世の無常

島崎藤村「夜明け前」を読み終わった。
改めて書く必要はないかもしれないけれど、「夜明け前」は幕末から明治のはじめにかけて生きた島崎藤村の父親、島崎正樹をモデルとした歴史小説だ。
話は黒船来航から始まる。木曽街道の宿場町、馬籠の本陣の息子として生まれた青山半蔵は、平田派の国学に心を寄せた青年である。幕末から明治維新の時代の変動に翻弄されながら、国学の導きに基づき、王政復古と民々のために奔走する。しかし、明治になり、半蔵の理想は次々と裏切られ、彼の家も没落してしまう。傷心の半蔵は、発狂し、座敷牢に押し込められ、その中で死んでしまう。
青山家と縁が深い馬籠の万福寺の松雲和尚は、半蔵の死について次のような感想を述べる。

「しかし、お二人の前ですが、今度という今度はつくづくわたしも世の無常を思い知りました。」
(第二部下巻p337)

私も同じように思った。青山半蔵の生涯には救いがない。
「夜明け前」を読み終わった後、村上春樹「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を読み始めた。最初のインタビューに、たまたま私が「夜明け前」を読んだ理由と重なる話が書いてあった。

 今春、地下鉄サリン事件を題材にした本(『アンダーグラウンド』)を出しました。…「普通の人々」が通勤途中、出し抜けに致死的なガス攻撃を受けたわけです。よくわけのわからない理由で。本当に意味のない残虐なことです。そして僕は知りたかったんです。そのような人々の身に現実に何が起こったのかということを。そしてまた、彼らがどのような人々であったのかということを僕は知りたかった。
(p16)

私は、幕末から明治維新にかけて生きた「普通の人々」のことを知りたかった。その一つのケースとして、「夜明け前」を読んでみた。青山半蔵、島崎正樹にとっては、明治維新は過酷なものだった。
また、「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」に、サリン信者について書かれていることが、青山半蔵に共通しているところがあると思った。

…一般信者に対しては気の毒に感じるところが少なからずあります。その大半は若く、二十代です。真剣にものを考え、理想主義的なところがあります。世界や価値観についてとても真面目に考えている。…カルトに走る若い人々にも、かつての我々と同じように、理想をまっすぐ追い求めるところがあります。そして彼らは今の時代の体制に馴染むことができない。彼らの理想主義的な側面を受け入れてくれるシステムがどこにも存在しない。
(p19)

青山半蔵も平田派の国学が指し示す理想を実現しようとする。明治維新直後の時期には、それが実現するかと思われた時期が一瞬だけあった。しかし、その理想は裏切られてしまい、明治の世の中には彼を受けいれる場所はなくなり、最後は狂気というところまで追いつめられてしまう。
自分も、人生の折り返し点に来て、自分の理想とその限界が見えるようになってきた。そして、これから立ち向かわなければならない激動の時代をうまく乗り切っていける自信がない。若い頃であれば青山半蔵の話も他人事と感じられたのだろうけれど、今は人ごととは思えなくなっている。孫正義坂本龍馬に共感しているようだけれども、私は青山半蔵の方が気にかかる。

夜明け前 全4冊 (岩波文庫)

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夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

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アンダーグラウンド (講談社文庫)

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