前進し続けること

村上春樹「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009」を読み終えた。
私は、あまり現代小説を読まないから、同時代の人として読んでいる小説家はあまりいない。村上春樹小川洋子ぐらいである。その中で、村上春樹は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の頃から新刊が出るたびに読んできたから、これだけ長くつきあってきた作家は彼だけである。その頃から「1Q84」まで、村上春樹はずいぶん長い道のりを歩んできたものだと思う。
しかし、村上春樹はインタビューに次のように答えている。

村上 いつも僕が考えるのは、ドストエフスキーが五十歳を過ぎてから『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』を書いたことです。『カラマーゾフの兄弟』がたしか五十九歳ですね。そこで亡くなっている。ほとんど六十に近くなって、これまで自分が書いてきた作品のいずれよりも質量ともに大きな小説を書く人って、なかなかいませんよね。
― いや、まずあり得ない感じですよね。
村上 たいがいの作家ってね、五十を過ぎると成熟のポイントを迎えて、あとはだんだん枯れてくるんです。少数の例外を別として、圧倒的なパワーを失っていく。でも僕はできることならそうなりたくない、ドストエフスキーみたいに五十を過ぎてから、あるいはさらに六十を過ぎてから、ますます大きな意欲的なものを書いて成長していきたいという気持ちが強いですね。
 僕が愛読して訳してもきたアメリカの作家たち、たとえばフィッツジェラルドにしても、カポーティにしても、チャンドラーにしても、なぜかみんな歳をとっていくにつれ、書かなくなっていった。あるいはかつての輝きや力を失っていった。サリンジャーだって閉じこもったきり、全然書かなくなってしまいましたよね。あれほど才能を持った人たちが、老境を迎える前に思うように現実に書けなくなってしまうというのは、本当に惜しいことだし、切ないことだと思うんです。反面教師といったらそれまでだけど、僕はどこまでやれるか挑戦してみたいです。
(p499)

すごい意欲だなと思う。私自身の好みでは、村上春樹の作品の中では「ねじまき鳥クロニクル」がいちばん好きだけれども、インタビューを読んでいると「海辺のカフカ」「1Q84」と確かに前進し続けていることはよくわかる。

 最近、僕は漱石を読み直していて、あの人は本当に小説を短い間に書いていて、『三四郎』と遺作の『明暗』の間だって八年ぐらいですよね。よくもまあ、これだけの短い期間でこんなに違うものが書けるなあって感心するんだけど、
(p491)

漱石が小説を書いていたのは晩年の10年ちょっとしかない。確かに、それだけの期間に、あれだけバラエティがあり、しかも、たゆまず前進し続けていたということには驚かされる。そして、死の直前に書いていたのが「明暗」である。未完に終わってしまったけれど、ドストエフスキーと同様に、最後の作品がいちばん意欲的で大きな小説を書いている。
私は40歳代のなかばに入りつつあるけれど、自分を振り返ってみて、それだけの意欲を持って前進しているのか疑問を感じる。しかし、すべての面にわたって前進しているわけではないけれどどこか前進している部分はある、そして、意欲さえあればいくつになっても成長はできるとも思う。
気持ちが弱くなったときに、彼らのことを思い起こして、自分を奮い立たせよう。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

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悪霊 (上巻) (新潮文庫)

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悪霊 (下巻) (新潮文庫)

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カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

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カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)

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カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)

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ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

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ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

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ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

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海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

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海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

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1Q84 BOOK 1

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1Q84 BOOK 2

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1Q84 BOOK 3

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三四郎 (岩波文庫)

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明暗 (岩波文庫)

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