バリ旅行:三日目バリの文化に触れる(承前)

「バリ旅行:旅の準備」(id:yagian:20100813:1281688165)、「バリ旅行:一日目東京からウブドへ」(id:yagian:20100814:1281737193) 「バリ旅行:二日目ウブドを歩く」(id:yagian:20100815:1281874220) 「バリ旅行:三日目バリの文化に触れる(id:yagian:20100815:1282479801)」の続きです。

無農薬の観光コーヒー園

グヌン・カウィを出たときにはもう12時を回っていたけれど、コピ・ルアクを作っている観光コーヒー園に行った。コピ・ルアクとは、じゃこうねこにコーヒー豆を食べさせて糞として出された豆を洗って炒ったものである(ガイドさんは、マングースと言っていた)。特殊な芳香がつく高級品である。
入口の近くに、じゃこうねこ(マングース?)が入った檻があり、その下にコーヒー豆が転がっていた。これが、コピ・ルアクらしい。

コーヒー園の中に入っていくと、林のようになっていて、さまざまな果樹や香料の木が植わっている。日差しがさえぎられて涼しく、ガイドさんもわれわれも元気が回復してきた。
いつの間にか、ガイドさんが果樹の特徴を説明して、私がそれを当てるクイズタイムになっていた。クイズを当てるとガイドさんが私の肩をたたいて大喜びしてくれるので、なんだか真剣に考えて答えていると、いつの間にかつれあいがちょっと離れてじゃこうねこの写真を撮っていた。つれあいによると、二人があんまり夢中になってクイズをしていたから、と言っていた。ガイドさんはサービス精神でクイズを出してくれて、私はほかに人がいないから逃げ場がなくて一生懸命になっていた。少人数だとガイドさんだけではなくて、観光客の方も大変だ。
クイズタイムが終わると、このコーヒー園で作っているコーヒーとお茶の試飲になった。ほかのお茶は無料だったけれど、コピ・ルアクだけは、小さなカップ一杯の試飲で50,000ルピア(500円)だった。バリの物価を考えると非常に高価なので驚いた。普通のコーヒーと味と香りの違いがわからなかった。
ガイドさんにマージンが入るのだろうと思った。ガイドさんには、これまでずいぶんがんばってもらったから、おみやげを買うことにした。けれど、すっかりバリの物価に感覚がなれてしまったから、コピ・ルアクは高価すぎて変えなかった。

テガラランのライステラス

コーヒー園で元気を取り戻し、そろそろお腹もすいてきたので、ホテルに戻ることにした。その途中で、テガララン村のライステラスに寄った。
バリ、特に、ウブドの周辺の道路は狭く、舗装状況もあまりよくない。そこに、二人乗りや大きな荷物を持ったバイクが走っている。インフラの整備はまだまだ遅れている。
山の中の狭い道を走っていると、突然、道の端に自動車が並んで駐車しているところがあった。右側を見ると、谷になっており、見事な棚田が広がっていた。見晴らしのいいところにカフェもあり、ちょっとした観光地になっていた。

見事とはいえ、日本でも探せば見ることができる棚田である。水田がエキゾチックな西洋人が観光するのはわかるけれど、自分が水田景観を観光しているのは不思議な気持ちもした。

ホテルに帰還

もともとの予定では、9時スタートで4時間の予定のツアーだったが、ホテルに着いたときには3時前になっていた。ガイドさんはそれまで汗をいっぱいかきながら、しゃべりづめで解説してくれた。疲れながらも、お互い充実感を感じていた(と思う)。もう、今日の予定はこれで十分だから、あとはプールサイドでのんびり過ごすことにした。
プールサイドのバーで遅めの昼食を食べていると、地元の中学生の女の子がバリ舞踊を披露していた。インド風のセクシーな舞踊を小さな女の子が踊っているのは、ちょっと不思議な色気がある。西洋人のボーイズたちが、その女の子の踊りをじっと見ていた。
プールサイドで夕方まで寝ながら「悲しき熱帯」を読み、部屋に帰って遅めの昼寝をした。

流れ星と蛍

目が覚めたらすっかり暗くなっていた。観光の疲れでだるく、外に出るのがちょっと億劫だったけれど、ぐっとビールを飲むのもおいしそうだったから、ダイニングまで行くことにした。
外に出ると、星がきれいだった。気がつくと、流れ星がすうっと流れていった。流れ星はあっというまに消えてしまうので、願い事をする暇はなかった。
また流れ星がながれないかと空を見ていると、青白い光がゆらゆらと飛んでいた。蛍だった。谷の下に流れている川がきれいなのだと思う。
自然を堪能したあとに、ダイニングでバリ料理をつまみにビールを飲んだ。日本にいると、いつもなんとなく緊張しているのだと思う。心のそこからリラックスする瞬間がない。海外でのこういった瞬間には、心底ほっとする。
日本で暮らしていくためにも、たまに海外に行って心をゆるめないと気持ちを保つことができない。