普段からバイクに乗っている人ではないと、かなり危険だと思う)。
ウブドには、メーターがついている正規のタクシーは基本的に走っていない。町にいる白タクのドライバーと交渉して自動車を借り上げることもできる。しかし、どの遺跡や寺院が見る価値があるのかがよくわからない。
そこで、今回は、ホテルが提供しているガイドツアーに参加することにした。Alila Ubudでは、文化関係のアクティビティに力を入れているとのことで、いろいろなガイドツアーが用意されている。The Ancient Megalith(古代の巨石)という午前中いっぱいのツアーに申し込んだ。
パンフレットには、2名以上の参加がないとツアーは実施しないという注意書きが書いてあったから、4〜6名ぐらいのこじんまりとしたツアーになるかなと思っていたら、参加者は私とつれあいの二人で、ガイド自身がドライバーを兼ねており、三人でウブドの周辺をまわることになった。

ゴア・ガジャ(象の洞窟)

ガイドさんは饒舌な人で(ガイドだから当たり前だけれども)、最初に向かった遺跡、ゴア・ガジャに行く途中、ずっと身の上話やバリの文化や宗教の話をしてくれた。ウブドの近くに住み、観光代理店の仕事をしていたという。同じ会社の同僚と結婚をしたのをきっかけとして転職をし、Alila Ubudで働くようになったという。
ゴア・ガジャは11世紀に作られたというヒンドゥの寺院の遺跡である。短パンをはいていたからそのままの格好では寺院に入ることができず、入口でサロンを借りて腰に巻く。バリでは、上半身が清浄を、下半身が汚れを象徴しているという。だから、神聖な場に入るためには、下半身をサロンで隠す必要がある。
入口が神々の彫刻で装飾された洞窟の中に入るとT字型になっており、左側の奥にガネーシャ像が、右側の奥にシヴァ、ヴィヌス、ブラフマンを象徴する三つのリンガが並んでいる。ガイドは、入口にある彫刻のなかに、子供を食べる女という伝説があるハーリーティーの像があることを教えてくれた。それは、日本にも伝わっていてキシボジンと呼ばれていると答えた。雑司が谷の守り神は鬼子母神だから、インドからそれぞれはるかバリのウブドと日本の雑司が谷に同じ神が伝えられて、それぞれに信仰されていることで、ウブドへの親しみが少し湧いてきた。

ゴア・ガジャには、仏教の遺跡が、地震で崩壊してしまったという。崩れた岩が転がっているところを見た。仏像らしき浮き彫りが彫られていた。
ガイドさんの話によると、ゴア・ガジャが作られた時期にヒンドゥと仏教と地域にもともとあった信仰の三者が対立していたが、その三者が和解するための会合があったという。今でも少数だけれどもバリには仏教徒もいるという。また、街角にも、ヒンドゥの神の一人として仏像が安置され、供え物がささげられていたりする。

クボ・イオの足跡の寺院

次に、ペジェン村にあるプンウクル・ウクラン寺院を訪れた。寺院に入る前に、また、サロンを腰に巻く。そして、つれあいは生理中でないか聞かれた。生理中の女性は不浄ということで寺院の中に入ることができないという。
寺院は、奥に向かって何重かに敷地が区切られている。最初の区画は、悪霊を鎮めるために闘鶏をする場がある。闘鶏に負けた鶏から流された血によって悪霊を鎮める。
ちょうど捧げ物を持ってきた村の女性がやってきて、その人に次の区画に入れてもらう。ヒンドゥのさまざまな神の彫像が置かれており、その前に捧げ物が置かれている。そして、人気がなくひっそりとしている。
ガイドさんにヒンドゥの寺院には僧侶がいるのかと尋ねると、寺院に住んでいる人はおらず、地域の人々が管理しているという。寺院は、ひっそりとしており、それが神秘的な雰囲気を強めている。
ガイドさんによると、ヒンドゥにはさまざまな神がいるけれども、実体はひとつなのだという。例えば、自分はあるときはガイドであり、あるときは夫であり、あるときは息子であるが、自分は一人の人間である。同じように、ヒンドゥでは、神を拝むためにさまざまな姿で表すけれど、神はひとつなのだという。
つれあいが読んでいたクリフォード・ギアツ「文化の解釈学」によると、バリでのヒンドゥは熱心に信仰され、さまざまな儀礼を行っているが、あまり教義には関心をもたれていないという。つまり、心の中の問題よりも、実践が重視されているという。しかし、バリに高等教育を受けた若いインテリは、自分たちの信仰の意義について反省的に考えるようになり、ヒンドゥの教義への関心が高まるようになってきたという。おそらく、このガイドさんはそのようなインテリの一人なのだろう、ヒンドゥの信仰についてロジカルに説明をしてくれた。
寺院の裏に崖があり、急な階段を恐る恐る下りていくと、水が湧き出しているところがある。そこは、クボ・イオという伝説的な巨人が瞑想をした場所だという。ゴア・ガジャにも体を清める聖なる水がでる水浴場があったけれど、バリでは聖なる場所と水は深い関係があるようだ。伝説では、ゴア・カジャもこのクボ・イオが作ったということになっている。クボ・イオの伝説についてもいろいろと説明をしてもらったけれど、それを書いていると長くなるので省略する。
階段にクボ・イオの足跡といわれるくぼみが残されていたらしいけれど、残念ながら土砂崩れで覆われていて見ることができなかった。

グヌン・カウィ(王たちの霊廟)

次に、グヌン・カウィという王たちの霊廟に行った。
ここはバリ島では最古の遺跡ということで、観光地になっている。駐車場から遺跡までの道の両側にはお土産屋がならんでいる。昼になってきて、暑くなり、大量の汗が流れ、消耗してきた。その上、ゴア・ガジャも、クボ・イオの瞑想の場も、グヌン・カウィも谷の下にあり、急な坂を上り下りしなければならない。ガイドさんがしゃべるインドネシア訛りの早口の英語を聞き取る集中力がなくなってきた。
グヌン・カウィまで降りる谷の斜面は棚田になっている。今の時期の水田は、田植えを終えてしばらく経ったぐらいのように見える。田植えから3か月で収穫できるという。1か月を水田を休ませて、年に3回収穫するという。あぜ道には闘鶏用の鶏とひよこの親子がのんびりと歩いている。
グヌン・カウィは、崖に彫りこんだ巨大な霊廟が並んでいる。王家の兄弟、后の霊廟が並び、川の対岸にある崖には妾たちの霊廟が並んでいる。この時のことは、暑くてあまりよく覚えていない。
(続く)

文化の解釈学〈1〉 (岩波現代選書)

文化の解釈学〈1〉 (岩波現代選書)